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2009.07.22

書いちゃった

実は先週から父がまた入院生活を送っている。 恒例により肺炎だ。

こんな事を書くのもナニだが(百歩譲って元医療従事者ということでご勘弁願えるとありがたい)、人間というもの、最後は心臓の力だ。 まあ最初の一週間を過ぎれば急性期を乗り越えたと言える誤嚥(間違って食物や唾液や喀痰が肺へ送られてしまうこと)性の肺炎で、今回も心臓ががんばってくれたみたいだ。 こちらも少し気持ちが楽になる。

一方、またガックンと少なくなってしまったのは、語彙と一時記憶容量のようで・・はあ。 それもDay by day。 残念なことにもう会話は成立しない。 こちらが言うことは判る様子だが、それも「聞いた時点では」という条件付きで、あっという間に消え失せてしまう。 「快」を感じた時だけはケラケラと笑う。 老人は子供に戻ってゆくという誰かさんの言葉を思い出した。 赤ちゃんをあやしている感覚に共通する部分もあることを否めない。 脳の力が落ちると抑制も利かなくなるのか、我慢することができない。 その上、もじもじと自分が動かせる体の部分を使って、何とも理解に苦しむような不穏な動きを絶えずしているので、その内に偶然点滴のルートを引っ張ってしまったりするから、またじ悪い。 必要になったら最低限の抑制を最小限に行ってもらう旨の承諾はしていても、やっぱり見慣れたパジャマではなく抑制服を着させてもらっている父を見ればため息が出る。(完全看護で看護師達のレベルも低くなく、安易な理由で抑制するような病院で無いことは十分判っている。)

入院しているということは、イコール「信頼して任せている」ことな筈だが、それでもやっぱり色々と心が重い。 普段とはまた別の意味で「生きる」ことを考えさせられている気がする。 私は本当に言葉が悪い自覚を持つ上で書けば、人はなかなか死なせてもらえないものなのだな、と、思う。 それは「神様に」なのか、「社会に」なのか、「家族に」なのか?

ちょっと前、俳優の長門弘之さんが、妻の南田洋子さんのアルツハイマーという病名や介護の日々を赤裸々にマスメディアに語った。 その数週間後、うちで購読している新聞の投書欄に「奥様は病名を公にすることを望んでいるのだろうか。」という問題提起をした投書が掲載された。 残念ながら、現状として南田さんはその判断ができない状況下にある。 私はそれを読んで「うーん・・」と、しばらく唸った。 私もこのブログに、幾度となく父のことを書き、父は書かれることをどう思っているのか判断が付かない状況下、つまり長門さんと立場は一緒だ。 この話題には触れるべきではないのだろうか、と、しばらくはその話題を避けてきた。

しかし、人は誰でも老いるもので、脳の機能の低下も身体的能力の低下の一部であることを思えば、(また、若年性アルツハイマーであったとしても、)それは病気なのであり、隠したりこそこそする必要は無いのではないかと思う。 それよりも、こんな風に家族は看ていますとか、こんな感じで過ごしていますというような生の声を発信することによって、誰かの何かに参考になったり、社会から必要なサポートを引き出したりすることの方が、本人も社会の役に立って嬉しいのではないかと思い直したので、こうしてまた父の話題を持ち出した。

もちろん家族によって置かれている環境は様々だし、考え方も色々あるだろう。 その上で、やっぱり、他の人がその家族の事に口を挟むのはどうかとも思う。 本人が判断できない以上、それは法的に指名した誰かに任せるか、家族が代理で判断するか、そのどちらかしかないのだ。 それがどんなに重たいものか、どれだけ悩むものか、放棄したくなるような苦しみだってあることを理解していない他人が口を挟んでくるのは、やっぱり面白くない。

とりあえず今は、早く父の病状が軽くなって早く退院できるように、それだけを思う。 

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