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2009.06.05

表現

友人が、友人同士で飲んだという手紙をくれた。 私も含めて3人とも同級生だった仲。 で、飲んでいる内に私の話題になったそうで、手紙から引用させてもらうと、「『彼女は本当にていねいに生きているよね』と話したのです。」だそうだ。

それを読んだ私の本心を書けば、私は久々にびっくりした挙句、文中の「彼女」が一瞬誰のことか分からずに文面を読み返した程だったのである。 友人達の中でも、近況を含めて多分私のことをよく知っている部類の友人が、それも二人揃って私のことをそう見ているらしいことに心底驚かされた。

返信の手紙にも書いたのだが、私は自分のことを客観視して分析した時に、「ていねい」という単語は出てきた試しが無い。 子供のころから今まで、記憶が正しければ多分一度も、だ。 しかも、自分が自分に使う単語は「アバウト」だったり「がさつ」だったり「大雑把」だったりと、全くの正反対のものばかり! このギャップは一体何だろうか、と、ノックダウンに近い衝撃だった。

首を捻りつつ色々と思いを巡らせた結果、「ていねい」という印象を私に与えているものがあるとしたら、それは「私の使う言葉」だったり「私の書く文章」だったりするのではないか、という仮説が浮かんできた。 俗に言われる「汚い言葉」や「雑な言葉」「暴力的な言葉」を非常に嫌うのも確かだが、身近な相手にさえも「ていねいな言葉」で話しているらしいことは、以前にも何度か指摘を受けた覚えがある。 私が友人の前で家族に『帰るコール』をかけたりすると、側で聞くともなく聞いていた友人が、「今の電話、家にかけてたんじゃないの?」などと尋ねてくるのだ。 「家だよ。」 「えっ?誰と話してたの?」 「お母さん。」 「お母さんとそんな言葉遣いで話すの?! 誰か別の人と話してたのかと思った!!」 こんなケースが複数あったので、どうやら私の電話は改まった印象を相手に与えるらしい、という自覚をしたのだった。

友人や知人の多くが首都圏で暮らしている状況の中、私の日常の断片は、このブログや、手紙、E-mail、電話でのやり取りで相手に伝わってゆくことが多い。 と、なると、「私の使う言葉」や「私の書く文章」が私の分身となっているわけで、それらがもし相手にとって「ていねい」と感じるものだったとしたら、私自身も「ていねい」だと思われている可能性があるのではないか。

馬鹿丁寧である必要もないだろうが、誰が何処で読んでいるか分からないWebの特性の上では、ある程度の「表現の身だしなみ」は必要なのだと思う。 それが勝手に「私」を形作ってゆくからだ。

「ていねいだ」と言われて決して悪い気はしないし、多分友人達は褒めてくれたのだと思う。 背筋を伸ばし直すような気持ちになった。 返信の手紙には、「ということは、私が気合を入れて『ていねいに』生きたら、大変なことになるかもね。」と書いた。 実際の中身がコレだからそんなことも不可能だろうという前提の、ほんの冗談である。

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