« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008.08.30

夏と秋の隙間

新サンマをお刺身にして、何となく思いついてあり合わせの牛蒡、人参、シメジ、油揚げで炊き込みごはんを作り、大粒の甘い梨を剥く。 意識している訳でもないのに、食卓に並ぶものがだんだん秋めいてきたのが面白い。

今夜は鹿の初鳴きを聞いた。 そう言えば、もう目の前に9月が迫っている。

日差しが無い分、気温そのものは高くないのだろうが、いかんせん湿度が高くて、暑いのか涼しいのかよく判らない。 毎晩何を掛けて寝ようかと迷う。 これはもう「秋の長雨」なのだろうか?

なんだかちゃんとお別れをしていない内に夏が行ってしまったみたいで、すっきりしない。 ・・でも、これからまた残暑が戻ってきたら、すごく夏バテしそうで怖いし。

とりあえず、そろそろ青空を見上げたい気分だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.29

念のようなもの

夏バテと呼ぶには相応しくない気がするけれど、集中力が続かない。 気合が入らないという言い方もできるか。

父のお世話になっている老人施設には、認知障害のある方々も多い。 私のことを職員さんと間違えているわけでもなく、どこかの誰かさんと勘違いして、どんどん一方的に話しかけてくる。 で、話の内容があちらこちらに飛び火して辻褄合わないままに、感情だけが高まってしまうのか、いきなりオイオイ泣きだしてしまったり。 嗚咽に気付いた職員の方が私に迷惑をかけてはいけないと慌てて飛んできて、「あらぁ○○さん、もうすぐオヤツの時間だから手を洗って準備しましょうか?」なんて話しかけると、いきなりケロッとして去ってしまった。

上手く表現できないのだが、認知障害を持つ方と接していると、その人の内部に物凄く強い念のようなものがあるのを感じる。 閉じられた回路の中でびゅんびゅん回っている内に、どんどんエネルギーが増加してしまったような、爆発力に近い「何かの力」の存在。 きっと表現したいことがあるんだろうな、と、思う。 でも、自分が思ったようにそれを表現できないんだろうな、とも。 それがストレスのような負の力なのか、模索のような正の力なのか、混じったものなのかは判らないのだけれど。 相手の中で念のような何かが明らかに暴走しているのが伝わる。

なので、認知障害を持つ方と接する場合は、意識的に自分の回路を閉じて、強い念の影響を受けないように防衛する。 そうでもしないと、こちらのエネルギーがあっという間に持っていかれてしまうからだ。 回路を閉じるという書き方をしたが、それは会話をしないとかムスッと表情を出さないとか、そんなことではなくて、相手の持つ回路上に同調しようとする私の回路だけを選択的に閉じるということ。 まずいなと思ったら、そこからでも意図的に閉じる。

それでもたまに閉じるのが間に合わなかったり、うっかり閉じるのを忘れた状態のままで相手の念を受けてしまう事があって、そうなると2~3日おかしなことになったりもする。 まさに今がその状態。 自分の回路を閉じるという防御だけじゃなくて、効率的にチャージする方法も身につけなければな、と、思っている。 これでも科学的なトレーニングを受けた人間の端くれなので、非科学的な事はあまり認めたくないのだけれど、瞑想とかそっちの領域が役立つだろうか? さて?・・?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.08.24

底なし沼の予感

この夏、いくつかの事柄を並行して調べたり知識を深めてゆく過程の中で、とても引っかる事柄が新たに見つかった。

『共依存(Co-Dependency)』である。

私がとやかく書くよりは、初めて耳にする方にも比較的判り易くまとめられたサイトに、リンクを張っておくので、興味のある方はご一読を。(リンク先は深層ページなので、トップページはこちらからどうぞ。)

何をそんなに問題視しているかと言うと、前述のリンク先にもあるのだが、日本では(日本だけではないのかもしれないが、他を知らないので。)共依存を美徳として、共依存であることを求めるような社会が作られてきて、それがいまだにかなり濃く残っているのではないかと思われることだ。

ただし、私が今の段階で知っている「共依存について」は、あくまでも個人のレベル若しくはせいぜい家族単位で述べられたものに限られていて、果たしてコミュニティー全体がそのように染められていた場合についての考察には出会えていないし、逆に言えば、まだその程度の浅はかな知識でしかないので、あれこれ述べるのは危険なのだが。

こちらに越してきてからの人間関係のいくつかの本質的な違和感や、ご本人の自覚のあるなしに係らない「何らかの依存症」を抱えている方の多さ、その方の居る家族の背景や、地域社会の中に垣間見える若者と年配者の関係などを考える時、どれもみなこの共依存を使うと、あまりにも上手く辻褄が合ってしまうので、危険を自覚しつつ、戸惑いつつも、非常に興味をひかれている状態である。

やばい所に足を突っ込みつつあるのかもしれない・・。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008.08.22

これで夏は終わりなのか?

急に涼しくなって、体がびっくりしている。 なんだか極端な気候だな、と、改めて思う。 まあ楽と言えば楽に違いないが、このまま残暑も無く秋になってしまうというのも悔しいような気になるのが不思議だ。

おかげでビールの味も良く判るようになり、ゆっくりと楽しみながら飲む余裕ができた。 暑い時はかーっと飲んであっという間に終わってしまうから、勿体ない。 まあそんな時は何を飲んでも大差無いので、発泡酒にしておくのだけれども。

キャベツとピーマンを山のように使って、回鍋肉を作った。 ワサワサと野菜を食べている自分は、快感であることが多い気がする。 カックンと夏の疲れが出ないように、上手に体を調整しなくては、な。

 回鍋肉の調味料

  • オイスターソース                  大さじ1
  • 豆板醤(省略も可)                 小さじ4分の1
  • 醤油                         小さじ半分
  • テンメンジャン又は味噌(出来れば赤味噌)  小さじ1
  • 味醂と酒                      それぞれ大さじ1

これで豚肉200gくらい、キャベツ5枚、ピーマン3個分。 豚肉には分量外の醤油と酒少々で下味をつけて、片栗粉をたっぷり目に絡ませてから焼くと美味しい。 ニンニク、生姜、長ネギなど中華の香味野菜が手元にあれば使ってください。 肉と香味野菜だけしっかりと炒めてから、キャベツもピーマンも半生程度の加熱で盛りつけると、余熱で充分いただけます。 キャベツは大きめに手でちぎるのが美味しさの素! 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.21

論点が違うのではないか

曽野綾子さんが書いた「非常識家族」という本を読んでいて、思わず「そうそう、そうなのよ!」と、胸の奥の蟠りがストンと落ちた箇所があった。

ずいぶん前の例のライブドア騒動の頃、村上ファンドの村上世彰氏が記者会見で「お金儲けは悪いことですか?」と、開き直りに近い印象で言っていた件について、だ。 それについて曽我さんが登場人物に語らせているのは、『お金儲けそのものは、悪くも良くもないことに決まっている。 いいか悪いかではなく、よくも悪くもないものもあるし、よくも悪くもなるものだってある。』

『食べるのは悪いことですか?って言うのと同じで、食べるという行為は特にいいことでも悪いことでもない。 それは生きるために必要というだけ。 でも必ずしも必要イコールいいことじゃない。 崇高なことでもなければ、恥でもないというだけ。 病気を治すために食養生する人にとっては食べることはいいことだし、肥満の人にとっては食べないことがいいことになるのだから。 食べることはいい場合もあるし、悪い場合もあるだけのこと。 金儲けも同じ。』

ちょっと前に、会社は誰のものか?という話題もあった。 多くの経済に明るい人達は「株主のものだ」と言って、何となく収まって終結したように見えたが、それにも私は相当な違和感を覚えた。 つまり「そういうもんじゃない」という感覚だ。 会社のために資金を調達した株主の為のものでも当然あるし、そこで働いている労働者の為のものでもあるし、出来上がった商品やサービスを必要とし期待している消費者の為のものでもあるし。 もっと言ってしまえば、税金を期待している国や地方自治体の為のものでもあるし、その税金を使ってもらっている国民や海外の国、海外の人達の為だってあるんじゃないか。

どんな会社、どんな立場の人であっても、その人が果たすべき役割と全うすべき責任が必ず存在し、その価値そのものは本来、立場によって差があるものではない筈。 ただし、役割や責任が大きい会社や人にはそれなりの対価を用意しましょうというだけのことではないのか。 それを「たくさん稼いでいるので自分はあの人よりも偉い」などと勘違いしたり、妙に崇拝めいた気持で接してしまったりするのは、どちらも愚かなことだという気がする。

二つの例を挙げたが、要約すれば、つまり、論点が違うのではないか、ということだ。

いいとか悪いとか、偉いとか偉くないとか、そんなものおかしな話で、もっと大きな流動体?の中で、それぞれが混沌と関係を結んだり切ったり、影響したり離れたりしながら、それでも全体からすればたいして大きな変化も起こらずに、何となくバランスをとりながら壊れずにいる。 どちらかに傾きがあればじんわりと反対の力が生れ、反対の力が大きくなりすぎればまた元の動きが始まる、そんな感じなのではないか。

今か今かと迫っている鳥インフルエンザのパンデミックだって、子供を育てない人が増えていることだって、自殺者の増加だって、もしかしたら地球上に人間ばかりが増えすぎた状態から、生物として適正なバランスを取り戻すための傾向なのかもしれない。 人間が医学という方法で死なない傾きを作るのなら、そのバランスをどこかでとりましょうというひとつの流れ。 こういった力を、一部の人は神と呼んだのかもしれない。(もちろん、私は自殺を擁護するつもりはありません。)

とりあえず人間は何でもできるなんて傲慢なことは考えない方がいい。 全てのことはいいことと悪いことに分けられるなんていう風にも思わない方がいい。 たくさんの捉え方があり考え方があって、その多様性こそが生物の最大の底力なのであって、あとはどれだけ多くがどこで妥協できるか、それにすぎないように思う。

産婦人科医の裁判の無罪判決を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。 愛する家族を失う悲しみは察するに余りあるし、同情にも十分値するが、他人に任せている以上、安全性100パーセントの医療処置は存在しえない。 悲しみは悲しみとして対処すべきであって、悲しみの矛先を間違った方向に向かわせてはならない、そんなことを裁判当初から考えていたので・・。

(あー何が言いたいのか自分でも判らなくなってきたから、引き上げます。 逃げるつもりはありませんが、コメントは勘弁してください。)

↓まだ途中ですが、なかなか面白い本。

曽野綾子著 「非常識家族」 徳間書店 2008年7月31日初版

ISBN 978-4-19-862559-7  

| | トラックバック (0)

2008.08.19

おたまじゃくし生活

夢の中でおたまじゃくしだった私。

イイ感じですいすいと水中生活を楽しんでいたら、ある日、いきなり足が生えてきた。

「何これ?!」、「どうやったら動かせるの?」、「何に使うの?」と、パニックになりながらも、徐々に使い方を身につけてゆき、「あっ、結構便利かも。」、「なかなかいいじゃん!」なんて余裕が出てきたら、また二本生えてきた。 「えー、またぁ?!」、という所で、目が覚めた。

あんなドキドキがあるならば、おたまじゃくし生活も案外魅力的かも、などと、うっかり思ってしまった。

私にも何か生えてこないかな・・。(←無理だって。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.18

無味無臭のありがたさ

最近遭遇した二つの事柄を書く。 双方とも飲食店でのことだが、別々のお店だ。

● テーブルに着いたら、店員さんがすぐにお茶とおしぼりを運んできてくれた。 冷やされたおしぼりだったので嬉しく手を拭いていたら、巻き込まれた内側の面に某有名海外ブランドの男性用オードトワレが吹き付けられており、私の掌を介して身の回りに強烈な香りが拡散した。 匂いに対して過敏な部分がある私の体は、「一瞬の吐き気」という反応を見事に返してくれた。

● 庭で栽培したハーブを、提供する料理にも使っているお店で、供されたグラスの水に口をつけたら、強烈なスペアミントとレモンバームの香りがした。 たまにそんな水を出すお店もあるのは経験していたが、この店の場合は程度が過ぎていて、「ミントジュレップの砂糖抜き」又は「草の水」とも言うべき状態。 結局それ以上口を付けずに過ごした。 帰り際にキッチンの横を通ると、カウンターの上にウォーターピッチャーが置かれており、その中には底から蓋までびっちりとハーブが詰められていて隙間を水が埋めていた。

どちらのお店も気を利かしてのことには違いないので、悪気が無いことぐらい百も承知なのだけれど、料理を食べる前にこれだけ大きな攻撃を与えられてしまうと、正直ちょっとしんどいな、と、思った。

香りだけではなくて、味にしてもその他の要素においても、自分が好きなものはだんだんとエスカレートする傾向が誰にでもあるのだと思う。 気をつけなくちゃな・・と、人の振り見て我が振り直せの出来事だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.08.16

商売熱心なコンビニ

先週花火大会に出かけた折、コンビニの駐車場を使って出店している出店に通りかかった。 が、よく見ると、売っている人がコンビニの制服を着ている。 よくあるパターンで、道路に面した場所に駐車場を設置しその奥に店舗があるのに、わざわざ道路面まで出てきて、氷を入れた浴槽のようなケースで飲み物を冷やし、店内で調理済みのホット・スナックを並べている。 物珍しい感じで眺めてしまった。

過ぎていった「土用の丑の日」には、どこぞのブログで、こんな記事も目にしたのを覚えている。 『玄関のチャイムが鳴ったので出て行ってみると、近所のコンビニの店員で、うなぎ弁当の予約をすすめられたので驚いた。』そうである。

へぇ~最近のコンビニはそんなことまでやるんだ、と、思ってみたり、コンビニといえどもこのご時世いろいろとご苦労がおありなのねえ、とも、思ってみたり・・。

ちょっと前までは地域でお祭りがあっても我関せずで、運営資金等のカンパに協力しない代わりに営業も淡々と普段通りで、お祭りの飾りつけなどもせず、まるで「そこだけ浮いている状態」のコンビニをたくさん見かけたものだが、本部の縛りが緩くなったのか、そこそこに地域密着型の姿勢に変化しているようにも見受けられて、時代の流れを感じる。

自分自身のコンビニの使い方を振り返ってみても、実は細かな変遷がたくさんあることに気付く。 一番初めは本屋の代わりに雑誌を買うのが専ら。 続いてコピーをとる目的やアイスクリーム目的が続き、お昼ごはんやおやつの調達に進む。 やがて通販の振り込みや宅配便の荷物出し。 最近はかつてほど魅力を感じなくなったせいか、利用頻度がガタ落ちしているのも事実だ。 多分、待っていれば来てくれるお客さんの売り上げだけでは、店舗の売り上げを伸ばすのは難しくなってきているのかもしれない。

別の解釈をすれば、今はコンビニが本当の意味で人々の生活に根付いたとも言えるのだろうが、その安定性と「右肩上がりの売り上げの増加」は両刃の剣な筈で、これは何もコンビニに限った話ではないな、と、考えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.14

一本の電話から

夕方に冷した西瓜を切っていたら、電話の呼び出し音が鳴った。 あまりしゃんとしていない印象の中年男性が言う。 「あのー、先ほど電話した者ですが、明日に一泊7000円でなら部屋(=空室)があると言っていたのは、お宅だったでしょうか?」 もちろんそんな電話を受けた覚えもないので、その旨を伝えて電話を切る。 ところが、受話器を置いた直後からいろいろな事を思い描いて、いたたまれないような気持ちになってしまった。

その1、こんなお盆の真っただ中に、まだ空室が残っている宿がどこかに存在していると思うだけで、不景気さが哀しい。

その2、しかもこのご時世に一泊7000円とは、そこまでディスカウントしなくては予約が入らないのかもしれない現状が哀しい。

その3、前日の夕方になってあたふたと翌日の宿を探しまくっている電話の主が、哀しい。

その4、結局間違い電話だった訳で、せっかく予約が取れそうな宿を見つけたのに、それがどこの宿か判らなくなってしまうという「情報管理の甘さ」が哀しい。

その5、「先ほど電話した」というのは虚実で、どこにでもそんな風に電話をかけ続けて、運好く7000円で泊まれればラッキー、という人だとしたら、その人の人間性が哀しい。

その6、電話の印象が良くないからといって、そんな風に疑ってしまう自分も哀しい。

考えれば考えるほど、どれもこれも哀しすぎる。 独りでは抱えきれなくなりそうだったので、大きなため息をひとつついてから、早速『ますたあ』の元へ報告に行った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.08.12

夏のてっぺん

土砂降りの雨が通り過ぎたかと思えば、舞台の場面転換のように青空が広がり、さっき降った雨があっという間に水蒸気に変わる。 おかげさまで凄い湿度だ。 熱帯圏で暮らしているかのよう・・さすがに怯む。

数日前に某所の有名な花火大会へ出かけてきた。 駐車場に停められる早い時間に現地到着し、散策で温泉場を冷やかしながら軽く汗をかいて、居酒屋で「只者じゃない感じ」のオネーサン店長に驚きつつ生ビールをしっかり呑んでから、花火大会の会場へ。 なかなか盛大な花火で、見上げ続けた首周りが若干くたびれつつも、典型的な日本の夏の風景を満喫した。 滅多に行かないような町を散策すると、気になる光景がたくさん見つかって楽しい。 そこに暮らす人々の日常の様子が、景色の中に滲んでいるような気がして。

今風の若い女性たち独特の浴衣の着こなしについては、だいぶ見慣れたせいか、さほどの違和感は無かった一方で、若い男性たちの着流しスタイルには閉口した。 なんであんなに襟合わせを開いているのだろう・・あんたら波田陽区か?? きりっと着こなせば見た目も涼しげなのに、あれでは見ているこちらの暑さ倍増である。

毎年、『暑い夏の間に一度はどうしても聴いておかなければ気が済まないアルバム』というのが数枚存在していて、それらを順番に流しながらのドライブだった。 自分が納得するとか、気が済むといった状況は、季節を見送るために案外大事なことのように思う。 座ってじっくり音楽を聴く時間をわざわざ作るのは、優先順位が低いものとしていつも追いやられてしまうのが現実なのに、それが自分の納得の為に大切なんて、どこか矛盾しているようだが。

みなさんが自動車での移動を自粛してくださっているせいか、経済の減速傾向によるものか判らないけれども、夏休み期間にしては比較的静かで落ち着いた空気が流れている。 かんかん照りの陽射しと、まるでスコールのような土砂降りと、独特な静寂。 ・・やっぱりここはもう温帯じゃないような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.07

立秋に巻雲

夕方、とっておいたお風呂の残り湯を庭に打ち水する。 今日から暦の上では秋です、と、宣言されても、相変わらずの暑さで地面はカラカラ。 文字通り「焼け石に水」なのだが、それでも、打ち水した場所は風がひんやりする。 水をいじっているだけでも、気持ちの上ではだいぶ涼しい。

蝉時雨の中、ふと空を見上げると、立派な巻雲が長い尾を伸ばしていた。 私の時代は「絹雲」で習ったので、いまだに「巻雲」の文字遣いはピンとこない。 半分透き通るようにひらりと長く広がる雲は、絹の反物を広げた姿にぴったりなんだけどなあ。

まるで暦に合わせたかのように秋の空が見事に演出されていて、何故だか昔の恋のことなぞ思い出しながらしばらくぼんやりと見上げていた。 一瞬のタイムスリップは、現実をデジャヴに変える。 耳元で蚊の羽音がして、はっと我に返った立秋の夕暮れ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008.08.06

聞きかじりではなく知識を

「アスペルガー症候群」という病名を聞いた事が無い方は少ないと思う。 では、「アスペルガー症候群はどんな病気ですか?」という問いに答えられる方も、同じように少ないのではないだろうか。

私もその一人で、うろ覚えの情報しか持ち合わせていなかったので、ちゃんと知識を得ておこうと思い、自分自身への『夏休みの宿題』の一つに設定している。(実は他にも合わせて5項目ほど『宿題』を決めたのだが、予想外の暑さで難航。 自分で決めた8月中という期限を守れるのだろうか?!)

とりあえず情報収集で、書籍を数冊、一般向けと医療従事者向け、それと教育者向け、それぞれ借りてきて片っ端から読み、研究文献はネットで収集しながら、自分なりの全体像を構築しつつある。 私の周りに実際にアスペルガー症候群の患者さんが存在しているわけではないので、必要に迫られている状況ではないのだが、これからの社会の在りようを考えたり、自分がその中で生きてゆく上で、このような「自閉症スペクトラム」の方々を無視することはできないだろうと感じたので・・。

当たり前のことながら、病気を持っているのは人間なので、どこから何を問題にして病態を捉えるかで、本の書き方も研究のされ方も大きな違いがあり、社会としての対応の難しさを浮き彫りにしているように見える。 近年起きているいくつかの恐ろしい事件の加害者が、実はアスペルガー症候群の患者だったというニュースばかりが先走ってしまい、怖いイメージが正しい知識を持たない人々に浸透してしまった感がある。 それが、社会としての対応をより難しいものにしてしまったという、負の連鎖が起きているのも事実だ。

実際に調べてみて、私の中でもずいぶん「アスペルガー症候群」のイメージが変化した。 表面上「奇異」にしか思えない行動でも、その根拠が解ると理解できるし、奇異な行動をとる相手への対応もそこそこに想定することができる。 知識を持っていれば、少なくとも白い目を向けることはなくなる筈だ。

何冊か読んだ中で、一般向けとして最も分かり易く、尚且つ簡潔にまとめられていると感じた本を一冊、下記に紹介しておきます。 幼いお子さんがおいでの方は、幼稚園や学校等で「アスペルガー症候群」の同級生が一緒だったりする場合もそこそこあるんじゃないでしょうか? 一度読んでみると、いろいろ考える機会になると思います。

「アスペルガー?、ああ聞いたことはあるけど・・」という方にオススメ!

図解 よくわかるアスペルガー症候群」 広瀬宏之著 ナツメ社 (初版2008年7月 1500円)

ISBN 978-4-8163-4550-0

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.05

ビール惑星

毎日ビールを飲みながら、この暑さを何とかやり過ごしている。 暑いのは本当に辛くて辟易しているのに、「ビールがあればなんとかなるもんだな」、などとうっかり思ってしまう所が、ビール好き人間の血というものであろう。

夏の初めに、昔からの友人の結婚記念日にビールを贈り、とある友人が届けてくれた缶ビールを小出しにしながら楽しみつつ、先日は自分用に買ったビールの一部を、本を貸してくれていた友人に送った。 そしてまた、別の友人からビールを届けてもらって、数日前は昔からの「ビール飲み友達」に夏恒例のビールプレゼントを手配。

なんだか自分の周りを惑星のようにビールが飛び交っていて、あっち行ったりこっちに来たりしていて、客観的に考えると可笑しい。 可笑しいんだけどどこか幸せな気分なのも、これまたビール好き人間の血なのだろうか。

画して、ビール色の夏は深まってゆく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.08.01

ファンではありませんが。

<伊丹空港廃止>国土交通相が「素人」と強い不快感

・・だとすると、国の行政と素人の一般国民とでは、それだけ考えていることにギャップがあるということになりませんかねぇ。

「プロには出来ないこと」というものも、世の中にはあるように思いますが、いかがなものでしょうか。 私だったらプロよりも「偉大なるアマチュア」に賭けたいな。

ブツブツ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

お湯?水?

ご存知の通り、お茶の葉はお湯で抽出するのと、水を使うのとでは、全く風味の異なったものが出来上がる。 お茶に限らず、最近は水出しコーヒーも良く見かけるようになったし、水出し烏龍茶もある。 専門家に言わせると、「使う水の温度によって抽出される成分が違ってくるので、当然味わいも違うものになる」そうだ。

水出し系の利点は「クリアな出来上がり」に集約されるように思う。 色調は淡いことが多く、雑味がない純粋な印象。 特に日本茶においては、まったりとした甘さが強調されて、煎茶を使っても玉露のような印象に近づく。 低い温度の水を使うと、タンニンの抽出量が極端に少なくなるからだそうだ。 紅茶ではクレムダウンと呼ばれる、抽出液の温度低下に伴ってタンニンが白濁する現象を避けることもできる。 グラスに入れれば、美しく透き通った紅茶色を目で楽しむことができる。 一方の欠点は、とにかく時間が必要なことだろう。 思い立ってすぐに飲めるものではない。 最低でも1時間は欲しいから、計画的に前もって準備しておく必要がある。

私は紅茶党なので、夏は水出し紅茶もいろいろと作ってみたりする訳だが、個人的にはクリアすぎて物足りないような感想を否めなかった。 上品すぎるとでも言おうか、間違いなく美味しくはあるのだけれど、夏場は刺激的なものを体が求めるせいもあって、インパクトが弱すぎて物足りなかったのである。 「お湯と水の中間くらいの出来上がりになったら美味しそうだな」、と、思って、次の瞬間、「そんなことは、もしかしたら、なんでもないことなんじゃないか?!」、と、気付いた。 お湯が仮に100℃、水が15℃としたら、真ん中辺の60℃くらいのぬるめのお湯を使えばいいんじゃないか?、と。

何事もやってみなければ気が済まない性分である・・早速実験。 60℃というのはようやく指を入れられる限界位の温度だ。 やかんを中途半端に沸かし、通常と同じ分量の紅茶茶葉(ティーバッグのようなブロークンタイプではないもの)をポットに入れ、通常の分量のぬるいお湯を注し、蓋をして20分。 この時間は思いつきで、根拠もなく適当に決めた。 室温で自然に温度を下げながらじっくりと抽出させ、氷を入れたカップに注ぐ。

結果は、熱湯を使っていつものように抽出する紅茶に60%近づいた水出し紅茶が出来上がった。 渋みのバランスは狙った通りなのだが、水出し独特のまったり感が足りない。 もっと低い温度でもよさそうだ。 うーん、やはり一発では決まらないな。

近いうちにまたチャレンジして、自分好みの水出し方法を見つけたい。 こういった、あんまり意味のない「拘りの為の実験」は、アイデンティティーを確立してゆくプロセスのようで、嫌いじゃない。 でも、真夏のくそ暑い時期に、頭が働かない状況下でやる様な事でもないのかもしれないけれど・・苦笑。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »