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2008.12.31

良いお年を

晴れ渡った静かな大晦日。 日差しは暖かいが空気は冷たいので、夜になったら冷え込むのだろう。 おせちも作り終えて安心し、午後のお茶にアールグレイを淹れてホットケーキを食べて一息つく。 自分の髪や体に醤油のような煮物のような匂いが染み込んでいて、いかにも・・で笑ってしまう。

生きていれば、当然のように一年の間にはいろいろな事があり、社会も激しく揺れ動き続けている。 そんな中の便宜上の最後の半日がこんなに静かで穏やかであることは、ちょっとしたミラクルのようにも思われて、不思議な気分だ。

次の一年にどんな事と遭遇するのか、今はまだ想像もできないけれど、淡々と落ち着いてそのまんま受け止めてゆけたらいいな。

  • 今年もたくさんの御来訪をいただき、どうもありがとうございました。 どうぞよいお年をお迎えください。      リーボー 

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2008.12.28

♪もういくつ寝ると

この週末は 『ますたあ』が窓ガラスとサッシや網戸の掃除をしてくれたので、それに合わせてカーテンをまとめ洗い。 そこそこ風が吹いていたおかげで、なんとか日のある内に乾いて助かった。 洗剤と柔軟剤のほのかな香りが部屋の中に漂っている。 どうせ窓を開けて掃除しているのだから、と、寒いついでに厨房の床も水拭き。特に大掃除という訳でもないが、なんとなく年末っぽい感じになってきた気がする。

さっぱりと清められたところで、明日からはおせち料理に取りかかる予定だ。 昔と違って自分たちだけの為に作るので量も種類も限られてはいるけれど、今年もまた頂き物以外は自分で作ることにした。 やっていることを止めるのは簡単なことだが、一度止めてしまうと再開するのは難しいような気がして。 今年はいろいろと「老い」について考えさせられる機会が多かったせいか、維持することの大事さを思うこともあって、自分のトレーニングのような感覚に近いかもしれない。

年末モードですっかり薄くなった新聞の折り込み広告も、もっぱらおせち料理の写真で埋め尽くされている。 栗きんとんや数の子の黄色に黒豆・昆布巻きの漆黒、蒲鉾のピンク・・そんな色合わせを見ると、ああお正月っぽいなあ、とつくづく思う。 こんな組み合わせの色遣い、普段のメニューではあまり無い。

使う出番が増える酢、味醂、酒、醤油、砂糖なんかを厨房の作業台に大きな瓶やペットボトルごと並べて、しっとりと冷えている空気に身震いを一つ。 今年の仕事納め、いっちょうがんばってみますかね。

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2008.12.26

恒例『クリスマスの約束』

昨夜は諦めてビデオに収録しておいた、小田和正さんの『クリスマスの約束』をじっくりとしっかりと見る。

「心を解き放した人だけが使うことのできる力」というものの存在を、まざまざと見せつけられて、ぐいぐいと圧倒されっぱなしだった。

同じ一人の人を、遠くから、若い頃からずっと、言葉は悪いが「観察」し続けることはほとんど無いけれど、あんなに「閉じていた人」がこれだけ「開いた人」に変わっていったことに、驚嘆のような気持ちを覚える。 もう本当に失礼極まりない表現をさせてもらえるなら、みんなの前で唄える内に、みんなに作品を届けられる内に、それが間に合って本当に本当に良かった、というようなことを思った。

それはきっと、「閉じている人」を開くことができる多分唯一の力だ。 客席の人が、何も知らない人が見たら余りにわざとらしいくらいに、みんなして泣きながら聞いているのがその証だと思う。

私はどこまで心を解き放すことができているだろうか。 その力をどこまで誰かの為に使えているだろうか。

小田和正さんと私の間にある17年間のギャップは、私が子供の頃から決して縮むことなくずっとそのまんまに存在し続けている。 この先にある筈の私の17年間に辿り着くべきものを、事前に見せてもらえていることを、ありがたく心強く感じる。

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2008.12.25

クリスマスおめでとう

びゅうびゅうと強風吹き荒れる寒いクリスマス。

朝のひと仕事を終え、昨日の「離婚騒動」の友人と電話する。 だいぶ落ち着きを取り戻した様子で、ひとまず安心。 ほっと胸を撫で下ろす。 長い未来に導き出す結論はどうであれ、現実を正しく把握するのに冷静さは欠かせないだろう。

お昼前、北海道に暮らす友人が限定ビールを届けてくれて、サプライズ・プレゼントに昨日からの気分がやっと陽転のきっかけを掴んだ感じ。 胸の奥につかえていたものがスッと通るのが分かった。

午後には遠くバハマに住む友人からのクリスマスカードが郵便受けに落ちた。 こちらの窓の外とは正反対の南国の光景。 白砂の海岸にコーラルブルーの海だ。 写真を見た一瞬、なぜだか、『太陽の欠片をくわえて地上に春を届けたヒバリの物語』を思い出す。

私の所には二羽もヒバリが来てくれたようだ。

どちらのヒバリも高校生時代の友人。 私の時代にはPCも携帯電話も普及していなかったから、学校で話しきれないたくさんの思いや感情などは、ほとんど手紙でのやり取りだった。 毎日ルーズリーフやレポート用紙などに(ちゃんとした便せんは高いので特別な時にしか使わない)たんまりと文章を書き、それを折り込んで翌日相手に届ける。 げた箱に入れておいたり、部室のロッカーに入れておいたり、机の中に届けておいたり。 もちろん手渡しの時もあった。 余白の取り方や文章や選ぶ言葉、手紙で語り合う内容が違うのも当然だが、ひとりひとり書く文字が違う。 大きな字、細かい字、丸い文字、習字のようなしっかりした字。 手紙の一番外側にささっと書かれた相手の文字を見るだけで、誰からの手紙かすぐに解ったものだ。

あれからずいぶんの時間が流れても、人の書く文字というのは不思議とあまり変わらないもののようで、プレゼントに添えてくれたカードや手紙を見ると、距離や時間をすっ飛ばして、まるで相手が丸ごと届けられたような気持ちになる。 これは懐かしい文字を見て、うっかり泣きそうな気分になってしまったことの照れ隠し。

心の中はとても温かいクリスマス。 全ての出来事に感謝して、お祈りをひとつ捧げた。 ・・今日ぐらいは「敬虔なクリスチャン」でいさせてもらおう。(苦笑) 

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2008.12.24

せっかくクリスマス・イヴなんだからさ

寝起きにいきなり興奮した友人からの電話で一日が始まった。 こともあろうに離婚の相談である。 受験を目の前に控えた長男が勉強に集中できなくてママはイライラしているというのに、パパは我関せずで、「お前に任せてあるから。」との一言でプッチーン!!と切れてしまったらしい。

今日は予定が詰まっていたので、明日ゆっくり話を聞くから・・となだめ、「結論を急ぐな!、とりあえず冷静になれ!、思い切ってこれから子供が帰ってくるまでの時間を、美容室に行くも良し、どこかのカフェでケーキでも食べながらゆっくり過ごすも良し、とにかく自分の為に自由に使え!」とだけ告げて電話を切り、こちらもそそくさと出かける。

街は交通量も多くてどことなく「浮かれムード」。 穏やかな良い天気で空も富士山もきれいだったが、心の中で朝の離婚話が蔓延ってしまい気分は晴れない。 友人がどんな気持ちで過ごしているかと思うと、ますます憂鬱になってしまう。

お昼ご飯に魚屋直営のお店を選び、日替わりのランチを頼んだら、『サンマの竜田揚げ』というのが出てきた。 サンマを三枚に下ろして中骨と腹骨を除いてからそれぞれ半分に切り、醤油と酒を合わせたものに数分漬けこんで天ぷら衣をつけて揚げてある。 大根おろしだけでさっぱりと。 余熱で身に火が通るくらいのぎりぎりの出来上がりで、衣はカリッと・中はふっくら、で、やっぱりプロの天ぷらは大したもんだ。 さすがに美味しいものを食べている間だけは、手放しで嬉しくなる。 そのうちに真似して作ってみようかな。

平穏な時には全く気にならずに済んでしまうものが、ちょっとしたきっかけで許せなくなることは、よくありがちなことなんだと思う。 でも、プレッシャーで一番不安定なのは紛れもなく受験生である長男なんだから、ここは二人の親ががんばって大人にならなければいけない所だろう。 きっと長い目で見たら、こんな風に小さな波風をたくさん乗り越えて一緒の時間を過ごしたこと自体が、もの凄く価値のあることになっていると信じたい。

さて明日何から話そうか、と、考えているクリスマス・イヴ。 「愛」が地上に降りてきてくださったことを、自分なりに大切にしたい。

メリー・クリスマス! どうぞ今夜くらいは心に純粋な平安を。

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2008.12.22

ひとりごと

● 私的にはM-1は「オードリー」だったな。 「オードリー」を評価できない所に、名だたる審査員達と世の中のズレを見てしまったような気がして、それは『見てはいけないものを見てしまった感覚』と近い気がして、見終わってからしばらく悶々とする。 少なくとも関東の笑いでは、他者と違うことは一つの武器だと思う。 それがもしかして単に『天然』だったとしても。

● これだけ経済が停滞し失速し続けていると、図らずもずいぶんと二酸化炭素の排出が削減されるんじゃないか。 地球のバランスはこんな風にして調整されてゆくものなのかもしれない。 良い思いをしながら地球環境の保全を語るのは、どうもおこがましい気がする。

● 自分はいつから「なにか大事なもの」を諦めてしまったんだろう・・と、熱く語る人を前にして思う。 情報や経験の多さは、時として人の夢を奪うことがあるみたいだ。 それは決して良い悪いの問題ではないとも思うけれど。

● どこを到達点とするのか、それがブレたりそこを見失ったりすると怖いことになる。 具体的な行動を考える初めの一歩は、到達目標の設定だろう。 突っ走ることがいけないことだとは思わないが、闇雲に走りまわっていると思わぬところで他者にダメージを与えることに繋がりかねないんじゃないか。 パワーのある人はその使い方に気をつけないと。

(・・ぶつぶつ失礼しました。)

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2008.12.17

モルツの泡に包んでもらった

誰が見ても『おばあさん』という年齢まで、もしも、生きていることが許されているならば、呆けてしまうのは仕方がないとしても、自分の生きてきた人生を自慢したり、他の誰かの悪口を言ってこれ見よがしに「私はあんな人とは違うのよ」みたいな素振りをしたり、お世話してくださる若い人たちを見下したり、誰かを攻撃したり・・そんな風にはなりたくないなあ、と、つくづく思う。 そんな年齢になってまで自分のプライドでがんじがらめになっている姿は、あまりに惨めで哀しい。 自分で自分の思考をコントロールできないくらいに年老いた時、そんな風にならないために、今からできることは何かあるだろうか・・??

昨日発売になったサントリーの「モルツ・スノーホワイト」(限定醸造、且つコンビニ限定販売)を飲みながら、そんなことをずっと思っている。 本当に真っ白の細やかな優しい泡。 最後に残る苦味がちょっと強めなところが、今の私の気持ちに合う気がして気に入った。 次に見かけたら、まとめ買いしてこようかな。 このビールはちゃんとグラスに『三度注ぎ』するべし!

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2008.12.13

三色丼

久し振りに「三色丼」を作った。 我が家ではお弁当を持って行く人がいないので、あまり登場の出番がない。 それでたまに「そう言えば・・」と思い出して、夕食に作ることになる。

当たり前ながら「三色」は食材の色の問題だから、作り手や手元の食材によって色々な「三色」が存在するを、学生時代に友人のお弁当を覗き込んで知った。 我が家では肉そぼろ・煎り卵・青菜炒めの、茶・黄・緑の「三色」が定番だったが、友人のお弁当で結構あったのは塩鮭のほぐし身・煎り卵・焼き海苔の薄紅・黄・黒の組み合わせ。 桜でんぶが使われていると、一気に色調が明るく派手になり行楽弁当のような装いになる。 煎り卵に代わってタクアンを細かく刻んだものが黄色として使われているものもあったっけ。 中には三色ではなく四色のもあったりして、懐かしい光景だ。

レシピ集などを読むと肉そぼろには鶏肉を使うのが通例のようだが、我が家では合挽きか牛の挽肉が多かった気がする。 鶏そぼろで慣れている方にはちょっと変な感じに思えるかもしれない。 鶏そぼろよりもしっかりと味の染みた濃い味に仕上がる。 ただし、赤身の挽肉を使わないと、炒め煮している最中にこれでもかというくらいに脂が浮いてきて大変なことになるので、肉を買う段階で注意が必要。

肉そぼろに生姜を入れると臭みが消えるし味わいも増して一石二鳥なのは、言わずともがな。 私は手持ちの八丁味噌を醤油と半量ずつくらいに使う。 挽肉に味がまとわりつく感じになって深みが増し、冷めても味が変わらない。 八丁味噌と砂糖やみりんを合わせたコンビがいかに美味しいかは、想像がた易いでしょう? 八丁味噌の酸味が出ない程度に使うのがポイントだろうか。

一つ一つ素材を調理してゆくのでなんだかんだ手間がかかる割には、丼だから食べ始めるとあっという間に終わってしまう。 そこがちょっと悔しいような気もするのだけれども、ごはんと合うものばかりごはんの上に乗せて作るから、当たり前のようにごはんと一緒に口に入れると美味しさが引き立つのが魅力的で、たまに思う出したように食べたくなる。 この美味しさをお弁当だけに独占させているのはあまりに惜しい。

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2008.12.11

目の前の一歩

その初老の女性はレジの前を行ったり来たりしていた。

レジの列に並んでは、順番が来る前に逃げるように列から離れて陳列棚の通路へ入っていってしまう。 またしばらくすると列に並び、また居なくなる。 それを私が商品を選んでいる間ずっと繰り返していたようだった。 なんかちょっと妙な動きをしている女性が居るな、とは気付いていたのだが、ずっと見ていた訳ではないので分からない。 私がレジの列に並ぶと、たまたま前に並んでいた女性がその人だったのだ。

しばらくするとなんだか困り顔でそわそわし始めて、またふらっと列から外れようとしたので、思い切ってその人にしか聞こえないように顔を寄せて話しかけてみた。

「なにかお手伝いできることがありますか?」 すると、さっと顔色が変わり、こう言う。 「あのー、なんだか私、どうやってお金を払ったら良いのか、急に分からなくなってしまって・・。 こんなことは今までなかったので、どうしたら良いのか・・。」 「そうですか、じゃあ私が一緒にやりましょうか。」 「すみません。 助けてください。」 「ところで、お金はお持ちですよね。」 「はい、持っています。」 手提げから財布を出して、わざわざ口を広げて見せてくれた。 「大丈夫ですよ、一緒にやりましょう。」 彼女の背中に私の掌をあてがうと、緊張で小さく震えているのが伝わってきて切なくなった。

次が彼女の番というところまで列が進んだので、「買い物かごを台に乗せましょうか。」と、促すと、その通りに。 後は何事もなく店員さんが商品を読み上げながら会計をし、総額を提示し、彼女がお財布からお金を払い、お釣りを受け取って、何事も無かったかのように順調にお終いに。 肩透かしを食ったように、何事もなく会計は終わってしまった。

「どうして急にこんなことが判らなくなってしまったんでしょう。 助けて下さってありがとうございました。」 「いえいえ。 お帰りは大丈夫そうですか?」 「はい。」 「どうぞ気をつけて。」 続いてレジ作業を待っている私に、深々と頭を下げて店を出て行った。 彼女の言っていることが本当だとすれば、一番ショックを受けているのは彼女自身に違いないと思う。 なにか一時的なものか、それとも軽い認知障害の始まりか。

なにかと混乱し続けている義父の相手をしているおかげで、こういったご老体の「大抵のこと」には動じなくなってきている私に、私自身もびっくりした。 老いることもなかなか大変なように見受けられる。 明日は我が身、の話だ。 前以ていろいろと知っておく機会があることに感謝しなくてはいけないな、と、思った。

一時的なものにしろ、そうでないにせよ、ちょっとした混乱でパニックになっている相手には、穏やかに物静かに、次にするべき行動をひとつだけ、それも具体的に提示してあげると効果が高いようだ。 あれもこれもではなく、まず次に踏み出す一歩分だけ手を引いてあげる。 これは経験から学んだこと。 万能かどうかは定かではないけれど。 

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2008.12.10

贈りもの

今日は通りかかったお店で、クリスマスに使うのだろう、誰かの為に選んだ商品をきれいにラッピングしてもらっている様子の女性を見かけ、なぜか源氏物語の一場面を思い出した。 ずいぶん前に読んだ源氏物語の中で、今でも最も印象に残っているのは、贈りものを題材にした場面だ。 確か「玉蔓(たまかずら)」という段だったのではないかと思う。

中年の域?に至って本妻である「紫の上」とつつがなく平穏な生活をしている「光源氏」が、お正月に側妻達の元へ届けるプレゼントの着物を見立てている。 平安時代にはお正月に目上の人が着物や装束、反物などを授ける慣習があったらしく、別に女性への贈りものに限った話ではなくて、「源氏の君」もよく帝(みかど)から装束を賜わったりしている。 で、昔は着物の色合わせでお洒落のセンスを競っていたらしいが、「紫の上」は子供の頃から趣味が良い上に「光源氏」が手塩にかけて教育を授けたので、黙っていても旦那さんの為に用意しておいた着物や反物には間違いがなく、素晴らしいセンスがいかんなく発揮されている。 今で言うならば、会社の部下の女性社員へのホワイトデーのお返しを、奥さんが準備している感覚に近いか。 ただ、違うのは、贈る相手が仕事上の付き合いの女性ではなくて、「旦那の昔のオンナ達」であること・・。

「紫の上」は相手の女性達を知らないし、どんな人なのかを尋ねたりもしない。 旦那が「これはこれと合わせて、あの人に・・」などと選んでいる様子を見ながら、『この着物が似合うのはどんな女性なのだろう』、と、想像しているのである。 こんな高貴な紫色が似合うなら、さぞかし気品も教養も溢れる方に違いない、とか、薄紅を着こなせるのは、お年を召していてもふっくらと可愛らしくおしとやかな感じだろう、とか。 そんな場面だったと記憶している。

用意した贈りもののセンスの良さがずば抜けていると褒められて誇らしげに思ったり、嬉しそうに品選びしている旦那を見て自分まで楽しい気持ちになったりしながらも、きっと「紫の上」は嫉妬も感じている筈だ。 だけど、それはメラメラと激しいものではなくて、どこか穏やかな、愛した男性を独り占めできなかった自分と同じ身の上を相憐れむような、そんな気持ちだろうと思う。 奥ゆかしい心の動きと、お正月準備の華やいだ光景とが対照的で、とても印象に残っている。

贈りものをする相手は自分が大切に思っている人で、当然贈る相手が喜んでくれそうな品物を考える。 それは今も当時と何も変わらないことで、贈る相手の身になってあれやこれや迷う。 イメージや日常生活の様子など情報を総動員して、喜んでもらえそうなものを選び出す。 迷い過ぎて面倒臭くなったりすることもあるけれど、その気持ちの動きこそが、きっと一番のプレゼントなのに違いない。

クリスマスも近づいてきた。 品物のやり取りに関わらず、いろいろな人の為に心を動かして準備をしたい。 心を動かすことは、祈ることにきっとかなり近い。 

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2008.12.07

「食べることの心理学」

本を一冊ご紹介。

食べることの心理学」 今田純雄編 2005年初版 有斐閣選書

難しい本もたくさん出版している会社だが(学生時代にはココから出版されている本にずいぶん頭を抱えた記憶が。苦笑。)、この本については全く心配が要らない。 タイトルの通り、「食べること」の全般について改めて考えてみようという本である。

専門的には食心理学、食行動科学、食べる行為の人間科学と呼ぶらしい。 どんなテーマが取り上げられているかというと、どうしてお腹が空くのか・どうして満腹になるのか、から始まって、美味しいという感覚は何か、どうして好き嫌いができるのか、ニオイが食べ物に与える影響、子供の偏食にどう付き合うか、ダイエットと肥満、摂食障害に至るまで、とにかく身近なものばかり。 食べることはこれほどまでに人間の生きざまに深く結び付いているのかと、思いを新たにする気持ちだ。 たくさんの具体例や心理学を学ぶ大学生を使った実験結果も含め、分かりやすい的確な言葉で書かれている。 食べることに興味がある方ならきっとどなたでも、面白く読み進められるのではないかと思う。

相変わらず世の中はダイエット流行りで、ネットに繋いでもバナーでダイエット系の広告を見ない日は無いくらいだが、痩せることが良いことなのではなくて、食事をコントロールすることでどんな自分に変わりたいと思っているのか、そしてそれはなぜなのか、そこの所を考えてみることを始めないと、太って痩せてを繰り返した挙句メーカーを儲けさせるだけになってしまう。 そんなのは悔しいじゃないか! その位に「食べること」は「生き様」と密接に結びついてしまっている。 深く頷く部分もあり、核心を突いているだけにちょっと恐ろしくもあり・・。 高価なダイエット用食品を購入する前に、読んでみるのも面白いかもしれない。

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2008.12.06

トラップのつもり?

電話が鳴った。

「もしもし?」 「あっ、オレ。」 「・・??もしもし?」 「(ちょっとした空白の後で)もしもし、俺、誰かわかる?」 「わかりません。」 「あはは(←情けない苦笑)、わかんないか。」 「わかりません。」 「そっかー、わかんないか。 ●●です。」 すごく多い名字ではないけれど、同じクラスに一人は居そうな名前を名乗ってくる。 「どちらの●●さんですか? ちょっとわからないんですけど。」 「えっ?そうか、わかんないか・・ははは。(←またしてもか弱い苦笑)」 「??すみません、この電話、何番におかけですか?」 「あっ、ごめんなさい、間違えました。」 いきなり切れてお終い。

この電話、実は二回目である。 夏の終わりごろにも受けた覚えがある。 まったく同じ調子、同じような受け答え。 多分同じ相手。 男性で、声や喋り方の様子からだと高校生から20代前半なんじゃないかと思う。

いきなり「俺」と名乗る相手に電話しているにしては、私の声が相手と違うと気付かないようだし、振り込め詐欺にしては間抜け過ぎる気がするし、一応名前も名乗ってくるし。 どちらにしても中途半端で理解に苦しむ。

今度かかってきたら●●さんを知っているふりして話を合わせ、もうちょっと何か聞き出してみようか、と、よからぬ目論見をしている。 それにしても、「誰だかわかる?」と尋ねられて「わかりません」と答えるのって、あまりのばかばかしさ加減に自分で吹き出しそうになってしまう。

妙な電話。 もしこれが本当に振り込め詐欺の入口なのだとしたら、もうちょっとやり方を見直さないと誰も引っかかってくれないんじゃないか、と、オバサンは思うぞ。

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2008.12.05

頭痛って辛いものなんですね

ほぼ一週間ひどい頭痛にやられ、そろそろ受診も視野に入れようかという矢先に、どうやら風邪らしい進展になってきて、喉の痛みや鼻水に入れ換わった。 ほっとするやら、気が抜けないやら。

どこかの製薬会社のCMではないが、ずっと「私はノドから」タイプで、普段から頭痛など滅多にないから、なかなか目新しい体験だった。 頭を下げたり、床の物を拾うような動作をするとガンガンする。 何気なく振り向いてから、ちょっと遅れてくる頭痛の大波に顔をしかめたりするし、大声を出されると頭蓋骨が共振するみたいで、こめかみや眉間の辺りに力が入ってくる。 要するに意識しなくても不機嫌な顔つきが出来上がってしまっているのだ。 時々鏡に映った自分を見てギョッとした。 表情は大切だよな、と、改めて思った。

熱も出ず食欲もそこそこあり、寝込まずに済んだのはありがたかった。 どう考えてもインフルエンザではない事だけはわかったが、風邪も頭痛から始まることがあるのか、と、ひとつ基本的な事を勉強させてもらった気分。 これでバッチリ抗体値も高まったことだろう。

どうぞ皆様も、インフルエンザだけじゃなく風邪にもご注意を。 

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