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2009.06.28

兄弟のようなもの

今日は『ますたあ』が地域の出役(共同作業)の草刈りだった。 お昼には各自、作業場から家に戻ってごはんを食べて休憩し、決められた時間に再集合する予定になっている。 屋外での作業だし体を使うから、お昼ごはんはガッツリしたものを手早く食べられるように、「豚丼」のつもりだった。

 「豚丼」  2人分

  • 豚こま切れ肉  200g
  • 玉ねぎ      半個
  • 水         200cc
  • 醤油とみりん  大さじ2ずつ
  • 砂糖       小さじ1
  • ショウガ     1片
  1. 玉ねぎは薄めにスライス、ショウガは細切りに。
  2. 鍋に水と調味料を全て入れて、ひと煮立ちしたら、玉ねぎとショウガを入れて煮汁の再沸騰を待ち、肉を加える。
  3. 蓋はせず、そのまま中火~弱火で10分煮る。
  4. 器にご飯(材料外)を盛り付け、煮汁大さじ2を回しかけてから、煮えた具材を乗せ、お好みで唐辛子を振っていただく。

ところが、雨が強くなってきたので、午前中だけで作業は中断されることになり、お昼ごはんも「お疲れ様会」を兼ねて、作業に参加したみんなで食べることになった。 家の私だけで「豚丼」を食べても中途半端に残ってしまうので、急遽別の物(昨日作った「夏野菜のトマト煮込み」と温泉卵。)を食べることにして、夕飯にキャリー・オーバーとした。

これは個人的な感覚だと思うが、私は夕飯に丼をあまり作らない。 夜は「ご飯+おかず」を食べたい気分なのだ。 なので、ひと手間加えてリメイク。

 「肉豆腐」  2人分

  • 「豚丼」の具    2人分
  • 木綿豆腐      1丁
  • 葉ねぎ       2本
  • 和風顆粒だし   小さじ1
  1. 「豚丼」の具を煮汁ごと鍋に入れ、和風顆粒だしを加え、火にかける。
  2. 木綿豆腐を水切りせずに8等分して、沸騰した1の鍋に入れ、そのまま10分中火で煮る。
  3. (できればここで一度鍋ごと室温まで冷まし、食べる直前に温め直す。)
  4. 器に煮汁と一緒に盛り付け、細かく切った葉ねぎを散らす。 お好みで唐辛子を振っていただく。

「豚丼」に豆腐を足したってよいのだろうし、「肉豆腐」にご飯を入れて食べても美味しいだろうし、どちらがどうでも何とかなってしまう。 兄弟メニューみたいなものだろうか。 こんなことをやって実際に食べていると、『メニューのオリジナル性なんて、在るようで無いものなんじゃないか?』という思いが、ふと頭をよぎる。 どこまでが「豚丼のアレンジ」でどこからが「肉豆腐」なのか、作って食べている本人にも判らない。 料理は面白い、と、思う。

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2009.06.24

無知でした

去年の夏の終わりにいきなりどうしたのか、蓮の花が見たくなった。 調べてみると残念ながらもうとっくにシーズンは終了しているらしいので、今年に持ち越しの扱いに。 どこか近くで見られないものかと探してみると、隣の市の寺院で育てられているとのことで、ひと月ほど前に場所の確認を兼ねて行ってみた。 境内や駐車場にずらりと水を張った鉢が並べられ、青々とした大きな葉っぱが茂っている。 お寺の敷地内に池があることを想像していたので、ちょっとイメージとは違ったが、育てられていることが確認できたので安心した。

そして、今日はちゃんと花を見る為に出かけた。 水鉢の上にすらりと伸びた茎が大きな花を辛うじて支えている。 中には昨夜の強風でしなってしまい、地面に向けて花が咲いているものも。 大輪の花は花弁のグラデーションも見事で、派手なピンクの色使いに反して上品な印象だ。 なにかちょっと浮世離れしたような清楚な美しさがある、と思った。 白や黄色の花もおっとりと穏やかに美しい。 風が吹くとハラハラと散って、それもまた風情がある。 菊とジャスミンを混ぜたような香りが漂い、いかにもお寺(お釈迦様や仏教)に相応しい光景だった。

とてもきれいでめでたし、めでたし・・でも、何か自分の中の蓮のイメージと違う。 「蓮ってこんなに茎が長くて長身で、その長い茎の上に花がつくものだったっけ?」 私の頭の中では、水面に花が浮かぶようにポッカリ開いているイメージだったのだ。 あれー??

帰ってきてから調べてみて、はっきりと原因が分かった。 私が思い描いていたのは睡蓮で、蓮ではなかったのである。 睡蓮は葉に切れ込みがあり、水面に葉の表面が浮かぶように茂り、同様に水面ぎりぎりで花が咲く。 それに対して蓮は葉が全円で、水面から茎が長く伸び、花も高い所に付くということらしい。 その上、私は睡蓮の花と蓮の花を混同しており、今日見てきた蓮の花が水面に浮かんでいる光景を想像していたのだった。 ・・なんてこったい! 言われてみればモネの「睡蓮」はこんな花じゃなかったよ、確かに。 その上、睡蓮はかつて熱川の「バナナ・ワニ園」に行った時、温室の中で嫌というほど見ていた経験もある。 これはそんな昔のことではない。 「あー確かに見てるわ、それ。」

私が本当に「見たかったもの」は、自然界には存在しないものだったらしい。 とほほ。 無知は怖い、と、静かに反省。

言い訳のようだが、蓮の花は浮世離れしたような独特の美しさだったので、機会があったら是非どこかでご覧いただくことをお勧めしたい。 午前中に見ないと閉じたり散ったりしてしまうらしいのでご注意を。

(ついでにもう一つ。 散った蓮の花弁はまさに中華料理を食べる時に使う「レンゲ(蓮華)」にそっくりの窪み具合で、感激した。) 

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2009.06.20

意表を突かれる

今日のお昼はパン。 食べていると何処からともなく蚊が一匹寄ってきて、食卓に向かい合っている二人の間を行ったり来たりして纏わりついてくる。 食事中に嫌だなあ。 ところが、トースターで焼いたパンを食卓の大皿に移したら、何を間違えたか、ブーンと近付いて焼きたてのマフィンの上にスッと止まった。 払うのも忘れて思わず「そっちかい!」と、突っ込む。

夕方に某旅館から営業の電話が入る。 「お得な宿泊のご案内をさせていただいております」とのことだったが、ここから車で1時間ちょっとしか離れていない、言うなれば『近隣』なので、どう考えたって日帰りの場所。 わざわざそんな近くに宿泊することは、まずあり得ない。 断って電話を切ってから、わざわざ近隣在住者を狙って営業してきたのだとしたら新しい手だな、と、思ったり、そもそも旅館が個別に電話で営業かけてくること自体が初めての経験だし、どうして今まで無かったんだろう、と、思ったり。 どちらさまも不景気で大変なんだろうな。 営業、ご苦労様です。

ずいぶん久し振りに眩暈がする。 「御無沙汰でしたね、フフフ、油断してたでしょ?」とでも言われた気分だ。 「はい、完全に油断してました。」・・妙に悔しい。 

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2009.06.18

梅雨時 2

湿度が高いと、なんとなくさっぱりしたものが食べたくなる。 今夜は中心になるおかずがこってり醤油系の味付けだったことも重なり、余計にそう思ったのかもしれない。 大根と人参を千切りにして塩で揉んでから甘酢に漬けて馴染ませた。 季節外れのおせち料理みたいだったので、唐辛子で辛みを上乗せし、更に「すり胡麻」をたっぷりと混ぜる。 サラダとはまた違う、一種の落ち着きのような雰囲気が食卓に漂って、なかなか良かった。

今日は立派な牡鹿とすれ違った。 お互い「あっ、どうも、お邪魔してます。」みたいな感じで、速足で逃げるでもなく同じペースで反対方向へすれ違う。 その距離3mも無い、まさに至近距離。 家に戻ってきてから冷静に考えてみると、こんなに警戒されないのもいかがなものか、と、呆れるやら怖くなるやら、だ。

スポーツ施設の植栽に使われている老木の白梅の木の下を通ったら、目の前30cm位の所に何かがストンと落ちてきて、さすがに驚いて後ずさり。 落ちてきた物は地面でバウンド・・よく見ると黄色く熟した梅の実だった。 痩せた細い木なので、見上げてみても、一個だけ付けていた実のようだ。 拾って掌に乗せると、ふわーんと甘酸っぱい香りがした。 今年は「梅仕事」をやらないので、梅の実一個だけ持っていても使えないのだが、老木からプレゼントを貰ったような気がしたので、そのまま持って帰り、庭に埋めた。

時々、自分は本当に人間なのだろうか、と、妙なことを真剣に思う。 あまりに周囲の自然環境に受け入れられすぎているようで、怖い。 

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2009.06.16

梅雨時

● 窓の外にネズミモチの木がある。 ちょうど白くて細かい花をたくさん咲かせている。 特別なんということも無い「普通の木」に見えるのだが、何故か昆虫たちには大人気! 他の花を差し置いて、圧倒的人気のように見受けられる。 どのくらい凄いかというと、集まっている蜜蜂の羽音で木全体がブンブンと音を発しているように聞こえる。 先日ぱっと見で数えただけでも50匹近い蜂に、10頭の蝶が一本の木に確認された。 見えただけでそんな数だから、実際はもっとたくさん居るに違いない。

蜜蜂も蝶も何種類もやって来る。 見ていると、どうも蜜蜂は基本的に自分のするべきことに必死で、すぐそばに別の蜂が居ても、たとえそれが別種の蜂であっても、お互いに「我関せず」を貫いている。 それに引き換えアゲハ蝶は自分が花に止まることを二の次に回しても、他のアゲハ蝶を認識するや否や、まず追いかけて邪魔をして追っ払おうとする。 自分が既に花に止まっていても、わざわざ飛び立って相手の邪魔をする。 優雅な姿とは対照的でずいぶん縄張り意識が強いようだ。 同じ昆虫でも蜜蜂とアゲハ蝶とでは、かなり性格が違いそう。 面白いものだな、と、思う。

ウグイスやメジロ、スズメも飛んできて、ちょいちょいと枝から枝へ飛び移っては、くちばしの先に青虫や尺取り虫をくわえて飛び立ってゆく。 どこかの巣で子育ての最中なのかもしれない。

ネズミモチの木は冬になると紫色の細かな実をたわわにつけて、それが今度は鳥たちの餌場として大人気になる。 たかが一本の木なのに本当にたくさんの命を養っている様子がとっても心強く思えて、なんだか頭を下げたくなった。

● 今年初めてのナスを触ったら、ヘタの棘が掌に入ってそのまま埋もれてしまった。 ナスごときに刺されるとは、何とも情けない気分。 自然に取れてくれることに期待しつつ、そのままいじらずに様子を見ることにした。 自分の思い通りにならないことを持続的に抱えていることも、また大事なことなんじゃないかと、言い訳のように考えてみる。

● 夕方、友人に長い手紙を書いた。 この時代になっても、手紙が相応しいシーンがあることに、ほっとするような嬉しいような不思議な気分だった。 届くまでの「間」の微妙さが大事なんだよな。 ウェブでのやり取りやE-mailと比べて、自分の字で言葉を綴るのは、話して伝えることに近い気がすると、書きながら思った。 使い分けできる時代に生きていることに感謝。   

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2009.06.13

ご飯茶碗

かれこれ数年がかりで、自分の使うご飯茶碗を探している。 手元に置いて使っているものはいただきものの夫婦(めおと)茶碗の片方で、何故かはじめから焼き物としての「ゆう薬(うわぐすり)」がかけられておらず(男性用にはちゃんとかかっている)、だからと言って使っている間に絵柄が剥げるということもないのだが、なんとなく肌触りが滑らかでなくて気になるし、柄もサイケデリックな感じで自分の好みからは少々離れている。 送り主への感謝もあり、使えるものを活用しないのも嫌だったので使い続けてきたものの、ここ数年、生活をコンパクトにしたいと思うようになって以降、食器でも洋服でも身の回りの物は全て「数は少なくても気に入ったものだけ」を使いたいと考えるようになってきた。 それで、ご飯茶碗も探しているという具合である。

実際どこでも買えるような品なので行く先々のお店で覗いたり、ちょっと旅行に行けば現地の陶芸家の作品を覗いたり、骨董屋さんの店先を冷やかしたりもしている。 ところが、いまだにこれというご飯茶碗を見つけられないままだ。 割れてしまったのならば話は違うが、とりあえず使えるものを持っているので焦る必要もなく、新しく買うものに妥協する必要もない。 それが裏目に出てしまっているような気がする。 掌にご飯茶碗を包んでみて「可も無く不可も無く」なら買わない。 なにかぴんとくるような特別な感覚を待ち望んでいる。

どことなく納得しきれないような気分を抱えたまま食べているのは、毎日使っているご飯茶碗に対しても実は失礼なことなのではないか、などと思ったりもするけれど、なにせ一日何回も使うものなので、それを使うことが普通になってしまっており、品選びをしている時以外はさほどの不満も思いだせない。 まるで茶碗に「ほら、やっぱり私のところに帰ってきたでしょう?!」とでも言われている気分だ。 捻じれた変な情。

「離婚」を口にしてからもう何年も経過している、学生時代からの友人が居る。 御夫婦共に残念ながら愛情はほとんど感じられないのだそうだ。 「子供の為だけに結婚の形態を維持しているようなもの」、と、きっぱり言う。 帰るべき家に表面上の不安が無いことは子供の成育環境としては大事だろうと思う反面、御夫婦が「自分の人生はいったい何だったんだろうか」と後悔しないことを望むと、話を聞いているこちらとしてもやり切れない思いがする。 御夫婦双方とも表面上の現状維持に精一杯の様子だから、新しいパートナーを探すとか新たな出会いを求めるという状況ではないようだが、きっとそこにも「捻じれた変な情」が存在しているに違いない。

家庭の現状を維持すること自体が子供の為だとしたら、私も今使っているご飯茶碗を使い続けることに、自分にもよくわからない価値が潜んでいるのだろうか。

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お知らせ

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  1. 本文の内容に関連した記事であること。
  2. 当方の文章を一部引用もしくは要約した上で、引用元として当方の個別ページに直接リンクを張っていること。

   リーボー

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2009.06.06

今日の台所仕事

一昨日「煮豚」を作った時の茹で汁が残っていたので、それを使って「肉じゃが」に仕立てた。

昨日「チキンカレー」を煮た時に、鶏の胸肉からはがした皮を刻んで「きんぴらごぼう」に使った。

キャベツを一玉買ってきたので、外側の青々とした葉を剥いて「ロールキャベツ」を作り、冷凍ストックに回した。

今日、通常の食事以外でやった台所仕事の列挙だ。 これだけ常備菜(?)が揃えば、数日はメニュー構成が楽になりそう。

「無駄なく使う」ことは「手間がかかる」ことを、かなり伴うという気がする。 それに費やすだけの時間と余裕があることは、幸せなことなのだとも感じているけれども。

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2009.06.05

表現

友人が、友人同士で飲んだという手紙をくれた。 私も含めて3人とも同級生だった仲。 で、飲んでいる内に私の話題になったそうで、手紙から引用させてもらうと、「『彼女は本当にていねいに生きているよね』と話したのです。」だそうだ。

それを読んだ私の本心を書けば、私は久々にびっくりした挙句、文中の「彼女」が一瞬誰のことか分からずに文面を読み返した程だったのである。 友人達の中でも、近況を含めて多分私のことをよく知っている部類の友人が、それも二人揃って私のことをそう見ているらしいことに心底驚かされた。

返信の手紙にも書いたのだが、私は自分のことを客観視して分析した時に、「ていねい」という単語は出てきた試しが無い。 子供のころから今まで、記憶が正しければ多分一度も、だ。 しかも、自分が自分に使う単語は「アバウト」だったり「がさつ」だったり「大雑把」だったりと、全くの正反対のものばかり! このギャップは一体何だろうか、と、ノックダウンに近い衝撃だった。

首を捻りつつ色々と思いを巡らせた結果、「ていねい」という印象を私に与えているものがあるとしたら、それは「私の使う言葉」だったり「私の書く文章」だったりするのではないか、という仮説が浮かんできた。 俗に言われる「汚い言葉」や「雑な言葉」「暴力的な言葉」を非常に嫌うのも確かだが、身近な相手にさえも「ていねいな言葉」で話しているらしいことは、以前にも何度か指摘を受けた覚えがある。 私が友人の前で家族に『帰るコール』をかけたりすると、側で聞くともなく聞いていた友人が、「今の電話、家にかけてたんじゃないの?」などと尋ねてくるのだ。 「家だよ。」 「えっ?誰と話してたの?」 「お母さん。」 「お母さんとそんな言葉遣いで話すの?! 誰か別の人と話してたのかと思った!!」 こんなケースが複数あったので、どうやら私の電話は改まった印象を相手に与えるらしい、という自覚をしたのだった。

友人や知人の多くが首都圏で暮らしている状況の中、私の日常の断片は、このブログや、手紙、E-mail、電話でのやり取りで相手に伝わってゆくことが多い。 と、なると、「私の使う言葉」や「私の書く文章」が私の分身となっているわけで、それらがもし相手にとって「ていねい」と感じるものだったとしたら、私自身も「ていねい」だと思われている可能性があるのではないか。

馬鹿丁寧である必要もないだろうが、誰が何処で読んでいるか分からないWebの特性の上では、ある程度の「表現の身だしなみ」は必要なのだと思う。 それが勝手に「私」を形作ってゆくからだ。

「ていねいだ」と言われて決して悪い気はしないし、多分友人達は褒めてくれたのだと思う。 背筋を伸ばし直すような気持ちになった。 返信の手紙には、「ということは、私が気合を入れて『ていねいに』生きたら、大変なことになるかもね。」と書いた。 実際の中身がコレだからそんなことも不可能だろうという前提の、ほんの冗談である。

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2009.06.03

ほろ酔い

友人が残業の帰りにビールを飲んでいたらしく、夜中にメールを送ってくれた。

別の友人が、そのまた友人と飲んでいて、何故か私の話になったらしく、手紙とプレゼントの本を送ってくれた。

他でもない「ほろ酔いの時」に思い出してもらえるのはとっても幸せなことだなあ、と、じんわり嬉しかった。

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2009.06.02

今日という一日

● 義父がお世話になっている老人施設に、近くの内科医が定期的に往診してくれることになった。 その医師が男性で初老と呼ばれるような年齢とお見かけするが、肩を越えるような長髪を後ろで一つに束ねている。 なかなかユニークなお方だなあ、と、思っていたら、今日ちょうど玄関で鉢会わせ。 なんと草履(ぞうり)を履いていらした。 普通のシャツにチノパンのような服装だったが、これで作務衣か何か着ていたら、まるで『陶芸家』か『蕎麦打ち職人』である。 ・・その内に一度じっくりとお話してみたいものだ。 まあ、医療も芸術も突き詰めれば『職人』か。

● 今シーズン初物の生トウモロコシ。 茹でて塩を振ってかぶりつく。 想像していたよりも立派に甘い。 その甘さの向こうでちょっと青い香りがして、もう初夏なんだな、と、思った。

● お店で「マンゴープリン」を頼んだら、ほろほろとやわらかいのが供されてきた。 ゼラチンの分量を間違えて上手く固まらなかった「マンゴーババロア」みたいだな、と、余計なことを思う。 やわらかい出来上がりでも舌触りが滑らかな素材ならば、それはそれで良い気もするが、なまじちゃんとしたマンゴーピュレが使われている分だけ中途半端で、モロモロっとした感覚が強調されてしまい、うーん・・と首を捻る。 50点ぐらい。 やわらかくすれば良いっていうものでもない所が難しい。 ちなみに個人的にはプリンもゼリーも、クラシカルにある程度しっかり固いのが好き。

● 懸賞ハガキが当たり、お菓子の詰め合わせが届く。 正直に白状すると、インスピレーションのようなもので「ハズレる気がしない」ものにしか応募しないので、応募する回数は決して多くないが、当たりの確率は高い。 ただし問題は「ハズレる気がしない懸賞」の商品が、欲しい商品とは一致しないことで。 ある意味贅沢な悩み。 じゃあ応募するなってか。 ・・でも、当たるとやっぱり嬉しいんだよね。 我儘なヤツ。

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