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2008.10.07

自分のアク抜き

夕方、何気なくネット配信されてきたニュースの羅列を見ていて、「二十歳の女性が自宅のトイレで出産し、周囲に出産したことを気付かれたくなくて、その場で子供の首をナイフで傷つけて殺した」、というのを読んでしまった。

どんな背景があったのかは、知る由も無い。 一瞬にして、相反する内容の様々な思いが、どばーっと自分の意識に浮かび上がってきたが、その中で最も強かったのは、狭いトイレでどんな底なしの孤独と闘いながら『あの強烈な陣痛の痛み』に耐えていたのだろうか、ということで、それを思ったら勝手に涙が出てきてしまった。 初産だったらそこそこ時間もかかる筈で、しかも、生まれて来る自分の子供の命を、自分が断つことも決めた中で。

あまりにやるせない、切なすぎる話ではないか。

二十歳にもなってそんな「責任の取り方」しかできなかったのは情けない、とか、彼女が心を開けるちゃんとした大人が近くに居なかったのか、とか、考えればきりがないのだけれど、それらを全部吹き飛ばす程の切なさだった。

しばらく泣いて、それでも泣いていたところで仕方ないから、気分転換で散歩に出かけた。

まだ「プチ病み上がり」の自覚があったので、のんびり歩くつもりでいたのに、いつもの習慣で走り出してしまい、気付くと思ったよりも体が軽い。 これならいけそうか、と、そのまんまゆったりペースを上げずに走る。 もしかすると体重が少し減ったのかもしれないな。 わざとさっきのニュースを忘れるふりをして風を切った。 ちょうど金木犀の花が盛りで、お洒落な香りを振りまいていたので、それを吸いこんで体中に巡らすようなイメージを抱きながら。 それだけに集中するようにしながら。

何となく足が重たくなるまで、約30分。 さすがに無理はしないでおいた。 気が付くと結構な汗をかいていて、Tシャツがぐっしょり。

数日前の発熱と今日の涙と汗で、私の中に溜まっていたアクが流れ出たような気がした。 ちょっとすっきりした頭で、改めて自分は大人として何をすべきかを考えている。 

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コメント

こんばんは。はじめまして。
私も繰り返される人の世のこの哀しみに、たまらなくなる事があります。
哀しみと共に例えようのない怒りがこみ上げて、でもそれが何を所以とするのかもわからない事があります。
私には何ができるのか。
私は何をするべきなのか。
私も考えます。

投稿: ケンシロウ | 2008.10.07 23:42

ケンシロウさん、こんにちは。
いらっしゃいませ&書き込みをありがとうございました。

コメントを読んでいて、私にも哀しみが浮かんでくることは多いけれど、「例えようのない怒り」というのは、ほとんど経験したことがないように思いまして、その違いはどこから生じるのかな、などと考えていました。

「繰り返される人の世のこの哀しみ」は、多分一生に渡って、それぞれが背負っていかなければならないものと思います。 皆がそれぞれに、何かしら背負っているようなものなのではないでしょうか。 これは現時点で私が抱いている憶測に過ぎませんが、どんな社会であろうと、どんな世の中であろうと、どんな経済状況であろうと、消すことはできないのではないかと。

社会の在り方や人と人の関わり、(政治、宗教などもそうかもしれない。)を論じようとする時、どうしても「理想と現実とのギャップ」という比較で捉えようとすることが多いですよね。 それは視点を遠距離無限大に自動ピント設定しているようなものだと思うんです。 概論と共に、生活は現実で目の前で起きているのですから、その中でどうするべきかの具体策を考える視点も一緒に持ち合わせていないと、それこそ机上の空論になりかねない危険を孕んでいると感じます。

今日実際に会話を交わす相手にどういう態度を以て接するか、それが例え家族や親しい学友、会社の仲間など「毎日同じように顔を合わせる変化のない相手」であっても、そこから始めてゆくべきこともたくさん存在しているように思います。

・・と、そんなことを考えつつ。

失礼ながら、まだケンシロウさんのサイト、トップページしか拝読しておりませんが、時間がある時に手繰らせてもらいますね。

またいつでも気軽においでください。
お待ちしています。

 

投稿: リーボー | 2008.10.08 16:11

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