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2009.10.06

今からできること

Dr.パトリシア・ウィーノルセンという方の書いた「死のバイブル」という本を読む。 死を専門とする心理学博士だそうで、カリフォルニア大学やシカゴ大学等で教鞭をとりつつ、何千人もの(!)死に瀕した患者や遺族にカウンセリングを行い、セミナーやワークショップを展開しているそうだ。

今やある程度大人になった人の死因の一番は癌という時代だ。 癌でなくてもじわじわと病状が進み、治療法が確立されていない病気もたくさんある。 当然不治の病を宣告されてから実際に昇天するまでには、幸か不幸かそこそこの時間を用意されているケースも多い。 そんな患者やその家族が、目の前に突き付けられた死とどう付き合って折り合いをつけてゆくか、その方法のヒントを具体的に示している。 死というテーマの独自性に加えて少々翻訳の問題も加味されたか、正直、判りずらくて読み難い本ではあったものの、興味深い内容ではあった。 特徴的だったのが、本文中に何度も出てきた「あなたの人生」とか「あなたの痛み」「あなたの望み」「あなたの毎日」といった表現だったように思う。

身体的な症状も、心の動きも、日々の生活も、今までの経験も、記憶も、それらすべてを総合した人生そのものも、所有しているのは結局本人だけであり、どんなに親しくても、主治医でも、家族や友人でも、共有することはできないのだ、という大きな前提が本の中には流れていた。 同情してくれても、共感してくれても、それは本人が抱いているものと全く同じではないのだ、という姿勢。 そこをまず十分認識し、その上で、いかに相手に伝え、分かちあい、助けてもらい、また、相手の役に立つかを考えるべきであるという、イーブンの関係が著者の書くところの理想形なのだと思われた。

これは憶測にすぎないが、日本人の多くはこの感覚が捉えにくいのではないだろうか。 私が垣間見ている日本の社会においては、多かれ少なかれ「共依存状態」が善とされ、それを求める傾向が強いように感じているからだ。 自分の子供の人生を所有しているのは自分だと勘違いしている親、その挙句に子供が思うようにならないと悩んでいる人。 もう治療のことは医者に全て任せるという人、そして、その過程を本人に説明しようともしないで家族に決断を迫る医療従事者・・未だにそんなことが日常茶飯事のように私の周囲に起きている。

でも、結局、「自分がどんな人生を送り、人生にどれだけ満足したか」を決めるのは、一時的な判断によるものではなくて、何十年もかけて積み重ねてきた自分の日常による結果でしかないのであり、故に「今日一日をどう生きる(た)か」が問題で、その為には自分の心構えとか日常生活に対する意識、大事にするべき事柄、気持ちの持ちよう、そういった「本人次第」の内容が大きく作用することを思えば、つまり、「その人の人生は、その人次第」というシンプルな結果に落ち着く。 イコール「その人の人生は、その人が決めた、その人のものであり、どんなに親しくても自分のそれとは違うのだ」、ということになる。

人は生まれた瞬間から、例外無く死に向かって生きなければならない存在であることは、誰でも知っていることの筈。 つまり、今幸いに、死を他者や主治医からわざわざ突き付けられなくても、普段から意識することによって「その人らしい満足した毎日」を過ごすことになり、結果としてその集大成が「その人らしい人生」となるのである。

自分の人生と親しい他者の人生をちゃんと切り離して考えることは、親しい相手を「かけがえのない一個人として尊重する」ことに繋がるのではないだろうか。

●「死のバイブル 豊かな死をむかえるための27章」 パトリシア・ウィーノルセン著 寿美子コパレック訳 原書房 初版1997年   

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コメント

ふだん、あえて書かない(言わない)事
はっきり書かれていらっしゃいます。
確かにそうだよね、としか言いようがない。
普段、如何に自分がいい加減にしているか、

考えさせられる、一つの提言でした。
ありがとう

投稿: syumei | 2009.10.07 22:54

syumeiさん、いらっしゃいませ。

年齢的にどうしても死を意識せざるを得ない年齢の家族を抱えていますと、いろいろと身につまされることも多い訳でして・・。 介護や医療の現場で、家族という当事者になりますので、本人になり代って決断を迫られたりする場合もあるわけです。 そうすると、だんだん本人の価値観や人生と、こちらのそれらが混同されてきて、結局私が自分の首を自分で絞めていることに気づいたりもしまして。 知らず知らずの内に距離が縮まってしまっていたようです。 本を読みながら、ああ、分離してもいいんだと気付いたら、スッと楽になりました。

頼られることは、一部快感だったりする場合もあって、なかなか曲者なんだと思います。

まあ毎日あまり小難しいことを考える必要はないかもしれませんが、とりあえず目の前のことを後悔しないような積み重ねでゆきたいですよね。 A定食とB定食、どっちを選ぶかとか・・。(違うか?!)

投稿: リーボー | 2009.10.08 16:17

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