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2008.10.18

いまどきの世の中

ひょんなことから両親が投資信託を持っていることを知った。 ここで「投資信託で資産運用をしている」と書けなかった理由は、後でお分かりいただけると思う。

「金融市場がめちゃくちゃな事になってるけど、ちゃんとチェック入れてる?」 「ううん、だって解んないもん。」 「そうだよね、明日のことが読めないような動きだもんね、毎日。」 「ううん、そうじゃなくて、投資信託って言われたって、何が何だか解んないんだもん。」 「えっ?!(←思わず絶句する私。) だってどこかの金融機関の営業の人から買ったんでしょ? 契約する時に説明ちゃんとしてくれなかったの?」 「説明は丁寧にちゃんとしてくれたけど、聞いても解んないのよ。」 「投資信託は元本割れのリスクもある代わりに、儲かるかもしれないんだから、自分たちで判断しなくちゃならない、って言われなかった? これだけ株価が乱高下していると大損を抱えていやしないかと心配だから、一応聞いてるんだけどね。」 すると、「だって、そんなこと(営業の人は)言って来ないもの。」 ・・返す言葉が無い、という状況を久しぶりに経験した。

さて、どうしたものだか、どこから手を付けたらよいのやら、と、経済センスの無い頭をフル回転させつつ、とにかく何という名前の商品をどれだけ・いくらでいつ契約したのかを尋ねてみたものの、「調べてみないと分からない」と言われ、「調べてから電話をかけ直すから待っていて」、の、結果が「書類を見たけどどれがそうなのか判らんない」、である。 がーん。 「いくら払ったか、覚えてない?」 「たいした額じゃないのよ。」 ・・そういう問題ではない!!、と、頭ごなしに怒りだしそうになる自分を抑えて、ようやく聞き出したことによれば、どうやら余剰金と呼べるお金をそこに回したらしい。(父は普通のサラリーマンだったから、そんなものがあるとも思えないのだが・・。) それなりに考えて『とっておかなければならないお金』ではないお金を出資したらしいことに、ちょっと安心するが、とにかく近日中にそちらへ行くので契約書を見せて欲しいと頼んだ。 「ああ助かるわ。 ちゃんと教えてちょうだい。」

親の名誉の為に一応書いておくが、決してボケた状態の人達ではない。 一般的な自立した日常生活を、普通に過ごしている。 はじめは、私に詳しく知られたくない特別な事情があって、何かを隠しているのかな?、とも一応疑ってダイレクトに聞いてみたのだが、それはないらしく、普段から他人行儀にしている親子関係でもない。 本当に『単に解っていない』様子なのだ。

冷静になって色々と考えてみると、まず、今までお金のことをしっかり話し合ったことが無かったな、と、少々反省した。 年金で『食べて、そこそこ遊べるくらいの状態』だし、もしもの時の為の預貯金も多くないがあるから心配しなくて良いと言われ、「おこずかいを渡そうか」という私の申し出を辞退されたきり、こちらも安心してそのまんまにしていた。 親ももう『いい歳』だし、ここらで一度ちゃんとお互いに話し合っておいた方が良さそうだ。

話していて感じたのは、両親がちょっと怖いほどに『社会のシステムを信用している』こと。 商品を買ってくれた相手が損をするようなことになれば、売った会社が知らせてくれたり、国が助けてくれたりする筈だ、と、いうような、『ピュアな良心に基づいた関係』の中に自分達が置かれていると信じて疑わないような印象を、強く感じた。 要約すれば、世の中の変化に順応しきれていない時代遅れのお人好し、か。 人間として、決してまちがってはいないんだどなあ。 きっと自己責任の考え方、自由競争の中から生まれるシビアな顧客争奪戦などの実態が、感覚の根底で理解されていないような気がする。

確かに、私が幼少時代に我が家に出入りしていた銀行の営業マンは、がんばってそこそこの管理職にまで昇格し、お礼の報告に来たりしていた。 多分いくつかの契約で、彼の営業成績を伸ばすことを間接的に手伝ったことになっていたのかもしれない。 「お願いします、僕を助けると思って。」なんて言われたかどうか知らないが、頭を下げられた時にそれを受けるかどうかは、営業マンとの信頼関係に左右されただろう。 大事な顧客に損をさせないように、と思えば、会社にとって不利益な情報でさえ流してくれたことも、もしかしたらあったのかもしれない。

でも、今はそんな悠長な世の中ではなくなってしまった。 銀行でさえ窓口や営業業務の方たちの多くは正社員でなく派遣社員なのだ、という話をすると驚いていた。 「そんなこと名刺に書いてないじゃない!」 いや、そういうことでは見分けつけられないから(苦笑)。 みんな日々のお金を手にするのに必死だ。 売りつけるものが良心的な商品か方法かどうかなんて、考えている暇も余裕もなくなっているのが現状だろう。 良心の呵責を感じて躊躇する者は、あっという間に尻尾切りに合う。 振り込め詐欺も、お年寄りを集めて集団心理を煽って高額商品を売りつける方法も、相手の良心を利用しているのだし。 そうでなくても、若い年代相手に物が売れない今、日常生活に困らないお年寄りは、それだけで十分にターゲット・・そのことを本人たちがどれだけ自覚しているだろう。

まあ、これまで大きく他人に騙されることもカモにされることも無く、また、親子でちゃんと話ができる状況にあること、この二つだけをとっても、十分過ぎるほどありがたいことには違いないのだけれど。 私が自己責任の話をしたら、両親の感覚の中では「相手を信頼しないように」ということに繋がってしまうような気がする。 愛情を注いで人間として生きてゆく上での基本を教えてくれた自分の親に、そんなことを話さなければいけない世の中なのか、と、思うと、それが情けないような悲しいようなで、ちょっと気が重いのである。

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