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2008.08.29

念のようなもの

夏バテと呼ぶには相応しくない気がするけれど、集中力が続かない。 気合が入らないという言い方もできるか。

父のお世話になっている老人施設には、認知障害のある方々も多い。 私のことを職員さんと間違えているわけでもなく、どこかの誰かさんと勘違いして、どんどん一方的に話しかけてくる。 で、話の内容があちらこちらに飛び火して辻褄合わないままに、感情だけが高まってしまうのか、いきなりオイオイ泣きだしてしまったり。 嗚咽に気付いた職員の方が私に迷惑をかけてはいけないと慌てて飛んできて、「あらぁ○○さん、もうすぐオヤツの時間だから手を洗って準備しましょうか?」なんて話しかけると、いきなりケロッとして去ってしまった。

上手く表現できないのだが、認知障害を持つ方と接していると、その人の内部に物凄く強い念のようなものがあるのを感じる。 閉じられた回路の中でびゅんびゅん回っている内に、どんどんエネルギーが増加してしまったような、爆発力に近い「何かの力」の存在。 きっと表現したいことがあるんだろうな、と、思う。 でも、自分が思ったようにそれを表現できないんだろうな、とも。 それがストレスのような負の力なのか、模索のような正の力なのか、混じったものなのかは判らないのだけれど。 相手の中で念のような何かが明らかに暴走しているのが伝わる。

なので、認知障害を持つ方と接する場合は、意識的に自分の回路を閉じて、強い念の影響を受けないように防衛する。 そうでもしないと、こちらのエネルギーがあっという間に持っていかれてしまうからだ。 回路を閉じるという書き方をしたが、それは会話をしないとかムスッと表情を出さないとか、そんなことではなくて、相手の持つ回路上に同調しようとする私の回路だけを選択的に閉じるということ。 まずいなと思ったら、そこからでも意図的に閉じる。

それでもたまに閉じるのが間に合わなかったり、うっかり閉じるのを忘れた状態のままで相手の念を受けてしまう事があって、そうなると2~3日おかしなことになったりもする。 まさに今がその状態。 自分の回路を閉じるという防御だけじゃなくて、効率的にチャージする方法も身につけなければな、と、思っている。 これでも科学的なトレーニングを受けた人間の端くれなので、非科学的な事はあまり認めたくないのだけれど、瞑想とかそっちの領域が役立つだろうか? さて?・・?

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コメント

役にたつのでは?

一時期、体が痛くてヨガをならっていたことがありますが、
ヨガも瞑想の一種ですね。何かに影響をうけてダメージをうけたような感じのときにはものすごく威力を発揮したのをおぼえています。

もちろん、ヨガにもいろいろあるので、体を鍛えるようなタイプのものではなくて、呼吸に重点を置いたタイプのものです。自律訓練の一種だとおもうと科学的に理解しやすいです。

投稿: kumi | 2008.08.30 22:14

アーやっぱり有効なんだ・・そんな気がしたんですよ。

なにせ「前頭葉型人間」であることを自覚しているものですから、どうも頭で考えたり根拠を考えたりしてしまう習慣が強く、アップしたような状態の時には、自分で自分の首を絞めて苦慮する目にあいます。

そうか、なるほど確かに自律神経系の訓練だと考えれば、抵抗感はかなり減ります。

仏教の修行では、ほぼ無意識に言葉を唱える(お経がそれに当たるらしいですが。)ことで、言語領域から言葉を発するのではなくて、感覚領域から言葉を発することで、「開かれた状態(つまりチャージする状態)」に自分をコントロールする感覚をつかむそうです。 それを覚えると「禅」(瞑想)が身に付くと・・。 多分イコール、ヨガに通じるのではないでしょうか。 呼吸、身体、言葉、入口はいろいろあるのでしょうが、目指している状態は、どれもみな近いもののように見えます。

この秋、やってみますかね。

投稿: リーボー | 2008.08.30 23:50

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