特別な日
プレゼントを貰った。 ビールがひと箱。 さすが私のことをよく知っている方なので、ど真ん中ストライクの品物を選んでくれるのが嬉しい。 ここ数日はめっきり肌寒くなり、ビールもあまりキンキンに冷やしすぎないようにして楽しんでいるが、冷やさないとちゃんとしたビールかそうでないかの差が非常に大きくなり、結果として安易な商品には自然と手が伸びなくなる。 ビール好きの人は心得ているので、何も言わなくても商品選びに間違いが無い。 そのあたりの信頼感が、実はとてもありがたい。
普段何気なく過ごしている「ただの一日」、又は単なる「ある日」であったとしても、お祝いの言葉をいただいたり、実際にプレゼントをいただいたりすると、いきなり「特別な日」に変わる。 「特別な日」は誰かに位置付けてもらうものなのかもしれない。 そうなると、自分も当然意識せざるを得なくなり、慌てて意味合いを考えてみたりするのも可笑しい。
『誰かに位置付けてもらう』と言えば、思い出したことがある。
かつて、仕事で今知り合ったばかりの相手に、いきなり「お誕生日はいつですか?」、と尋ねられ、『えっ、どうしてそんな質問に答えなくちゃいけないの?』と内心驚かされたことがあった。 「あっ結婚されているんでしたら、結婚記念日も。」 質問には答えないまま、どうしてそんなことを聞くのかを、逆にいろいろ聞いてみると、その人は知り合いの記念日には必ずカードを贈ったり、電話をかけたりしているとのことで(今ならきっとお祝いメールということになっているのだろう。)、手帳にはぎっしりと誰かさん記念日が書き込まれていた。 私は相手の「マメさ」に感動しつつも、半分呆れてしまった。(別にその方は客商売の仕事ではなく、一般的な事務の仕事に就いていた。)
「どの辺の親しさの相手までお祝いしてあげるの?」、と、尋ねたら、「出来るだけ多く。」だそうで、「だって、お祝いされたら誰だって嬉しいじゃないですか?!」、と言われた。 「切手代、大変じゃない? カードだってただじゃないし・・」 「そうですね、もういろんなカード買うのが趣味みたいになっちゃってますね。」、と笑う。 私はしばらくウーン・・と考えてから、「大丈夫。 例え私があなたにお誕生日をお祝いしてもらえなくても、あなたのことを仕事仲間としてちゃんと忘れないようにしますから。 これから個人的に友達になれるかどうかは、まだ分からないですけど、とりあえずそんなことで友達かどうかを量ったりしませんから、安心していいですよ。」、と言ったら、そんな事を言われたのは初めてだ、と、いきなり泣き出されてしまった。
私は、尋ねても記念日を教えてもらえなかったのが悲しくて泣きだしたのかと思っていたのだが、ずっと後になってその人から手紙をもらい、実はそうではなかった事を知らされた。 相手に嫌われたくないという過剰防衛で、相手の記念日を祝ってあげないと不安で仕方なかったという話だった。 きりが無いのに止められず、自分でも爆発しそうで途方に暮れていたような状況だったらしい。 「脅迫記念日お祝い症」みたいな状況だったのだろうか? 結局、その相手とは個人的友人に発展しなかったので、お互いの記念日を祝う関係にはなれずじまい。 でも、とても印象に残っている。
世の中には、「相手と出会った記念日」に始まって、「デート記念日」、「告白記念日」、「キスの記念日」などなど、事細かに全部大事にしている人もあると聞くが、そういうものにほとんど拘らない私には、どこか別の世界の話のように思える。 本当に大切にしているのは、他の人の記念日も含めて両手でお釣りがくるほどしか無い。
あまりたくさん抱え込んでいると、特別のありがたみが薄れてしまうから、やっぱり「特別な日」は少数先鋭くらいでちょうど良いんじゃないか、という気がする。
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