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2008.10.30

基準

父の肺炎は少しずつ快方には向かっているらしいが、高齢者は病状が悪化するのもゆっくりならば治るのもゆっくりになるものらしく、「まあひと月くらいは(入院していただかないと)・・」、という話だ。 それでもベッドではなく車椅子に座る時間が長くなってきたり、それなりに発語も表情も増えてきたので、本人も少しは楽になって来たのかな、と思う。

思いつく単語をそのまま口にしてくる感じなので、「驚いたなあ」とか「近いんだろう?」とかいきなり言われても、父が何に驚いているのか、何が何に対して近いのかは通じない。 たとえばそこで「驚いたんだね。 で、何に?」なんて聞いたところで、全て「わかんない」と返されてしまう。 だから、こちらもあまり突っ込まずに驚いたと言われれば「驚いたんだね」と受けるし、「近いんだろう?」と言われれば「家と病院は近いね」などと想像を駆使して、父が言いそうな話題から引っ張ってくる。 果たしてこれが会話なのかは、それこそ「わかんない。」 ある意味こちらサイドからの一方方向に限りなく近い。

そんな父の言葉に接していると、私達が普段考えたり喋ったりする時には、必ず自分の内部にある基準と比較していることが解る。 通常あり得ないことが起きれば「驚く」のだし、考えていたよりも近距離だから「近い」のであり、その基準がぐらついていると相手に伝わらないのである。 例えば、夜に夕食を摂るのは当たり前のことだとされているが、夕食を摂る事を忘れているとか、夕食を食べることを想像し得ない状況下で配膳されれば、それは十分驚きに値することとなる。 だから、父は今、自分の身の回りに起きている全てのことが驚きであり、初めてのことのように緊張を強いられて混乱する。 毎日同じことが同じ手順で繰り返されることで初めて「新たな基準」が彼の中に構築されて、それが安心につながるのだろう。 私達ならば新しい環境を楽しむ余裕もあるだろうが、残念ながら父にはその余力は無いようだ。

父はまだ私達の顔は認識できる。 だから、なるべく父の目前で看護師さん達と談話しながら、「子供達と看護師さんが親しげなんだから、看護師さんも信頼できる」というような二次的回路で前向きの基準を構築してもらおうと、こちらも努力中。

父と話をしている時に、いきなり会話に飛び込んできた隣のベッドの男性患者さんが、病院の近所の地理的な状況を解説するような口調でさんざんご立派に話された後で、看護師さんに「○○さん、寝巻を着替えましょう。」と言われ、ひょいひょいと自分で車椅子をこいで廊下の向こうの食堂に行ってしまった。 「あらあら、そこはご飯を食べる所ですよ。」と、戻されてきた彼を病室にお迎えし直しつつ、お隣さんも基準を失っていることを知る。 どの部分の基準は正しくてどの部分がずれているのか、それとも全部ずれているのか?  基準がずれてしまった相手に囲まれて時間を過ごしていると、影響されて私の基準もぐらついてきて何が何だか混乱してくる。

基準なんてすぐに揺らぐ弱いもののくせに、それに基づいて考えたり話したり生活したりしているのかと思うと、少し怖い。 基準の複数形が常識なのかと思うと、もっと怖い。

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