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2008.10.31

ネット利用者だってば

某大手流通会社からカタログが届いた。 「どこから個人情報が漏れたか?」、と、思いつつ開封すると、挨拶状に「○○のネット通販をご利用のお客様に、年末に便利な品々をご紹介云々・・」とある。

ちょっと待ってよ。 ええ、確かにおたくのネット通販は利用しましたよ。 でも、あたしゃこういう紙のやり取りが面倒臭いからネット通販を利用したのであって、それに「今後ご案内を郵送しても構わないでしょうか?」の質問に、しっかり「いいえ」ってポチした筈ですけど!! 速攻で挨拶状の末尾に印刷されている問い合わせ先の「お客様センター」に電話する。 第一、ネットの顧客の問い合わせ先が電話指定になっているのも変な話だ。 新種のピッキング詐欺か、と、緊張する。

「すいません、そちらからのカタログ送付を取りやめる手続きを、再度していただけますか。」 電話の向こうはうら若き女性。 「・・?? お客様、こちらはネット通販のお問い合わせの電話ですが・・。」 「そうですよね。 でも、確かにそちらが発送元でカタログが送られてきて、しかも印刷されている問い合わせ先はそちらになっているんですよ。」 「えっ、そうなんですか?」 明らかに相手も戸惑ってる。 「お客様は当社のネット通販を利用されたんですよね。 その他に店頭で伝票を使ってご注文なさったことは?」 「あ・り・ま・せ・ん!!」 「お手元には何が届いていますか?」 「お歳暮の商品カタログと、クリスマスとお正月の準備商品のカタログです。 わざわざ『ネット通販をご利用のお客様へ』という挨拶状も同封されています。」 「そうですか・・。 申し訳ございませんでした。 ネットで購入していただける方にカタログを送付するのは失礼ですよね。 そのような事実はこちらも把握していなかったので、至急お調べしてから改めてお電話をさせていただくのでよろしいでしょうか。」

で、けっこう経ってから返事が来た。 確かに同社内の別部署が送付したとのこと。 だが、これはネットのお客様に対して失礼となる可能性があるので、社内で検討する旨の報告。 そして、とりあえず私の所には今後もカタログを送らないような措置を講じたとのことだった。 問題点の把握の仕方が正しく思われたので、一応納得することとする。

従来のように対面での手続きや購入、カタログと注文票でのやり取りを希望する方には、それなりの方法で商品を売り込めばよいのと同様に、ネットを使うことを選ぶ客には、相応しい手段を選んでもらえないと困る。 せっかくネットを使っての方法を「意識的に選択して」使ったのに、その意味が無くなってしまう。 もし、会社が従来のような方法で顧客に利用して欲しいのなら、ネット通販サイトなど設けない方がましだ。

利用者の住み分けが理解できていない会社は、危機感を覚えていただきたい。 どこまで付き合うのかは、それぞれの会社が決めればいい。 つまりそれは顧客の種類を選ぶことだ。 どれもこれも手を延ばした揚句にシステムが不完全なのは、お客側としても(きっと現場に居る会社の社員も)やり難くって仕方がない。

とりあえずこの大手流通会社には、私の中でマイナスのポイントが付いた。

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2008.10.30

基準

父の肺炎は少しずつ快方には向かっているらしいが、高齢者は病状が悪化するのもゆっくりならば治るのもゆっくりになるものらしく、「まあひと月くらいは(入院していただかないと)・・」、という話だ。 それでもベッドではなく車椅子に座る時間が長くなってきたり、それなりに発語も表情も増えてきたので、本人も少しは楽になって来たのかな、と思う。

思いつく単語をそのまま口にしてくる感じなので、「驚いたなあ」とか「近いんだろう?」とかいきなり言われても、父が何に驚いているのか、何が何に対して近いのかは通じない。 たとえばそこで「驚いたんだね。 で、何に?」なんて聞いたところで、全て「わかんない」と返されてしまう。 だから、こちらもあまり突っ込まずに驚いたと言われれば「驚いたんだね」と受けるし、「近いんだろう?」と言われれば「家と病院は近いね」などと想像を駆使して、父が言いそうな話題から引っ張ってくる。 果たしてこれが会話なのかは、それこそ「わかんない。」 ある意味こちらサイドからの一方方向に限りなく近い。

そんな父の言葉に接していると、私達が普段考えたり喋ったりする時には、必ず自分の内部にある基準と比較していることが解る。 通常あり得ないことが起きれば「驚く」のだし、考えていたよりも近距離だから「近い」のであり、その基準がぐらついていると相手に伝わらないのである。 例えば、夜に夕食を摂るのは当たり前のことだとされているが、夕食を摂る事を忘れているとか、夕食を食べることを想像し得ない状況下で配膳されれば、それは十分驚きに値することとなる。 だから、父は今、自分の身の回りに起きている全てのことが驚きであり、初めてのことのように緊張を強いられて混乱する。 毎日同じことが同じ手順で繰り返されることで初めて「新たな基準」が彼の中に構築されて、それが安心につながるのだろう。 私達ならば新しい環境を楽しむ余裕もあるだろうが、残念ながら父にはその余力は無いようだ。

父はまだ私達の顔は認識できる。 だから、なるべく父の目前で看護師さん達と談話しながら、「子供達と看護師さんが親しげなんだから、看護師さんも信頼できる」というような二次的回路で前向きの基準を構築してもらおうと、こちらも努力中。

父と話をしている時に、いきなり会話に飛び込んできた隣のベッドの男性患者さんが、病院の近所の地理的な状況を解説するような口調でさんざんご立派に話された後で、看護師さんに「○○さん、寝巻を着替えましょう。」と言われ、ひょいひょいと自分で車椅子をこいで廊下の向こうの食堂に行ってしまった。 「あらあら、そこはご飯を食べる所ですよ。」と、戻されてきた彼を病室にお迎えし直しつつ、お隣さんも基準を失っていることを知る。 どの部分の基準は正しくてどの部分がずれているのか、それとも全部ずれているのか?  基準がずれてしまった相手に囲まれて時間を過ごしていると、影響されて私の基準もぐらついてきて何が何だか混乱してくる。

基準なんてすぐに揺らぐ弱いもののくせに、それに基づいて考えたり話したり生活したりしているのかと思うと、少し怖い。 基準の複数形が常識なのかと思うと、もっと怖い。

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2008.10.29

ちょっとしたラッキー

給湯器の「お茶」。

自分の番でお茶っ葉のカートリッジが交換され、たまたま一番茶だったりすると、得しちゃった気分で嬉しい。

なんだかセコイ気がしなくもないが・・。

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2008.10.26

酢だけがポイント

店先でたくさん見かけるようになった里芋で、ほっこりと煮物を。

鶏手羽と里芋の煮物

  • 鶏手羽元なら5~6本、手羽先なら10本くらい
  • 里芋          6個
  • 人参          半本
  • 干し椎茸        3枚
  • 水            250cc
  • 酒            大さじ3
  • みりん         大さじ1
  • 砂糖          大さじ1
  • 醤油          大さじ2と半
  • オイスターソース   大さじ半
  • 酢            小さじ半
  1. 干し椎茸を分量の水で戻し、一口大に切る。 手羽は骨に沿って切り込みを一本入れてから室温に戻しておく。 人参は大きめの乱切りに。 里芋は泥を洗って、皮付きのまま耐熱容器に入れてラップをかけ、電子レンジで4分加熱後、粗熱を冷ましてから皮を剥く。 大きめのものはふたつ切りにしても。
  2. 鍋に干し椎茸の戻し汁、酒、みりん、砂糖、醤油、オイスターソース、酢を入れて火にかけ、煮汁が沸騰してから、鶏、里芋、人参、干し椎茸を入れてアクを取り、落とし蓋をし、中火~弱火で20分ほどコトコト煮る。
  3. 一度火から下ろして、鍋ごと室温まで冷ます。
  4. 食べる前にもう一度火にかけて、煮汁をお好みの濃さまで煮詰めてから、盛りつける。

前日にでも時間のある時に作っておけば味が染みて便利。 インゲンなどを塩茹でして青味として添えれば、より見た目もきれいに。 手元にあれば八角(スターアニス)をひとかけら入れて煮ても。 落とし蓋がなければ、キッチンペーパーやアルミホイルで代用を。 

昔のように「鶏肉臭い鶏肉」には出会わなくなった気がするので、生姜もネギも使いません。 鶏肉があまり好きでない方は、臭み抜きに香味野菜を加えていただければ、と。

分量はほんのちょっとだけですが、酢を入れるのと入れないのでは雲泥の差! 忘れずに使ってください。 多分唯一のポイントです。

ルセットで肉を煮込む前に「しっかりと表面を焼いてから」という記載をお決まりのように見かけますが、洋食の『軽い煮込み』のようにソースに和えるだけのような調理ならまだしも、和食でじっくり煮込む場合には、焼きつけようが焼き付けまいが出来上がりの美味しさの違いに、大きな差は無いように思います。 あくまでも個人的感想ですけど・・。

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2008.10.24

悔しいけど電池切れ

朝起きた時から既に体が重たくてどうしようもなかったので、「昼寝をします宣言」をして昼食の片付けもそこそこに横になると、即爆睡モードに突入。 おかげで夕方には順調に復活できた。

目覚めた時にも寝る前と全く同じように雨が降り続いていたことが、昼寝の罪悪感を払拭してくれた。 時間軸を寝る前と目覚めた時の2点でスパッと切り落して、何事も無かったようにスプライシング・テープで繋いでしまったような、そんな感覚。

仕切り直しの気分で夕食を作る。 丸々と太ったイワシを買っておいたので、三匹は開いて蒲焼にし、残りの一匹は包丁で叩いて片栗粉でつないで丸め、大根とネギとシメジも入れて略式つみれ汁に。 EPAをたっぷり摂って明日は通常ペースでいけることを自分に期待したい。

「私も年取ってきたな・・」、と、どこか他人事のように思った。 こんな風にして徐々に衰えに慣れてゆくものなんだろうな。 「無駄に抗わず、淡々と行こう!」なんて自分に言い聞かせてみた。 

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2008.10.23

何故か重なる

私の実家に顔を出して前述のお金の話を相談した上で方針を決め、金融機関へ付き合い、タイミングを合わせて仕事帰りに実家に来てくれた兄も一緒にみんなでお酒を飲んで、ついでにお墓掃除とお参りを済ませて、いつもながら『あれもこれもの濃い上京』から戻ってきたら、今度はこちらの父が入院である。 信じられないことに、上京と義父の入院が重なるのはこれで三度目・・。 なんでこういう時に限って重なるんだろうか?

肺炎。 主治医の話を聞きながら眩しいシャーカステンの上に展開されている肺の写真を横目で見て、思わず「あっ」、と声を出してしまった。 ご丁寧に肺の中に水まで溜まっているではないか! げーっ、これはヤバイ状況だったな、と、一瞬にして背筋が寒くなる。 隣に並べられた二枚目の写真の回復状況と比較して、落ち着くんだ、大丈夫だ、と、ようやく自分に言い聞かせた。 高齢者は症状が表に現れ難い、という大昔習った老人看護の基本が頭の中をよぎった。

本人は現実に反してあっけらかんとしたもので、体の苦しさを全く自覚していないばかりか、高熱を出していたことさえも覚えていない。 それよりも彼自身が問題にしているのは、「みんなに騙されて、こんな所に連れて来られて、こんな痛い思い(点滴や採血等のこと。)をさせられているので、何とか早くここから帰してもらいたい。」ということ。 ・・つまり、認知障害の為に自分の置かれている状況が全く把握できていないのであった。 夜間もずっと看護師さんたちに迷惑をかけていたらしい。 会話の内容が二転三転するハチャメチャな状況の中、今ここが病院であることから始まって、今その体に何が起きているのかを何とか理解してもらうために、こちらも相当なエネルギーを消耗する。 当然一度の説明で解る筈もないので、多分ここ数日は根気の要る繰り返しになるだろう。 とにかく安心してもらうこと、それしか方法は無い。

苦しいことを自覚しないのは、ある意味において本人にとっては幸いなことかもしれなくて、それだけが救いである。

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2008.10.19

山の秋は深まる

洗濯物を干そうと外へ出ると、大きなカマキリが同じくらいに育った別のカマキリを共食いしている。 ああ、もうそんな時期になったか、と、思いつつ、しゃがみ込んでしばらく見せてもらった。

秋の山は静かで、しょりしょりとカマキリが食事を進める音が聞こえるほど。

食べられている方もまだ生きているのに、じたばたと無駄に動いたりはしない。 既に何かを諦めたように落ち着き払って、食べられるがままにしている。 まるで生まれた時からやがてこうなることを知っていたかのように。

今季一番の木枯らしに吹かれながら、『捧げる』ということについてしばらく黙想した。 「一粒の麦が地に落ちて死ねば、やがてそこから麦が育ち多くの実を結ぶ」、という聖書の一節が浮かんでは消えしていた。

おなかいっぱいになったカマキリが卵を産みつける時期も、きっともうすぐ。 卵が地面から高い位置に産みつけられた年は、雪がたくさん降るらしい。 この冬はどうかな?

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2008.10.18

いまどきの世の中

ひょんなことから両親が投資信託を持っていることを知った。 ここで「投資信託で資産運用をしている」と書けなかった理由は、後でお分かりいただけると思う。

「金融市場がめちゃくちゃな事になってるけど、ちゃんとチェック入れてる?」 「ううん、だって解んないもん。」 「そうだよね、明日のことが読めないような動きだもんね、毎日。」 「ううん、そうじゃなくて、投資信託って言われたって、何が何だか解んないんだもん。」 「えっ?!(←思わず絶句する私。) だってどこかの金融機関の営業の人から買ったんでしょ? 契約する時に説明ちゃんとしてくれなかったの?」 「説明は丁寧にちゃんとしてくれたけど、聞いても解んないのよ。」 「投資信託は元本割れのリスクもある代わりに、儲かるかもしれないんだから、自分たちで判断しなくちゃならない、って言われなかった? これだけ株価が乱高下していると大損を抱えていやしないかと心配だから、一応聞いてるんだけどね。」 すると、「だって、そんなこと(営業の人は)言って来ないもの。」 ・・返す言葉が無い、という状況を久しぶりに経験した。

さて、どうしたものだか、どこから手を付けたらよいのやら、と、経済センスの無い頭をフル回転させつつ、とにかく何という名前の商品をどれだけ・いくらでいつ契約したのかを尋ねてみたものの、「調べてみないと分からない」と言われ、「調べてから電話をかけ直すから待っていて」、の、結果が「書類を見たけどどれがそうなのか判らんない」、である。 がーん。 「いくら払ったか、覚えてない?」 「たいした額じゃないのよ。」 ・・そういう問題ではない!!、と、頭ごなしに怒りだしそうになる自分を抑えて、ようやく聞き出したことによれば、どうやら余剰金と呼べるお金をそこに回したらしい。(父は普通のサラリーマンだったから、そんなものがあるとも思えないのだが・・。) それなりに考えて『とっておかなければならないお金』ではないお金を出資したらしいことに、ちょっと安心するが、とにかく近日中にそちらへ行くので契約書を見せて欲しいと頼んだ。 「ああ助かるわ。 ちゃんと教えてちょうだい。」

親の名誉の為に一応書いておくが、決してボケた状態の人達ではない。 一般的な自立した日常生活を、普通に過ごしている。 はじめは、私に詳しく知られたくない特別な事情があって、何かを隠しているのかな?、とも一応疑ってダイレクトに聞いてみたのだが、それはないらしく、普段から他人行儀にしている親子関係でもない。 本当に『単に解っていない』様子なのだ。

冷静になって色々と考えてみると、まず、今までお金のことをしっかり話し合ったことが無かったな、と、少々反省した。 年金で『食べて、そこそこ遊べるくらいの状態』だし、もしもの時の為の預貯金も多くないがあるから心配しなくて良いと言われ、「おこずかいを渡そうか」という私の申し出を辞退されたきり、こちらも安心してそのまんまにしていた。 親ももう『いい歳』だし、ここらで一度ちゃんとお互いに話し合っておいた方が良さそうだ。

話していて感じたのは、両親がちょっと怖いほどに『社会のシステムを信用している』こと。 商品を買ってくれた相手が損をするようなことになれば、売った会社が知らせてくれたり、国が助けてくれたりする筈だ、と、いうような、『ピュアな良心に基づいた関係』の中に自分達が置かれていると信じて疑わないような印象を、強く感じた。 要約すれば、世の中の変化に順応しきれていない時代遅れのお人好し、か。 人間として、決してまちがってはいないんだどなあ。 きっと自己責任の考え方、自由競争の中から生まれるシビアな顧客争奪戦などの実態が、感覚の根底で理解されていないような気がする。

確かに、私が幼少時代に我が家に出入りしていた銀行の営業マンは、がんばってそこそこの管理職にまで昇格し、お礼の報告に来たりしていた。 多分いくつかの契約で、彼の営業成績を伸ばすことを間接的に手伝ったことになっていたのかもしれない。 「お願いします、僕を助けると思って。」なんて言われたかどうか知らないが、頭を下げられた時にそれを受けるかどうかは、営業マンとの信頼関係に左右されただろう。 大事な顧客に損をさせないように、と思えば、会社にとって不利益な情報でさえ流してくれたことも、もしかしたらあったのかもしれない。

でも、今はそんな悠長な世の中ではなくなってしまった。 銀行でさえ窓口や営業業務の方たちの多くは正社員でなく派遣社員なのだ、という話をすると驚いていた。 「そんなこと名刺に書いてないじゃない!」 いや、そういうことでは見分けつけられないから(苦笑)。 みんな日々のお金を手にするのに必死だ。 売りつけるものが良心的な商品か方法かどうかなんて、考えている暇も余裕もなくなっているのが現状だろう。 良心の呵責を感じて躊躇する者は、あっという間に尻尾切りに合う。 振り込め詐欺も、お年寄りを集めて集団心理を煽って高額商品を売りつける方法も、相手の良心を利用しているのだし。 そうでなくても、若い年代相手に物が売れない今、日常生活に困らないお年寄りは、それだけで十分にターゲット・・そのことを本人たちがどれだけ自覚しているだろう。

まあ、これまで大きく他人に騙されることもカモにされることも無く、また、親子でちゃんと話ができる状況にあること、この二つだけをとっても、十分過ぎるほどありがたいことには違いないのだけれど。 私が自己責任の話をしたら、両親の感覚の中では「相手を信頼しないように」ということに繋がってしまうような気がする。 愛情を注いで人間として生きてゆく上での基本を教えてくれた自分の親に、そんなことを話さなければいけない世の中なのか、と、思うと、それが情けないような悲しいようなで、ちょっと気が重いのである。

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2008.10.13

言い訳がましい

毎日一回は、相応しくないコメントやTBがくっついていたりしないかと、一応、管理者としてはチェックしておりまして。 ついでにアクセス解析なんぞを見てしまいますと、RSSリーダーを使わずに、「更新されていやしないか」と、そちらも毎日チェックにおいで下さっている方々のIPアドレスが羅列されておりまして、ですね。 いやあ、本当に申し訳ないことをしている・・と、恐縮しているリーボーでございます。 御来訪いただき、ありがとうございます。

なんだか頭の中が『ひっちゃかめっちゃか』な感じで、どうも落ち着かないんですよ。 特別に何があったという訳でもない筈なのですが。 自分で言うのも変ですけど、多分私、今、賢いですわ、きっと。 思考回路の情報処理スピードが速い! まあ長くは続かない筈ですけどね(苦笑)。

元気にはしておりますので、ご安心いただいた上で、新しい記事の更新をもう少々お待ちいただけるとありがたいです。 ぺこり。

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2008.10.08

マコモ(ダケ)

大きいものを3本いただいた。 「あ、皮を剥いて軽~く茹でてね。 炒め物なんかにすると美味しいわよ。 ゆっくり炒めるなら下茹でしなくても大丈夫。」、だそうだ。

マコモ(ダケ)は昔一度食べたきり。 その時はカボチャやブロッコリー、エリンギなどと一緒に小型のセイロでスチームされていたものを、何かのタレにつけながら食べたようなおぼろげな記憶が。

第一、マコモなんだかマコモダケなんだかすっきりしないし、「茸(ダケ)」と呼ぶ割にはどう見ても野菜だし・・。 これもきっかけと思って調べてみることに。 すると、マコモという植物の新芽に黒穂菌という菌が寄生し、その結果巨大化したものがマコモダケであることが判明。 驚くのは太古の昔から神聖な植物とされてきたとのことで、ブッダや神道にも深いつながりがあったりするとのこと。 へぇー、そんな凄い野菜だったのか、と、俄かに感心し、目の前のマコモダケを見る目が変わる。 今では健康食品の一種としても脚光を浴びており、粉末化したものや、その粉末を錠剤にしたものを売っていたり、「まこも風呂」なる入浴剤まで存在している。 すっかり「いやはや、何も知らずに失礼をいたしました」、という気分になった。

とりあえず焦げ目がつくくらいまでじっくり焼いて、そのまんま食べてみる。 「ナス味のアスパラガス」とでも表現しようか、特に味も風味も強いものではない。 どこか遠くの方で甘い味がほんのりと。 切った時に見える内部の黒い斑点は黒穂菌だそうだ。 不思議な気分になる。

個性が強くないだけに、逆になににでも使えそうなので、色々と試してみようと思っている。 ヒットのメニューができたらアップするつもりではあるが、正直なところあまり自信がない。 ・・私はどうも、個性が強い相手の方がやりやすいみたいなので。(笑)

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2008.10.07

自分のアク抜き

夕方、何気なくネット配信されてきたニュースの羅列を見ていて、「二十歳の女性が自宅のトイレで出産し、周囲に出産したことを気付かれたくなくて、その場で子供の首をナイフで傷つけて殺した」、というのを読んでしまった。

どんな背景があったのかは、知る由も無い。 一瞬にして、相反する内容の様々な思いが、どばーっと自分の意識に浮かび上がってきたが、その中で最も強かったのは、狭いトイレでどんな底なしの孤独と闘いながら『あの強烈な陣痛の痛み』に耐えていたのだろうか、ということで、それを思ったら勝手に涙が出てきてしまった。 初産だったらそこそこ時間もかかる筈で、しかも、生まれて来る自分の子供の命を、自分が断つことも決めた中で。

あまりにやるせない、切なすぎる話ではないか。

二十歳にもなってそんな「責任の取り方」しかできなかったのは情けない、とか、彼女が心を開けるちゃんとした大人が近くに居なかったのか、とか、考えればきりがないのだけれど、それらを全部吹き飛ばす程の切なさだった。

しばらく泣いて、それでも泣いていたところで仕方ないから、気分転換で散歩に出かけた。

まだ「プチ病み上がり」の自覚があったので、のんびり歩くつもりでいたのに、いつもの習慣で走り出してしまい、気付くと思ったよりも体が軽い。 これならいけそうか、と、そのまんまゆったりペースを上げずに走る。 もしかすると体重が少し減ったのかもしれないな。 わざとさっきのニュースを忘れるふりをして風を切った。 ちょうど金木犀の花が盛りで、お洒落な香りを振りまいていたので、それを吸いこんで体中に巡らすようなイメージを抱きながら。 それだけに集中するようにしながら。

何となく足が重たくなるまで、約30分。 さすがに無理はしないでおいた。 気が付くと結構な汗をかいていて、Tシャツがぐっしょり。

数日前の発熱と今日の涙と汗で、私の中に溜まっていたアクが流れ出たような気がした。 ちょっとすっきりした頭で、改めて自分は大人として何をすべきかを考えている。 

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2008.10.05

とある秋の日に。

● 今年はやけにアケビが豊作。 端から順番にぱっくりと口を開けてゆく様子は、見ていてなかなか面白い。 この感覚は何かに似ているな、と、しばらく考えて思い出したのは、アサリの酒蒸しを作る時のものだった。 ついついじーっと見てしまう。

●兄が気の早い来年用の卓上カレンダーを届けてくれた。 もう10月なんだよなあ・・。 彼の撮った写真が各月一枚ずつ、綺麗にプリント・アウトされている。 同じ血を引いた身近な人にこんな芸術的センスがある人が居るのが、なんだか不思議な気分。

●富士河口湖町の和菓子屋さんで受注生産されているらしい「十万円饅頭」という、金箔をこれでもかとまぶしたお饅頭の写真を見て、『ますたあ』と大ウケする。 たかが饅頭、されど饅頭。 比較的安価な商品をそれなりの高額商品に作り替えるのは、なかなか難しいことなんだろうな、などと、あまりのナンセンス加減に驚嘆のため息が出る。

●ここ数日、体の中のバランスがどうもちぐはぐな感じを自覚していたら、午後になってバッと熱が出た。 これで治るか?と、逆に期待。 これから雨らしいし、しっかり寝ることにしよう。

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2008.10.02

くさや

探していたのになかなか見つけられなかった「くさや」を、ついに見つけたので迷わず買ってきた。 ご存知ない方の為に一応書いておくと、「くさや」というのは主にムロアジというマアジよりも大型で脂肪の少ないアジを使った干物の一種で、干す前に「くさや液」という魚醤のような発酵液に漬けてそれを浸み込ませるのだが、それがなんとも独特の、且つ強烈な臭気を持つので、特に関西方面出身の方には食べられないという人も多い。 伊豆諸島特産で、マアジやサバ、トビウオなどで作ることも。 干物だから旨味自体は十分濃縮されており、匂いの問題さえクリアされれば、とても美味しい食べ物であることに間違いは無い。

購入した「くさや」も真空パックに二重に密封された上、もう一枚しっかり袋状に包装されていて、外に匂いが漏れないよう厳重な体制・・。 ここまでする必要があるのか?、といった懸念は、はさみで封を開いた瞬間に完全に打ち消された。 こんな臭かったっけ??

この段階で怯んでいても始まらないので、意を決して火の上で焼く。 窓は最大にオープン、換気扇もばっちり。 匂うけど美味しそう。 身が反り返って皮目が軽く焦げたところで火から下ろし、サランラップを敷いた調理台の上へ。 こういう時にはほかのメーカーのラップでは不安だ。 ばっちり匂いが漏れない対策をしておかないと。 火傷をしない程度に粗熱を取って、よく洗った手で身をほぐしながら骨や皮を除き、小さめの一口大にして器に移す。 で、またすぐにサランラップで蓋。

久しぶりの「くさや」はとても満足の美味しさだった。 白いご飯に良く合うし、濃い旨味がたまらない。 たくさん平らげる種類のものではないにしても、後を引く。 これをお茶漬けの具にするのを好む方も多いらしい。 お湯をかけても負けないほどに濃縮された美味しさ、ということなのだろうと思う。

満足して夕食の洗い物を済ませ、PCの前でキーを打っていると、どこからともなくふんわりと「くさや」臭い。 食べた自分の体から匂っているのか、と、慌てて腕や肩口の辺りをクンクンしてみるが、さすがにそれは違うようだ。 匂いの源は指先だった。 指に鼻を近付けると、確かに少し匂う。 洗剤も使い、水も流してじゃぶじゃぶ食器を洗った後だというのに、まだ匂っている。 「くさや」パワー恐るべし。

翌朝キッチンに足を踏み入れると、またどこからか「くさや」臭い。 残りをしまった冷蔵庫をチェックすると、さすがにこちらはサランラップに封じ込められているようで、庫内の空気は無事な様子。 どこだぁ?、と、鼻で追跡したら、焼き上がってから取り除いた骨や皮を片付けた生ゴミ入れだ。 袋を貫通して匂いだけ外に漂っている。 ああそうか、骨や皮もサランラップで包んでから捨てないといけなかったか、と、気付いても後の祭り。 そそくさと庭のコンポストに運んだのが、朝一仕事になってしまった。 発酵の威力は、本当に凄い。

まあ、あちらこちら「くさや」臭くなりながらも、それでもやっぱり私は「くさや」を美味しいと思う。 年に一度くらいは食べたいな。

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