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2008.07.31

夏色

茹でた枝豆と、トウモロコシ、それに真っ赤なトマトを、一枚の大皿に盛り合わせた。

食卓の中でそこだけが「夏真っ盛り!」になって、思わず笑ってしまった。

旬の野菜には元気な勢いがあって、食べているこちらまで嬉しい。

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2008.07.30

大人の「低体重」

特定健診(俗に言うメタボ検診)の結果を聞きに、医者の所へ行く。

「どこも悪くないですね、低体重以外は。」と、あっさり言われる。 本人用と印字されている結果表の備考欄にも、しっかり「低体重」と書かれている。

学生時代の一時期を除いては、ほとんどずっとこんな体形だし、これでも筋肉が増えて少し太ったのだし、第一よく食べて(よく飲んで)いるのだし・・で、今さら何を気にするものでもない私がまっ先に思ったのは、「へぇ~大人にも『低体重』っていう言葉使うんだ!?」だった。

私にとって「低体重」と言えば、「低出生体重児」の略で、要するに生まれた時の体重が一般の平均よりも程度を超えて軽い赤ちゃんの呼び方だ。 だから、自分が低体重だと言われた瞬間、「へっ??」という感じで、一瞬何のことか判らなかった。

今まではずっと「るいそう」とか「痩せすぎ」という言い方をされてきたので、なんだかピンとこない。 似たような印象はこちらの「MEさん」も感じられた様子。 MEさんは「低体重」という言い方の方が優しく思いやりのある印象を持たれたみたいだ。 昔の職場で「低出生体重児=低体重児」をさんざん使っていた私は、急に自分が子供になってしまったかのようで、ちょっと妙な気分がする。

ちなみに、MEさんも記事の中で書いておられるが、痩せているとよく「羨ましい」とか「ぜいたくな悩みね」などと言われがちなのだが、本人にしてみれば決して自慢できるものではないし、人によってはコンプレックスの対象だったりもするので、そこら辺をよろしくご理解いただきたく・・。

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2008.07.29

経験を積む

「最近、趣味で畑仕事を始めた」という方が、収穫のおすそ分けを届けてくださった。 その中にニンジンがあったのだが、俗に言う「人参」の赤い根の部分は5cm程度しかなくて、まるでミニ・キャロットなのに、葉っぱばかりがとても立派で30cm近くワサワサと茂っている。

これは「葉っぱを食べてください」ということかな?、と、考えつつ、困ったことになったぞ、とも思った。 以前、調べ物をしていて懐石料理の本を続けて読んでいた際、「ニンジンの葉の白和え・胡麻和え」という献立が何度も出てきたので、私の料理の師匠である実家の母にその話をしたら、「ニンジンの葉っぱなんて、戦争中でも誰も食べなくて畑に残っていたのにねえ。」、との反応が返ってきたからだった。 「ジョリジョリと強張って、とても食べられる代物ではなかった」らしい。 今までの人生の中で、まだニンジンの葉を食べた事が無い私は、それを聞いて、試してみたいという興味の出鼻を見事に挫かれたのだった。

とりあえず洗って泥を落とし、ワサワサの葉っぱをちょっとだけ千切って食べてみた。 ・・母の言っていた「ジョリジョリと強張って」の意味がよく判る。 どう考えても生で食べるのには不向き。 サラダは諦める。 香りはニンジンとセロリとパセリの中間という印象。 考えていたより「えぐみ」のような癖は無いが、この繊維っぽい感じは何とかしなければ。

まずは「困ったときの天ぷら」ということで、薄衣に絡めてかき揚げにしてみた。 干しエビと竹輪の薄切りを一緒に混ぜる。 山菜や野草なども天ぷらにすれば、けっこう何でも美味しく食べられるので、何とかしてもらう気持ちで。 すると、全く問題なく美味しく頂けた。 恐る恐る一口食べて、「あっ大丈夫だ。」 『ますたあ』は「これなら春菊の天ぷらよりも美味しい」と言う。 ふむふむ案外イケるじゃないか、と、ちょっと肩の力が抜けて、どんなものかと恐れていただけに、逆に拍子抜け。

次の日はスープの具に使ってみた。 コンソメ仕立ての具だくさんスープ。 キャベツ、タマネギ、キドニー・ビーンズ、ニンジン(の根)、エノキタケ、ジャガイモ、味出しにベーコン。 最初にベーコンから出た脂で具材を炒め、そこに葉っぱをザクザクに刻んで入れる。 じっくり味をしみ込ませるように煮込んで出来上がり。 さすがに茎の部分は「ジョリジョリ感」が少し残っていたが、葉っぱはほとんど香りも目立たず、知っていなければニンジンの葉とは判らない仕上がり。 違和感はない反面、もっと自己主張があっても良いのにな、と、残念。 普通に美味しい具になってしまった。 案外万能野菜なのか? 自信が付いてきた感じ。

最後の残りはパスタに。 アーリオオーリオペペロンチーノに混ぜてみた。 スープで学習したので、茎(軸)から葉の部分だけを丁寧に摘み取って集め、出来上がりの最後にさっと炒め合わせる。 何故かセリに似た味わいになった。 すごく美味しいと言うほどではないが、普通に美味しい。 食べる方も余裕が出てきて、「あーハイハイ、こんな感じね。」などと、軽口を叩きつつ。

本に載っていたくらいだから、白和えや胡麻和えに使えば無難に美味しいに違いないと思って、わざと冒険するつもりでいきなり違うメニューを試してみたのだったが、次回はそちらにもトライアルしてみたいものだ。 わざわざ選んで使いたい食材でもないが、採れるなら捨てることもないし、美味しく食べられる性質のものだったように思う。 これが食糧難時代に畑に残されていたとは、俄かには信じ難いけれど、多分、私が貰ったのは「洋人参」で、当時栽培されていたのは「和人参」だったのではないかと想像する。 しかし、懐石料理に使われていたとなると「和人参」だっただろうしなあ? 育て方の差か?・・まだまだ謎は多い。

ニンジンの葉っぱと格闘しながら、何事も経験だな、と、思った。 御馳走様でした。 

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2008.07.28

深いことは考えずに

サイトの存在意味や経済的な背景などを全く無視して、ただぼんやりとイメージを膨らます・・そんな「目と頭の保養」もたまには良いのではないでしょうか。

http://www.iseokagenosato.jp/kotonohagusa/

暑い日が続きます。 どうぞお体に気をつけてお過ごしください。

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2008.07.27

準備

酷い暑さとカンカンの日差しのせいもあったし、なんだかんだと時間が取れなかったので、このところ走ったり歩いたりをしていなかった。 今日は午後から珍しく雲がかかったので、今がチャンスとばかりに小一時間のランニング。 ストイックに思いきり汗をかき、シャツが絞れるほどになって帰って来た。

夕食に手をつける前に、まず飲む。 いつものパターン。 でも、今日は思わず「美味い!」と言ってしまうほどにビールが美味しかった。 ちなみに、自分へのちょっとしたご褒美も込めて、今夜はサントリーのプレミアム・モルツ。 ・・だから、前もってランニングに出かけたという要素も否めない。

美味しいビールを美味しく飲むためには、それなりの準備が必要だということなのかもしれない。 そのひと手間を惜しまないのが、呑んべいの真髄か?

色々な意味で、「夏なんだなあ・・」と、しみじみ思った。

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2008.07.26

どうしようかな

例えば

現実を受け入れたくない、その言い訳の為に、原因を探してみたり、根拠を考えてみたり。

そうやって時間稼ぎしながら、なんとかして「自分のせいじゃない」ことにしようとしたり、責任を他に押し付けることで、自分を守ろうとしてみたり。

ありのままにそのまんま受け止めることは、ある意味において、客観視することよりも、人間のありかたとして尊いような気がする。

最近、多数決とか世論とかが、大嫌いだ。

どうしようかと思う。

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2008.07.18

自然環境は豊かですが。

過日、同じ集落の「男衆(おとこしゅう)」が集まって、市道の草刈り奉仕作業が行われた。 その際にあった会話らしい。

『ますたあ』 「家の中にムカデ入ってきたりしません?」

Aさん    「うちには蛇が入ってくるよ。」

Bさん    「うちは狸だな。」

Cさん    「○○さん家には猿だ。」

・・・もう笑うしかない。

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2008.07.15

久しぶりのプリン

このところ日を追う毎に、羽化した蝉の数が増えているのがわかる。 いよいよ夏。 根拠もないのに、なんだかバテそうな予感がしてちょっと心配だ。

今日は久しぶりにカスタード・プリンを焼いた。 私は小さなプリン用のカップで作るより、パイ用の焼き皿やパウンドケーキ型、エンゼル型なんかを使って焼くのが好きだ。 理由は、その方が底のカラメルに触れる面積が増えるから。 急に思い立って作ったので、氷水で冷やしたのだが、中心部はまだ冷たいというよりはぬるい感じだった。 短時間でちゃんと冷やすには、レギュラーのアルミ製プリンカップを使うべきだったかもしれない。

まあ結果としては冷え過ぎていないプリンもなかなかのもので、逆に卵や牛乳の味と香りがしっかり感じられた。 同じようなプリン生地でも果物を埋めてクラフィティを焼けば、アツアツのまま食べたりもするのだし、有りは有りなんだという気がする。 ・・この暑さで、冷たいものが欲しくなっていた、というだけのことだろう。

残り半分は冷蔵庫で十分冷えてもらって、明日のおやつ。 二日目のプリンはギュッと締まって冷たさに負けない濃厚さを作り出している筈。 それもそれで楽しみだ。

カスタード・プリン

  • Mサイズの卵     3個
  • 牛乳          360cc(60cc分までを生クリームに置き換えても可。)
  • 砂糖          60g(あればグラニュー糖で。)
  • バニラオイル   2~3滴
  • バターまたはマーガリン適宜
  • カラメルソースとして  砂糖 大さじ3  水 大さじ1
  1. 焼き型の内側に薄くバターかマーガリンを塗る。
  2. 小鍋にカラメルソースの砂糖と水を入れて中火にかけ、茶色に色づくまで熱する。 鍋を揺すらずに静かに加熱すること。 濃い色に焦げたら、素早く焼き型に流す。
  3. ボウルに卵を割り入れて泡立て器でよく溶きほぐしておく。
  4. 鍋に牛乳と(生クリームと)砂糖を入れて、ヘラなどで混ぜながら中火で沸騰直前まで温める。
  5. 卵のボウルに4の熱い牛乳を糸を垂らすように少しずつ加えて、泡立て器で常にかき混ぜながら、全量を混ぜ合わせる。 バニラオイルを入れる。
  6. 5の卵液を漉し器に通してから、焼き型の中に流す。
  7. オーブンの天板に水を張り、オーブンに入れて、150℃に予熱する。
  8. 庫内が予熱できたら、天板の上に焼き型を乗せて、そのまま湯煎しながら40分焼く。(小型のプリンカップの場合は30分。) 天板のお湯が減ったら適宜足して、常に湯煎になるように注意する。
  9. 焼きあがったらオーブンから出し、粗熱を取って冷蔵庫で冷やす。

もちろん鞘のバニラを使えば、より本式な美味しさに。 でも、普段のご自宅用ならバニラオイルで充分。 ・・手軽さ優先で。 いつも持っている材料だけで作れるのが嬉しい!

大きめのスプーンなどでカッポリと大きくすくうようにして、お皿などに移していただきます。 甘さを控えた8分立ての生クリームやバニラアイス、果物などと盛り合わせても。 

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2008.07.13

目の前の現実

東京で営まれた同級生の葬儀から帰って来た。 暑かったせいなのか、たくさん泣いて疲れたせいなのか、なんだかぼんやりしてしまっている。

たくさんの友人達が参列に訪れ、俄か同窓会のようだった。 それもみな故人の人柄によるもの・・。

事故の悲惨さに対して、ご遺体の表情は穏やかで綺麗で、棺の中の空間だけ、時間が止まっているように見えた。 みんながそれぞれに彼にお別れをするという、静かに悔しく哀しい儀式。

家に戻ってきたら、まだ見つかっていなかった行方不明者の捜索が打ち切られたとのニュース。 体が戻って来た同級生を目の当たりにしてさえも、「本当に彼は亡くなってしまったのか?」と、どこかふわふわとした信じられないような気持なのに、戻って来ることができなかったら、いったいどうやってお別れを納得するのだろうか、と、思った。

こまごまとした日常生活のなんだかんだを、心のリハビリテーションのように感じながら、夕食の準備をした。

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2008.07.10

輪郭

結局事故に遭った同級生は、「帰らぬ人」になって帰って来た。 他の被害者の方々は未だに帰ることすらできていないので、それでもまだ帰って来られたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。

当然ながら今回の件で多くの友人と連絡(そのほとんどはメールでのやり取りだが。)をとる機会を得て、色々な話をしている。 故人を偲ぶというよりは、もっと生々しいもの・・それぞれが持っている「記憶の中の彼の断片」を持ち寄って、もう一度彼を作りだそうとしているような感じ。 みんなが一握りずつの言葉という粘土を持ち寄って、彼の像の輪郭を形作っている最中のように思われる。

人は何の根拠もない割には、妙に確信を以て、あの人もきっとどこかで元気でやっているはずだ、と、思い込んで生きている。 特にそれが自分の身近だったり、知っている相手だった場合には強く表れて、何の疑いもしないもののようだ。 知っている分だけ逆に相手を信用・信頼して、思い込みが強くなってしまっているから、そこが崩れた時の動揺も大きくなるのだろう。

まだ「ご冥福を祈る」という心境にはなっていなくて、ただ彼の為に祈っている。 不思議なもので、「こんな風にして、彼がまたみんなを結びつけてくれたんだ。」、なんて、連絡を取っているみんなの誰一人口にしないことに、なんだか救われている。

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2008.07.07

なんで悔しいんだろう

高校時代の同級生が事故で消息不明になり、懸命の捜索作業が続けられている。

新聞に載っていた小さな顔写真はもちろん彼の顔なのだが、「どこのオジサンだろう?」、というように見えた。

当然ながら何ができるという訳でもなく、どうしようもない気持ちを抱えたまま祈っているのに、どうも集中できないまま、ネットで配信されてくるニュースを追いかけているうちに一日が過ぎた。

この気持ち、一番近いのは『悔しい』という表現なのだけれど、逆になんで『悔しい』なのかが自分でもよく分からない。 誰に対して?何に対して?

重苦しい七夕。

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2008.07.06

肉じゃが

小ぶりの粒ばかりを袋に詰めたジャガイモを買った。 丁寧に皮を剥いて、久しぶりの「肉じゃが」。

今時の男性は別に肉じゃがが美味しく作れるからといって、その女性に惚れたりはしないだろうけれども、ダシと甘醤油味をたっぷり含んだジャガイモは美味しいなあ、と、思う。 おでんのジャガイモも然り。 私はどういう訳か、ジャガイモを食べる時に「胸につかえさせる率」が高くて、例えばそのまんまふかしただけのものとか粉吹き芋なんかは、あっという間につっかえてしまう。 ダシ醤油で煮含めたタイプの料理だと、ジャガイモ自体が水気をたくさん持っているから、さほど詰まらせることもなく美味しさに集中することができるので、余計に御贔屓なのかもしれない。

作った翌日まで寝かせておくと、中心までしっかり味が入って一層しっくりと馴染む・・その感じもオツ。 崩れる直前のホロっとする状態で火を止めて、後は時間任せ。 半量を密閉容器に移して後日分に回し、残りを器に盛り付けて、それをぽつぽつつまみながらの冷えたビール。 良い初夏の宵だ。

シラタキを多めに使うのが我が家流。 どの家にもきっとそれぞれの肉じゃががあって、いろいろな変遷があるに違いない。 たまに、こういった伝統的でストレートな料理を作ると、たくさんの思い出がくっついてきて、それはそれで楽しい。

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2008.07.05

動くの?

一週間ほど前に「特定健診」を受けた。 採血の際、たまたま事後の圧迫がゆるく、『ますたあ』と二人で仲良く(?)肘の内側に内出血斑を作ってしまった。 おまけに『ますたあ』は失敗されて二度針を刺された分だけ、内出血も濃い。

昨夜ふと『ますたあ』の腕を見ると、肘の関節から3センチ近く末梢側(掌方面のことですな)にずれた場所に、内出血の跡がある。

「あれ?どっかにぶつけたの?」 「いや、別に。 なんで?」 「こんな所に青あざ作ってるから。」 「それは、ほら、この間の採血の跡だよ。」 「だって採血した場所と違うじゃない。」 「移動したんだよ。」 「?!動くの??」 「動くって言うか、だんだん薄ぼんやりして拡散するじゃない。」 ・・でも、どう見ても、当初採血した場所の真上にあった一番色の濃い中心部は、皮膚に残る採血した注射針の跡からも2センチ以上ずれている。 辺縁部が拡散しているのは確かだが、内出血斑がそのまんま末梢方向に移動したように見える。

「こんなの動いてるの、初めて見る気がするんだけど。」 「えー?普通動くよ。」 「そうお?・・」 どうも納得がいかない。 自分の採血跡を慌てて確認するも、残念ながらもう既に、内出血はきれいさっぱり吸収された後だった。

動くものなのかなあ? 昔たくさん目にした患者さんの点滴の跡などでも、そんなに動いていた記憶が無いのだが、観察眼が甘かったのだろうか? ・・次にどこかで採血を受けることになったら、注意深く経過を見てみようと目論んでいるが、いつになることやら。 忘れないように覚えておかなくては。

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2008.07.04

1、2、たくさん

以前ここで、義父は多くの中からいくつか選択することが難しくなってきている、というような記事を書いた。 あれから半年くらい経過して、最近ではますますその傾向に拍車がかかってきたようだ。

既に三者択一はきびしいようである。 もしかすると出来るのかもしれないが、考えること自体が面倒臭いのかあっさりと放棄してしまい、「わかんない」と言うか、そのまんまフリーズした揚句に別の事柄に心を奪われてしまうか、若しくは3つとも抱え込んでしまうか、そのどれかになる。 自分が今日身につけるシャツの選択は、彼にとってあまり興味のないことなので、すぐに「わかんない」で片付けられてしまうけれど、お茶のお供にどのお菓子を食べるかは、彼にとってご飯を食べるよりも嬉しいことなので、全部腕の中に抱え込む。

なので、3つ以上の物から選んでもらう場合は、二者択一を何回か繰り返す。 クッキーとビスケットを見せて「どっちにする?」、クッキーを選んだら隣を和菓子に変えてもう一度「どっちがいい?」、と、そんな感じ。 おやつを選びながら終始ニコニコとご機嫌なところを見ると、これに関しては「わかんない」わけではないのだろうな、なんて思うけれど。

普段のなんでもない日常生活の中でも、われわれ人間はどれだけたくさんの思考回路を使って生活しているのか、再確認させられているような気分になってくる。

まだ上手く表現できないが、介護という訳でなくてもお年寄りに接する際には、言葉だけでなく、いくつかのコミュニケィションの取り方のようなものを持っているといいのかもしれない、と思うようになってきた。 「ベビー・コミュニケィション」みたいな言葉に頼らない意思疎通の方法を、『こんな手もあります・こんな方法も試してみたらどうでしょう』という具合にいろいろ工夫できると、それだけでも身辺のこまごましたことを手伝っている人の精神的負担は、かなり減るような気がする。

自分で自分のことを決めるのは、やっぱり人間の基本的な権利であり、それを尊重することは相手の尊厳を守ることにもつながっているような気がするので、義父との会話に時間がかかっても譲らずに自分も踏ん張らねば、と、思う。 でも、もしかすると義父は面倒臭がっているのかもしれないな。

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2008.07.01

イレギュラーの境界はどこか

その1「こんな時期に寄せ鍋を作った」、その2「粒あんの温泉まんじゅうを初めて食べた」、その3「ジャガイモのニョッキの半端な残りをけんちん汁の具材に使ってみた」。

想像していたよりも違和感はなくて、期待はずれなほど「普通な感じ」に。

いえ、どれも美味しかったから、それはそれで満足だったんですけどね・・。

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