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2009.04.29

代役お断り

寒い間はラム酒とウィスキーをほぼ交互に飲んでいた。 春の気配になってからは、そこに発泡酒や第3のビールが加わって、三つ巴の状況でローテーション。 家族が入院したり私自身も受診したりして、ちゃんとした品揃えの酒屋さんへ顔を出すことができなかったからだ。 発泡酒ならスーパーや日曜大工のお店などでも、あまり高くない値段で気軽に買うことができる。

ところが、3日前、突然に「ビールが飲みたい!」という強い衝動を覚え、居ても立っても居られなくなってしまった。 理由も何もへったくれも無く、とにかくビールじゃなくちゃだめだ、ということだけ分かった。 迷わず酒屋へ直行し、お気に入りのものをひとケース抱えて帰ってきた。 で、それ以来すっかりビール漬け。 OFFをいいことにお昼からビール・・大人だけの特権。

美味しんだ、これがまた。 やっぱり私の中にはどうも「ビールでなくては務まらないポジション」というのが存在しているような気がする。オールマイティなカードを一枚持っていることが、妙に心強く感じられている、連休の入り口。 

これで完全に体が寒さから離脱したのかな、とも、思う。 

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2009.04.28

蒸し鶏

ちょっと前なら迷わず鍋にしていたところだが、気温も高くなってきたので常温で食卓に並べるメニューも少しずつ増えてきた。 たっぷりの新タマネギと一緒に。

蒸し鶏

  • 鶏モモ肉        2人につき一枚
  • 醤油と味醂と酒と水  肉一枚につき大さじ1ずつ
  • 砂糖           肉一枚につきひとつまみ
  • コショウ         適宜
  • あれば生姜、長ネギの青い部分、ニンニク、八角(スターアニス)等
  • サラダに使う野菜をお好みでたっぷり
  1. 鶏モモ肉は余分な脂や筋を取って掃除し、フォークや包丁の先で両面にプツプツ穴をたくさんあける。
  2. 耐熱性の器やパット等に醤油・味醂・酒・水・砂糖・コショウを合せ、鶏肉を入れて表面に絡め10分放置する。
  3. 蒸し器に湯を沸かして準備しておく。
  4. 手元にあれば生姜スライスや長ネギの青い部分、ニンニクや八角を2に入れ、皮の方を下にして、アルミ箔で覆って蓋をする。
  5. 蒸気の上がった蒸し器に4を入れ、中火に落して12~15分蒸す。 菜箸を肉の厚い部分に刺してみて、透き通った肉汁が出てくれば大丈夫。
  6. 蒸し器から器ごと取り出して、そのまま常温に冷めるまで放置する。
  7. スライスした新タマネギ、レタス、トマト、キュウリ、かいわれ菜や、ミョウガ、大葉等の香味野菜等をたっぷりと皿に敷き、出来上がった鶏を薄い削ぎ切りにスライスして並べる。
  8. 蒸し汁を適宜肉の上からかけ、お好みで練りがらしを添えていただく。

熱量制限の必要な方は、蒸して冷ましてから鶏の皮を除くと良い。 残った蒸し汁はスープや野菜炒めの調味料にして食べてしまえばエコロジー。 冷蔵庫でしばらくは日持ちするので、時間のある時に作っておくと便利。 お弁当のおかずにも。

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2009.04.26

「じゃがポックル」 2

小袋から器に出してそのまま15秒ほど電子レンジにかけると、よりジャガイモの風味がリアルになって美味しくなるということが発見された。

・・今日もビールが美味しい。

こちらの「まめさん」は「Jagabee」と食べ比べをなさっておいでのご様子。 それもやってみたいところだな。 買って来るまで残っているだろうか?、手元の「じゃがポックル」・・。)

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2009.04.25

「じゃがポックル」

仕事で函館に行っている友人が、お土産に「じゃがポックル」を買ってきてくれた。 前々から噂というか評判は聞いていたが、実際にいただいたのは初めて。

うん、確かに評判になるだけのことはあるな、という感じ。 美味しい。 某M社のフライドポテトをそのまんまドライスナックにしたような出来上がりだ。 ジャガイモの味も、油のフレーバーも、塩の加減も。 人気で品薄状態が続いているらしいのも、十分に納得できる。

地方からのお土産は、なかなか選ぶのが難しい。 重たかったりかさばったりするのは困るし、生ものは日付に追われるし、癖が強いものは相手を選ぶし、それに予算の都合だってあるし。 美味しさや企画の目新しさに加えて、地域限定のありがたさ手軽さなんかも含めて、「じゃがポックル」はみんなの『お土産の壺』にはまったんだろうな。

かりかりと齧りながら、仕事に追われる友人のことを思った。 穏やかな春が訪れるようにと、祈る気持ちで。

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2009.04.24

すいかの種

「すいかの種」についてちょこちょこと調べている内に、いくつか分かってきたことがある。 まず、「すいかの種」を食べることは中国ではとても一般的であるということ。 そして、驚くべきことに、種を採取するのに特化した品種まで存在しているということ、だ。 そんなに食べられていたのか、「すいかの種」。

まだ分からないのは、私の食べた月餅の材料に使われていたものが、未熟な種だったのか、熟した種の胚乳部分だったのか、ということ。 まあ折を見て少しずつ追いかけようと思う。

子供の頃は「種が面倒臭い」というだけの理由で、すいかがあまり好きではなかった。 誰から聞いたのか「種を飲み込むと盲腸炎になる」などという噂もあって、神経質に断面からほじってゆくのだが、子供は手先が不器用だし集中力も続かないから、余計に面倒臭く感じていたのだろう。 それでも取り残して口に入ってしまった種をガリッと噛んだ時の青臭い香りも、決して好きではなかったし。 一方、うちの『ますたあ』は「種ごと飲み込む派」の人で、表在している種はいくつか取り除くものの、かぷっとスプーンを入れたらそのまんま口に運び、全て飲み込んでしまう。 初めてそれを見た時には、とても驚かされた。 未だに見ているこちらには違和感があるので、なるべく見ないようにしてお互い黙々とすいかを食べる。(・・種を全て取り除こうと四苦八苦している人と、そのまんまカプカプ食べてしまう人とでは、自ずから食べ終わるまでの時間に大きな差ができる。 しかも、『ますたあ』はすいかが好物なので、あっという間に皮だけ白く残される経過は圧巻でさえある。)

先週スーパーでカットされた初物のすいかが売られていた。 早すぎる気がして、さすがに買う気にはなれなかった。 焦らなくても冷蔵庫をすいかに占領される時期は、ちゃんとやってくるだろう。 しかし、種をわざわざ単独で食べるとは、なあ。 美味しいのだろうか?

横浜に行って以来、ずっと胸の奥の方で考え続けていることがある。 正確にはその10日前くらいから、低レベルで持続的に。 まだはっきりしないし、言葉に置き換えることもできずにいる。 そのずーんと奥の方で何かが沈んでいる感じが、軽度の盲腸炎のイメージとどこかで重なっていて、なんだか全て「すいかの種」のせいにしてみたくなった。 とばっちりもいいところだ・・ごめんよ、「すいかの種。」

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2009.04.23

月餅の具

お土産に買ってきた中華街の「月餅」。 早速『ナッツと果物』と解説がなされていたものを切り分けて、午後のお茶に。 このずっしりと詰まって重い感じがいいよなあ、と、いつもながらに思いつつ、切り口の断面を見て何が入っているのか探った。

クルミやレーズン、アプリコットなどすぐに分るものもあるが、「ん?」というものも。 白くて薄っぺらのサクサクしたものがたくさん入っていたので、「これはスライスしたアーモンドだな」、と、勝手に決めつけて原材料の印字を見るが、そんな表記はどこにもない。 あれー?アーモンドじゃないのか・・じゃあ何だこれ?

消去法で残ったのは「スイカの種」。 スイカの種? かぼちゃの種を食べるというのは知っているけれど、スイカは初めてかも知れない。 しかも、こんなにまっ白ということは、実が相当若いうちに種だけ取り出しているのだろうか? それともあんな細かい種のひとつひとつ、わざわざ皮を剥いた中身がこれなのだろうか?

調べているがまだ分からない。 謎だ。

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2009.04.22

横浜散歩

前述の山下達郎さんのコンサートに行った際、こちらもまたかれこれ25年振りに横浜の街を歩いて、ついでに一泊させてもらった。 ありがたいことに、友人が「達郎さんはしっかり3時間は演る人だからね」と前情報を流しておいてくれて、その通りになれば家に帰り着くのが午前様になってしまう。 オバサンがひとりでそんな時間に移動するのも何かと不用心だし、そんな時間からお風呂に入ってなんだかんだ・・というのも、この年になると結構辛いので、そそくさとホテルを予約してしまったのだった。

若い頃に足繁く横浜の街に顔を出していたおかげで、あの頃にはまだ無かった「みなとみらい周辺」を除けば、関内・石川町周辺のJR線から海までの地図は、路地も含めてかなり細かくしっかり記憶に刻まれている。 だから、なんにも考えずに歩いてもここなら大丈夫。 もちろんお店はほとんど入れ代わってしまっているけれど、ビルそのものは残っていたり、中にはその当時の面影もそのままに経営を続けているお店もあったりして、思わず足を止める。

当時は客船が停泊している時以外は本当に何にも無かった大桟橋でさえ、今ではすっかり観光スポット。 山下公園も見違えるほどきれいに整備され、港に向かってベンチがたくさん並べられている。 そして、その向こうに『マリーンシャトル』が停泊されているのを見つけた瞬間、心の奥の時計が止まってしまった。

実は私達夫婦はこの『マリーンシャトル』を貸切にしてもらって船上で結婚式をしたのだ。 今でこそそのような演出も珍しくなくなったが、「なにぶんにも初めてのことで前例が無く、結婚式など用意できる自信がない」という船会社を説得し、企画を準備し、機材を持ち込みセッティングし、参列してくれた方々の半数以上が何らかの役回りを兼ねていたという大騒ぎの末のパーティーだった。 大騒ぎだった分だけ、今では全てが強烈な思い出と化している。

当時からの船なのか、新しい船なのかは分からないけれど、同じデザインでロゴも一緒で船体も真っ白で、見た目は記憶の中と何も変わっていなかった。 ふいに「おかえり。」と言われたような気がしたのは、海風のいたずらだろう。 今はランチとディナーを提供するクルーズに利用されているようだ。 姉妹船の『マリーンルージュ』がサザンの曲ですっかり有名になってしまった分、『マリーンシャトル』はどこかひっそりとした面持ちを残していて、逆にそれが『マリーンシャトル』との秘密めいた感覚を抱かせて、ちょっぴり嬉しい。

中華街を冷やかしてお決まりの月餅をいくつか買い込み、ホテルに着いたら、フロントで海側の部屋も用意できると勧められた。 ホテルは旧「ザ・ホテルヨコハマ」だった「モントレ横浜」。 ここからなら『マリーンシャトル』も見える筈だ、と、ついつい海側のお部屋をお願いしてしまう。 港全体を抱きかかえるような夜景は素晴らしく、背景にベイブリッジやみなとみらいの高層ビル群を従え、手前の山下公園、その中にすっぽりと『マリーンシャトル』も納まっている。 コンサートから戻っても、ライブの余韻と夜景に心を持って行かれたまま、ぼんやりと長い時間外を見ていた。

翌朝、ここぞとばかりに普段より随分早起きして、前の日に行けなかった山手の方へ。 女学生達がまだ誰も来ない坂道を登り、港を見下ろして深呼吸。 雨の近い湿った空気の中に、少し潮の香りがした。 きっといつかまた来ることになるだろう、と、思った。 まだ若い頃横浜に来る度に感じていたものと、寸分違わぬ同じ感覚で、そう思った。

不思議なもので、街は人を作る。 どの街にも「ここに来るなら、こんな人であってもらいたい」というような街からのメッセージがある。 多くの場合、それは人がコントロールできるものではなくて、その街に染み付いているような感じのもの。 今になって漸く、心に余裕をもって散歩できるようになった私を、横浜の街は優しく受け止めてくれているように感じられた。

帰りはあの頃にはなかった「みなとみらい線」に乗ってみることに。 駅まで歩く途中、貿易ビルのエントランスに、2階のレストランへ続く流線形の外付け階段を見つけた。 お店は変わっているようだったが、階段が昔のまま残され使われていて、懐かしい旧友に再会したような気分。 街路樹のイチョウは高い枝から小さな花をたくさん落として、紙吹雪のようなシャワーで祝福してくれていた。

他でもない横浜でのコンサートに行けたことは幸せだった。 ありがとう、またいつか。   

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2009.04.21

棚ぼたコンサート

山下達郎さんのコンサートに、横浜の神奈川県民ホールへ。 友人夫妻が確保したチケットが、パートナーが行けなくなってしまったとのことで回ってきた。 ありがたや・・持つべきものは友、である。

18時半ほぼ定刻に始まったのに、終演後ホールの外に出たら22時だった。 みっちりと濃い。 内容の濃さのみならず、客席を埋めている方々の(ぱっと見の)年齢層の高さにも驚き、また、ちゃんと椅子に座った状態でじーっと聴き入るコンサートというのも久しぶり。

私が普段顔を出すようなライブとは、もう、ね、完成度が桁違い! もちろん、荒削りの音楽には「勢い」とか「ノリの要素が多い」という面白味もあって、それはそれとして十分認めているつもりだけれど、それとはまったく別方向からのアプローチが妙に新鮮に思われた。 荒削りを聴かせてくれる人や場は多いのに反し、完成に近く作り込んだものを聴かせてくれる人や場は限られているように思う。 何の迷いもなく何も恐れず心配せずに、自分の感性を、ステージ上からの音に全面開放してどっぷりと浸かり、それにも増してそれ以上のものをステージ上から送ってくるというのは一体どういうことか、と、うっとりしている間に、時間は過ぎて行った。

私自身、普段それほど山下達郎さんに惚れこんでいる訳でもなく、彼のライブはなんと20年以上振りという状態だったのだが、今回も気持良いくらいに圧巻のノックアウトされっぷり!! 凄いお方だわ・・。

あの時代の方達(アラウンド還暦)のパワーの凄さは、いったいどこから来ているのだろうか?

急だったし遠かったけれど、本当に行って良かった。 ラッキーに感謝。

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2009.04.18

ふともも

このところ「日本語の神」(←抽象的な例えなので『そんなの居るのか?』などと突っ込まないでください。 えっと、ですね、書きたいことが文章になってがんがん浮かび上がってくるようなピリオドもあれば、考えや伝えたいことはあっても文章や表現に不自由な自覚のピリオドもあるわけで、その辺の感覚の違いを完全に自分の責任から押しのけちゃっている、いうなれば他力本願の極み的な例えです。)が、自分から遠ざかっているので、読書にしてもあまり難しい本は読む気になれず、軽い印象のエッセイや旅行記に手を伸ばしている。 いつどこで読むのを中断しても、急に続きを読み始めてもあまり困らないのが何よりだし、センテンスも短いことが多いので、「寝る前にちょっとだけ」にも都合がいい。

その中の一つが、山田詠美著「アンコ椿は熱血ポンちゃん」。 「小説新潮」に連載されているエッセイをまとめて本にしたシリーズの最新版。 相変わらず山田詠美節が炸裂で、ある意味において安心して笑って読める内容だ。 自分の心が低レベルな時、山田詠美さんの「熱血ポンちゃんシリーズ」を読んでいると、勢いで一緒に持ち上げてもらえるような気分になって気持ちがいい。 のだが、今回特筆すべきは、その表紙というか装画である。 山田詠美さんがモデルの似顔絵というか、酒のボトルの上に座っている全身像なのだが、これが非常に良い!! 単に似ているとかそうでないとかのレベルを超えて、山田詠美さんの人となりのようなものまで見事に描き出してある。 一種の感慨のようなものを覚えて頁をめくると、描いたのはあの吾妻ひでおさんだった。 言われてみれば、描かれた山田さんのファッションアイテムや手にしているグラスの中等、いたる所に謎の生物がたくさん居て、いかにも吾妻さんらしくも見える。

吾妻さんご自身も、路上生活者になったりアルコールに依存したり、なかなか濃い人生を歩まれておいでのようだが、たかが絵一枚に、被写体の全てを移し込んでしまうかのようなその力に、思わず唸ってしまうほどだった。 これは単なる漫画手法を使った絵や装画ではなく、ポートレイトだ、と、思った。

吾妻さんのHPに行ってみたら、その原画がアップされていたので、リンクを張っておく。 『ひでお日記』の3ページ目にあります。(トップページではないので、リンク先が変わってしまったら、お許しを。)

個人的に何よりもインパクトを感じたのは、他でもない「組まれた足の下側になっている彼女の右足のふともものライン」だった。 どういう訳かは自分でも分からないのだが、このラインは男性でなければ描けないような気がして。

●「アンコ椿は熱血ポンちゃん」 山田詠美著 新潮社 初版2009年3月 1300円

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2009.04.13

のたりのたり、かな。

● 昨日から「オケラ」が鳴き始めた。 ジーッという音があることで、逆に静寂が強調されている。 ・・それにしても、今年は季節の進行が早いなあ。

● 最近食べて、「うん、これは!」と思ったジャンクなもの2品。

  • ポテトチップス シマヤだしの素かつをだし味  ネーミングからして「なんじゃ、そりゃ?」なんて思ったのですが、食べてみたらしっかり芋の味と香りが美味しい上に、それほどダシダシという嫌味な人工的な味もせず、非常にバランスの良い最近稀な素晴らしいポテトチップスでした。 しかも、安い!! 某K社(あっ、有名処は2社共K社ですね。 あっいや、片方は『か行』でもC社になるのか。)より、こちらの製品の方が勝っています。 あんまり見かけないけれど・・。 どこかで売られていたら、是非お試しあれ。
  • 雪見だいふく たまごプリン  これはきっと何処にでも売っていますね。 イースターだし卵にちなんで・・なんて思いつつ選んだら、予想以上に美味しかったです。 真中に入っているカラメルがちゃんと苦くてグッド! ちょっとお高い気もするけれど。(と、言っても150円ちょいだったですが。 どうも子供のころの感覚から抜け出せず、アイス=一個百円みたいな構図が成り立っちゃっているんですよね。 まったく、いつの時代だよ、という自覚は持っているのですけれど。)

● 『ますたあ』と一緒に、春に誘われてふらりと松崎町へ。 もう、桜は名残程度だったが、どこからともなく散った花びらが車の窓からはらはらと入ってきて、幸せな気分に。 ぽかぽか陽気で、まさに「ひねもすのたりのたりかな」を地でゆくような光景を楽しんできた。 標高の高い場所からは、地形に沿って春霞が漂っているのが見えるほど。 伊豆半島は海と山が近いので、眼下にジオラマのような風景が楽しめるところが魅力的。

● 最近、山のてっぺんに設置されている電波塔とかアンテナ塔とかに、妙に魅かれている自分に気が付く。 わざわざ山に登って塔の袂から見上げたりすると、「萌え~」という感じ。 ちょっとやばいかも。

● このところ陽射しが強いので、ウォーキング兼ランニングを夕方の時間に移動している。 いつの間にか汗をかける気候になった、と、不思議な気分になる。 霜焼けの潰瘍の跡もきれいに治って、今やもう日光過敏症の湿疹を懸念するようになってしまった。 早いと書くのは簡単だが、どちらかと言えば「うかうかしていられないな」と、自分を戒めるような感覚に近い。 今一つ、気持の奥の方にピシッと気合が入っていないのは、何故なんだろう? 

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2009.04.09

思い出と向き合う

毎年この時期になると、卒業した看護大学から同窓会のお知らせが届けられる。 その書類の中に今年は、「学生寮の閉鎖について」というのが入っていた。

私が学んでいた学校は新宿区にあるが、当時でも珍しく入学から卒業まで全寮制を強いていた。 「生活全般も指導の内」というスタンスだった訳で、地方から上京してきている学生たちにとっては、「親御さんも安心して娘を東京に学びに行かせることができる」という利点があったのかもしれない。 現に当時は東京以外の出身者がほとんどだったと記憶している。 一学年30名ほどしか入学を受け付けず、寮生活で四六時中『誰かの目がある』という状況の中で、連日緊張した病院実習をこなし、卒業までに約一割の仲間は途中でリタイアしてゆくという、なかなか過酷な日々だった。 さすがに最近になって、最終学年の生徒には通学を許可したり、希望者のみの入寮とするなど、だんだんと縛りが緩くなっていたという風の噂は届いていたが、ついにこの3月で寮は閉鎖され、やがては取り壊しも視野に入れた検討に入っているらしい。 時代だなあ、と、しみじみ思う。

良くも悪くもそれはそれは濃い学生生活を送った寮が、いざ取り壊されると聞けば、なんとなく「ある内にもう一回ぐらい見ておきたいよなあ」、という気分になるもので、4月中は連絡を入れれば同窓生が内部を見学させてもらえるとの由のお知らせだった。

お知らせを読んだ途端にたくさんの記憶の断片が、一気に押し寄せて来て、一瞬すぐにでも駆けつけたいような衝動に駆られた。 私は(自分で言うのもなんだが)結構Coolな奴なので、過去のことは過ぎ去ったことにして、あまり拘ったりしないタイプだと自覚しているが、それでも尚、オッと思わせる勢いがそこには残されていた。

予定を組めるかどうか、まだ分からないけれど、「行ってみるのもいいかな」と、ある意味軟弱にそそられているのも事実。 ・・こんな部分が残っていることが、自分でも意外な感じがしている。 年とったのかなあ?

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2009.04.07

あぁ気がつけば4月になってから、もう既に一週間も経ってしまっているじゃないか!

買い物に出かけたら道路際の桜が何処も彼処も満開で、車窓からお花見をしている気分だった。 淡いピンク色の綿菓子のようにボワッと膨らんでいる桜の木は、山の中でもそこだけ立体的に見えて目立っている。

何があったという訳でもないのだけれど、冬用バージョンだった身体がそこから脱却するのに伴って、小さないろいろな不調が表出してきた感じで、不定愁訴をたくさん自覚した。(冬用・夏用なんて、雷鳥か?!) そろそろ更年期の入り口なのかもしれないと思う。 こんな風にして環境への適応能力がだんだん落ちてゆくのかと、少々憂鬱になったりもするのだが、後戻りできないのがまた救いでもあり、開き直りが一番の薬かも知れない。

風もなく穏やかな午後は、義父の車いすを押して小さな散歩がてら花見に外へ連れ出した。 どこまで解っているのか覚えてくれているのか、相変わらずこちらにはよく分からないのだけれど、外で日向ぼっこをしながら満開の桜を見上げる表情はとても穏やかだったので、それだけで十分としたい。

自然に囲まれた場所で生活していると、厳しい冬を乗り越える大変さをはっきりと自覚する。 穏やかな温かい気候、満開の桜、山に芽吹いてくる山菜などは、まるで無事に冬を越せたことに対するご褒美のようだな、と、思う。 遠慮せずにありがたく頂いて光や風や景色や御馳走を満喫させてもらおう。

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