« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009.09.30

THE SAME MOON

そう、きっと私達は一緒に飲んだのだと思う。

誕生日の前の夜、ケータイからのメールが届いた。 離れた場所にいる友人が、ラム酒好きの私の為に、バーのバックヤードに並んでいるボトルを写真に撮って送信してくれたものだ。 タイトルは「前夜祭」。 ありがとう、思いだしてくれて。

メールのやり取りなので、たくさんの言葉を交わす訳ではない。 そこそこの時間差もできる。 でも、それでいて何故か、文章の隙間にある気持ちとか雰囲気とか、そんなものまで理解し合えているような感じ。 逆に多くの言葉は必要としなかったのかもしれない。 リラックスしたほんわかした気持ちに任せて、短いやり取りを幾度か繰り返す。

ちょうどその夜は、双方の町にきれいな月が昇っていた。 そろそろ店を出るという最後に送信されたメールには、「一緒に飲んでいたみたい」と、あった。

その一言がぐっと胸の一番奥に落ちてきて、気の利いた言葉が見つからなかったのだけれど、多分私達は一緒に飲んでいたのだと思う。 空間を超えて、同じ月に照らされながら。

秋は、そんな不思議なことがあっても、なんだか当たり前のような気がするほどに、夜の奥行きが深い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.09.28

わざと凝らない

こういったものは、凝れば凝るほどきりが無いし、凝ればそれなりに美味しくなることも知っているけれど、わざと凝らないで作れば原点に戻ったようで、妙に新鮮に感じられたりもするから不思議だ。

 鶏手羽焼き    2人分

  • 鶏手羽なか      10本ほど
  • 醤油とみりん     大さじ2ずつ
  • 酢            大さじ1
  • ニンニク        すりおろし少々
  • 塩と胡椒        適宜
  1. 鶏手羽なかの骨に沿って包丁を入れ、塩少々を振って10分ほど置く。 じんわり染み出てきた余分な水分をペーパータオルで拭き取る。
  2. ボウルや食品用ビニール袋に醤油とみりん、酢、ニンニクを合わせ、1の鶏肉を漬けて30分放置。
  3. オーブンを180℃に余熱し、天板にオーブン用ペーパーを敷いた上に、2から取り出した肉を並べて胡椒を振り、25~30分焼く。

適当な野菜を付け合わせてどうぞ。  鶏肉と一緒にベイクドポテトや焼き野菜(ピーマン・茄子・ズッキーニ・かぼちゃなど)を焼いてしまえば一石二鳥状態。 オーブンが面倒ならば魚焼きグリルで焼いても。

骨付きの肉はポテンシャルが高いので、あんまり考え過ぎなくても良いのかもしれない・・なんていう気になる。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.25

レオ・レオニさんの絵本

「TICO and the Golden Wings」 という絵本を、英語の原文で読む。

作者はレオ・レオニ。 日本でも有名な「スイミー」を、子供の頃に読んだ方も多いのではないだろうか。 オランダで生まれ、イタリアで絵を学び、その後はアメリカで活躍した絵本作家であり、イラストレーターでもあり、グラフィック・デザイナーとしても有名、と、プロフィールには書いてある。 惜しまれつつ1999年に89歳で昇天。

「スイミー」は同じ種類なのに、本来の赤い色ではなく、真黒に生まれてしまった小さな魚が、色によって仲間外れにされる寂しさと疎外感に苛まれながらも、やがて自分にしかできない役割を見つけ出し、仲間に迎えられるというストーリーだった。

そして、この本の「TICO」も、羽が無い状態で生まれてきた鳥で、神の使いによって黄金の羽根を得るが、それによって今まで親しくしてくれていた仲間が嫉妬を抱き、仲間外れにされる。 強靭な羽によって外国に飛んだTICOは、多分インドと思われる国へ行き、そこで出会った貧しい人々に、自分の黄金製の羽根を一枚ずつ抜き渡して助けてゆく。 すると、抜いた後に生えてくる羽は、仲間と同じような真黒な羽で、全ての黄金の羽根を使い終えたTICOは、仲間たちと同じ外見となり、それで結果として再び仲間達に受け入れられるというストーリーだ。

最後にTICOは、外見上同じになることで仲間として受け入れられた喜びに咽びながらも、「みんなそれぞれ経験していることが違うんだから、みんなそれぞれに違うんだ」ということを、一人(一羽)だけ悟っている。

レオ・レオニ氏が生まれた国を離れた事情も分からないし、行った先々で人種的な差別を受けたのかどうかも分からないが、彼の作品の中にテーマとして横たわる「different」は重くて切ない。 そのdifferentが優れたものであるほど、相手は嫉妬を覚え打ち解けてくれないものだという、人間の哀しい習性をも描き出す。

ディテイルまで丁寧に書き込まれ、それでいて余計なものを省いたシンプルな絵の美しさと、大人だからこそ分かるテーマの深さのギャップが、とても印象深い。 全編において同一に描かれている主人公のTICOの円らな瞳に、なんだか泣けてきた。

英語自体は決して難しいものでなく、多分中学生でも読みこなすことができると思う。 でも、これを日本語に訳すとしたら、シンプルなだけに余計に難しいような、そんな気がした。 実は大人向きの絵本なのかもしれない。

 ● 「TICO and the Golden Wings」 Leo Lionni    Alfled A. Knopf社 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.22

なんで?

洗濯物をたたみながらなんとなくつけていたNHKの「きょうの料理」で、『栗蒸しようかん』を作っていた。 瓶詰めになって市販されている「栗の甘露煮」が材料のひとつなのだが、シロップごと栗を鍋に入れてそのまま火にかけ、少しに煮てからザルにあげて水気を切るという。 「こうすることで、余計な甘みが抜けますのでね・・」

へぇ~知らなかった、と、思い、でも、ちょっと考えてみると、「なんで?」。

私が使っていた手は、「栗の甘露煮」をまず栗とシロップに分け、シロップを水で2~5倍(栗にどの程度甘さを残すかによって調整。)に薄めた新たなシロップを作り、その中に浸けておく方法。 時間を短縮したかったり、保存性を高めたり、その後の栗を調理加熱しない場合には、その薄めたシロップで煮ていた。

そのまんまのシロップで煮ても、そのまんまの甘さにしかならないのではないか、と、想像してしまうが、やったことが無いので何とも言えない。 もしも、それで違いが現れるなら、そりゃ楽でいいな。 機会があったら試してみようと思う。

聞き間違いかとレシピを確認してみたが、やっぱり合っているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.20

栗熱

朝から掌が痺れるほど包丁を握り続けて、拾ってきた山栗の皮を剥き、甘露煮とラム酒漬を作って、夕方から微熱を出す。

これはひょっとして、栗の祟りだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.19

日常は「アイメトリクス」使用

日常使いの「アイメトリクス」を、レンズ交換の修理に出した。 厨房で炎の料理人と化している間に、気づかぬ内にレンズが高熱にさらされていたらしく、細かな傷のようなものが生じてしまったので。 こんな事を書くのも妙だが、使いだして5年は「想像したよりも、良くもってくれたな」、と、思う。 以前はバシバシに高温調理をしていたのだし、油や蒸気を浴びる機会もたくさんあった筈で、本人の見積もりとしては、3年ももてば御の字くらいに考えていた。

掛け心地の良さや、フレームの「ずれ」の無さに加え、瞳孔の位置に合わせてレンズを調整してくれているらしく、目の疲れが圧倒的に少ない。 俗に挙げられる「メガネのストレス」からほぼ完璧に解放されるので、大変気に入っている。 ただし、だ。 値段もお高い。 レンズ交換だけだと、製品の約70%の価格になるらしく、それでも「このお金で、汎用店だったら3体くらい作れちゃうよな・・」、などと、一瞬ひるむ。

最近は「アイメトリクス」もいろいろなデザインを展開して、だいぶ選択肢が増えたようだが、やはりオシャレ度からすれば、少々見劣りする感は否めない。 私も完全に使い分けしている。 日常使いではあくまでも機能優先。

仕方なく、以前使っていた予備のガラスレンズのメガネを使っているが、重いしずれてくるし、で、驚く。 「これで仕事していたのか・・」、と、思う。 「慣れ」って凄いな。 何が大事かを再認識する意味でも、日常の習慣を意識的に、たまに変えてみることは大事かもしれない。 生活習慣でも、食べ物でも、生活環境でも・・トライしてみるものはいくらでも見つかりそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.17

「魂」ときたか

スパムメールのタイトルを見て、笑ってしまう。

「Your soul is unclear」 だそうだ。

・・・

大きなお世話だっつーの!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.14

それはロックなのか?

「スカート男子」とその彼女らしき二人が、午後の山手線のドア横スペースで、だらんと、でも、結構大きな声で話していた。

「あたし『ショウ』とかつけたいんだよね。」 「どんな字?」 「桜井君と一緒の、『羽』みたいなヤツ。」

「オレ、さー」、と、スカート男子。 「『るう』がいいなって思ってて。」 間髪を入れず、彼女が言う。 「『るう』って、めちゃめちゃロックじゃん!」 あはは・・・うふふ・・・。

二人は原宿駅で降りて行った。 全体的によくわかんないけど、楽しそうだったから、まあいいか。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.09.11

役者が揃ってきた

庭のギンモクセイが香っている。

開花のピーク時のような強い香りよりも、咲き初めにそこはかとなく漂ってくる今頃の方が、魅力的なように思う。

作業の手を止めて何度となく深呼吸してしまうが、その度に鼻の穴が全開になっているであろう姿を想像して、自分で自分に引く。

昨夜は毛布を出した。 夕ご飯にサンマの蒲焼。 兄が送ってくれた甘い「幸水」、友人からのはがきには桔梗の絵柄。 ポツリポツリと山栗も落ち始めた。 藪蚊に追いかけられているのも忘れて、真っ青な空と鰯雲に見とれる。

季節の変化はいつも潔くダイナミックだ。 日本でよかったなあ、と、思う。

9月は、自分にとってやっぱり特別な月。 髪を切って少しさっぱりした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.05

アマゾン

ネットで、友人の元へ、専門的な本を届けてもらう手配をした。 一般的な書店では扱っていなさそうな書籍であることに加えて、デリケートな内容で場合によってはレジに持ってゆくのが憚られるかもしれないと思ったので。 それに少しばかり急を要する。 今回利用したのはAmazonだ。

指定すれば注文の翌日には届いてしまう。 まったく便利な世の中になったものだ、と、年寄り臭いことを思う。

発送完了の旨のメールを受け取って、「今、本は何処かな?」、と、クロネコヤマトのページへ飛んでみた。

本を受付した支店の欄に『アマゾン支店』とあって大笑い。 Amazonをカナで書けばアマゾンに違いないが、一瞬「えっ?」と驚く。

アマゾンは千葉にあるようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.09.03

餃子

あれこれ考えるのに疲れたある日、ふと思いついて餃子を作ることにした。 ひとつひとつ具(あん)を皮で包むのは面倒くさい作業なので、普段は敬遠している。 逆にこんな時は単純作業に没頭すれば、余計なことを考えなくても済むのではないかと目論んだのだった。

薄い皮の真ん中に具を乗せて、プリーツを寄せながら包んでゆく。 いいぞ、このちまちました作業は良い感じだ。 ・・と、思ったのも初めの10個目くらいまでで、慣れてくると手が勝手に動いて頭が時間を持て余し、挙句の果てにうっかり哲学的なことを考えて暴走し始めた。 ダメじゃん! 思考を強制終了し、つけ入る隙を与えないようにわざと鼻歌を歌いながら、餃子を包む。

目論見はあっさり裏切られて、わざわざ面倒なことを選んだ分だけ損をしたような気分が残ってしまった。 まあおかげで、出来上がった餃子がそれなりに美味しかったのは救いだったが。

仕事として毎日単純作業を続けなければならない方々の苦労が、少しばかり理解できた気がした。

ベーシックな餃子の具  皮ひと袋26個分

  • 豚のひき肉       200g
  • キャベツ         大きめの葉2枚
  • 長ネギの青い部分   2本分10センチずつほど
  • ニラ            4分の1束
  • 醤油・酒・片栗粉    大さじ1ずつ
  • 胡麻油          小さじ1
  • ニンニク・ショウガ   お好みで適宜
  1. キャベツの葉を芯ごと幅2cm位に切って、千切りにする。 ネギの青い部分は小口切り。 合わせて耐熱の器に入れ、分量外の塩ふたつまみを混ぜてラップをし、90秒ほどチン。 荒熱を取って、器の底に水が溜まっていたら捨てる。
  2. ニラはみじん切りにする。 ニンニクとショウガはすりおろす。目安としてすりおろしたもの小さじ1弱ずつ程度の量。 都合で入れなくても大丈夫。
  3. ボウルにひき肉、1のキャベツとネギ、ニラ、ニンニク、ショウガを入れ、醤油・酒・片栗粉・胡麻油を加えて、手でよく練る。

たまには家で作る餃子もまたオツなもの。 具が余ったら冷凍して、スプーンで丸めて中華風スープにでも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.02

Blue moon

義父のなんだかんだをきっかけにして、しばらくの間、心が「夏眠り」をしていたようだ。 原因もはっきりしているし、自分自身も「これは時間で解決できる」とどこかで客観的に安心していたので、あるがままに身を任せていたのだが、昨日になってようやく浮上してきた感じがする。 こうなれば薄皮が剥がれるように気持ちも解放されてゆくもので、今日はもう通常状態。 感性の能力も8割方回復した自覚。

年老いた家族を看るのだから、先の見えない閉塞感は如何ともし難いのは事実だ。 それでも、今回ぐっと進行した症状や老化が「悪化」という急性期を超えて「日常」に落ち着いてしまえば、それはそれで心も乱れなくなる。 この状態に慣れてきたということなのだろうか。 こんな風にして、何かを諦めつつ受け入れることを、繰り返してゆくものなのだろうか。

一番辛かったのは実は私の実家からの電話だった。 そろそろ母が年齢相応に、脳の情報処理能力が衰えつつあるのが見てとれる状態だが、義父の状態と娘夫婦の生活を心配して、ここぞとばかりに電話をしてくれる。 詳細を知ったからと言って彼女には何ができるわけでもない上、明日は我が身のことと身につまされて彼女の憂欝を増やすことにもなる。 こちらは親の性格を知っているし、むやみに心配をかけるのも嫌なので、あまり余計なことは話したくないし、できれば愛情を以ってそっとしておいてほしい状態なのだが、それでも親心として放ってはおけないと、頻回に電話をかけてきた。 残念ながら娘の私は「お喋りすれば気が紛れる」という女性によくあるパターンを持ち合わせていない性格なので、只でさえ誰とも話したくない抑うつの中、余計に重荷だ。 しまいには、「しばらくそっとしておいてほしい」と伝えて、ようやく静かになった。 ・・冷たい娘・・許してもらおう。 余裕が無かったのよ。 完全に浮上したら、慎重に言葉を選んで余計な心配をさせないように情報を処理した上で、ちゃんと現状を説明するつもりだけれども。

なんだかんだで義父はまだ当分入院生活を余儀なくされる予定だが、今日の面会では少しばかりコミュニケーションがとれて嬉しかった。 ちょっと前まで、何の反応も無く口をぽかんと開いて、完全に「思考がどっか行っちゃってる」状態だったので、これでは疾病が治っても生きる気力を失って天国へ昇ってしまうのではないかと、本気で心配した。 天国へ昇ること自体は心配しても仕方のないことなのだが、(まあ色々とありましてね、)このまま昇ってしまったら本人も私達も介護施設の方々も医師も、それぞれに後悔することを抱えそうなケースだから。

私の方は、何よりも自然環境が豊かなことと、日常生活においてはストレスがほぼ回避されていること、祈る方法を知っていること、これらにはずいぶん救われた気がする。 こんな抑うつ状態は15年振りぐらいだったかな。 ある程度まで行けばスッと浮き上がって来る感覚も経験済みのことで、「あっ、そうそう、こんな感じ」、と、懐かしく思い出した。

気が付けば9月。 早いな。

一昨日の夕方に青い月を見た。 心情的なものではなくて、物理的に青い色の月。 青と言っても青空の水色を濃くしたような色調で。 普通は青空に月が浮かんでいると月自体はぼんやり白いでしょう? そうじゃなくて、青。 ちょうど台風の雨雲が通り過ぎた直後で、この山全体が深い霧に包まれており、霧の薄い所からは水墨画のような灰色~黒で雨雲や山の稜線や木などの景色が透けて見えて、その上に所々夕焼けの紅色が霧と景色を染めていた・・そんな景色をバックに青い半月。 見たことのない色使いでびっくり! 多分生まれて初めての経験なんじゃないかな。  『Blue moon』 うっかり綺麗な言葉。 吉兆になると良いなと思いつつ、じっと見上げていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »