余裕の累積
このGWは静かに落ち着いて過ごしていた。 読みたかった続きものの本をじっくり読んだり、生のタケノコを下ごしらえしたり、庭の生えてきたフキを摘み取ったり、友人たちと連絡をとったり、建物中の照明器具を片っ端から掃除したり・・「なんでもないこと」でありながら「時間のかかること」をわざと選んだような気もする。
現在の我が家では会社員は居ないので、自分の時間は自分で管理することができるが、それでも社会と繋がっている以上は必ず相手方の都合を無視できない。 GWは広い範囲で社会が休んでいるのでこちらも影響を受けずに済み、結果としていつもに比べて、より自由に自分の時間を管理することができる。 ましてや、お休みの日には観光客が流入してくる観光地に暮らしているので、「どうせ道路も混んでいるのだし」、と、はなから諦めて家で「おこもり」することにしていたから余計だ。
ペースを乱されることもなく時間を使いながら、気持ちの余裕というのは大切だなあ、と、思った。 感受性も変われば、自分の考えも、使う言葉も口調も違ってくる。 空の見上げ方も、食卓に上がるメニューも、眠りも違う。 ついでにいろいろと考えを巡らすようになる。 相手を思うようになる。
小さな差であっても、毎日の累積となれば大きい筈。 人生ウン十年としたら、その差は・・。 多分、漠然と一般に比較したなら、これでも普段から余裕を「ぶっこいている」生活なのだとは思うのだけれど、それでもこの違いだ。 余裕の貯金ができたらいいんだけどなあ。
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