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2008.06.23

まがまがしい

読んでいた本の「まがまがしい」という、なんでもない単語に引っかかって、辞書を引く。 こんな時いつも使っているポータブルな国語辞典には、どうしたことか載っていなくて、やけに分厚くて重たい広辞苑を慎重に抱え込んだ。

言葉を引くことに気を取られて、うっかり足元に落っことすとどれだけ痛いかは、既に学習済みである。 わざわざそんな扱いにくい辞書を引かなくても、調べる手段は他にいくらでもあるが、お目当ての言葉を調べる途中でページをめくりながら他の単語に寄り道したりするのも好きなので、あまり苦にはならない。

「まがまがしい」は無かったが、「まがまがし」が載っていて、「まがごとらしい。」とある。 ・・余計に判らなくなってちょっと動揺した。 画して、「まがごと(禍事)」とは「よからぬこと。 わざわい。 凶事。 災難。」だそうだ。

この半月ほどは、他の人の大切にしているものを傷つけることでしか、自分の感情を表出することのできない人に対して、どのように接するべきなのかを考えることをきっかけにして、ぼんやりと色々な事を思い、想っていた。 折しも、そのような事が根底にあるだろう事件が起きてしまって、想定外の深みに嵌ってしまったのだが。 一年に数回はこんな時期が来て、気持ちの焦点が、広角・望遠レンズ専用みたいな感じになってしまう。 で、これが来ると、言葉が不自由になる。 ウェブログも手紙も。 電話もできれば使いたくないし、日常会話さえもどことなく違和感を抱く。(食欲も睡眠も快適だし、多分他の人から見たら普段となにも違わないから、鬱の状態とは違うんだろうけれど。)

気付かない内にオーバーフロウした状態を解決するべく、何をどうやっているのか自分でも判らないが、何かを整理して片付けている期間なのだろうと、勝手に解釈している。 ちょうど「睡眠中に夢を見ること」が大脳生理学では「記憶の整理」として位置づけされているのに近いか?

当然のように、半月考えてみたところで、結論は出ない。

これは自分にとって大きなウィークポイントなのだが、この現実世界は私には刺激が強すぎるようで、意識して感受性にフィルターをかけておかなければ、まともに生活してゆけないようなのだ。 ニュースやドキュメンタリー番組など真剣に見聞きしてしまうだけで、すぐに熱を出す体。 当然映画や小説も然り。 わざと他の何かに気を取られるような状況を作り、気持ち半分にしておかないと、冗談ではなく本当に寝込むことになる。 ただでさえ情報が満ち溢れている世界で、また、それを快とする心との折り合いをつけるのに、日々苦労しているのが現状だ。 なんだか子供みたい、と、自分で呆れる。

物事の全体像はぼんやりと掴めても、じゃあ自分が日常生活の中で具体的に何をすることがその解決に繋がるのか、が、非常に分かりにくい世の中になっていると思う。 で、うっかりすると簡単に間違える。 「まやかしの現実」が物事を余計に分かりにくくしている。 その繰り返し。 ただ、やっぱり、社会のせい他人のせいではなくて、「元凶はいつも自分にある」ような気がするのだが、誰かを説得できるほどの自信も無い。 この辺のことを掘り下げようとすると、また熱にうなされることになるので、今は突っ込まないでくださいませ。

子供の頃は、大人になったら何でもできるようになると思っていたから、大人になるのが楽しみだったのだけれど、大人になったらなったで、やっぱり生きるのは大変だ。 目の前の日常の中にあるちっぽけな幸せを大事にしてゆくのが、一番手っ取り早くて確実な「生きる意味」の入り口なのかもしれない。 

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