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2008.07.04

1、2、たくさん

以前ここで、義父は多くの中からいくつか選択することが難しくなってきている、というような記事を書いた。 あれから半年くらい経過して、最近ではますますその傾向に拍車がかかってきたようだ。

既に三者択一はきびしいようである。 もしかすると出来るのかもしれないが、考えること自体が面倒臭いのかあっさりと放棄してしまい、「わかんない」と言うか、そのまんまフリーズした揚句に別の事柄に心を奪われてしまうか、若しくは3つとも抱え込んでしまうか、そのどれかになる。 自分が今日身につけるシャツの選択は、彼にとってあまり興味のないことなので、すぐに「わかんない」で片付けられてしまうけれど、お茶のお供にどのお菓子を食べるかは、彼にとってご飯を食べるよりも嬉しいことなので、全部腕の中に抱え込む。

なので、3つ以上の物から選んでもらう場合は、二者択一を何回か繰り返す。 クッキーとビスケットを見せて「どっちにする?」、クッキーを選んだら隣を和菓子に変えてもう一度「どっちがいい?」、と、そんな感じ。 おやつを選びながら終始ニコニコとご機嫌なところを見ると、これに関しては「わかんない」わけではないのだろうな、なんて思うけれど。

普段のなんでもない日常生活の中でも、われわれ人間はどれだけたくさんの思考回路を使って生活しているのか、再確認させられているような気分になってくる。

まだ上手く表現できないが、介護という訳でなくてもお年寄りに接する際には、言葉だけでなく、いくつかのコミュニケィションの取り方のようなものを持っているといいのかもしれない、と思うようになってきた。 「ベビー・コミュニケィション」みたいな言葉に頼らない意思疎通の方法を、『こんな手もあります・こんな方法も試してみたらどうでしょう』という具合にいろいろ工夫できると、それだけでも身辺のこまごましたことを手伝っている人の精神的負担は、かなり減るような気がする。

自分で自分のことを決めるのは、やっぱり人間の基本的な権利であり、それを尊重することは相手の尊厳を守ることにもつながっているような気がするので、義父との会話に時間がかかっても譲らずに自分も踏ん張らねば、と、思う。 でも、もしかすると義父は面倒臭がっているのかもしれないな。

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