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2009.10.31

別の意味でズブズブ

「感覚とは何か」について、別のアプローチの方法を模索した揚句、哲学に頭を突っ込んでみた話は過日に触れた。 と、言ったところでこっちは丸っきりのド素人。(「ソフィーの世界」がベストセラーになった時、「これは違うぞ!上手く言えないけど・・」という感じでそっぽを向いたっきりだ。) はなから偉人達の文章を読んで付いて行ける筈もないだろうと踏み、自ら異端であることを明言し、また、「純粋な本質は、普通の日本語で表現できる筈」をモットーに、近年に昇天した池田晶子氏の本に手を伸ばした。

正直なところ、最初の本では頭を抱えた。 書かれている日本語は確かに普通なのに、ちんぷんかんぷんなのである。 読んでいるのにページが進まないのは、ずいぶん久し振りだった。 途中で投げ出そうか、と、いう気持ちを思い留まらせたのは、考えの過程はちっとも伝わらないのに、氏の導いている結論が、私の経験則からのそれとかなり近いという確信で、似た者同士が喧嘩しているような状況を肌で感じていたからだった。 もうちょっとだけ我慢して読んでみるか・・そんな感じ。 この本が感覚的に他の何と似ているかと問われたら、物理や数学、宇宙飛行士の文章、その辺と同じ匂いを嗅ぎ取った。 案の定、2冊目の中ほどくらいで、何がきっかけか判らないが、回路がズバッと繋がったようで、そこからは「ああ、なんだ、これか。」、と、急に面白くなってすいすい進んだ。

今まで自分で考えてきて、それでも人に説明しようとすると理解してもらえなかった部分が、普段使いの日本語でちゃんと書かれている。 私はずっと「こんな考え方をしているのは、自分がかなり変わり者なのだ」という自覚を持っていて、ある所から、それを他の人に伝えることを諦めることで、一般人の顔をし続けてきたのだったが、「あっ、他にもこんな人が居る(た)んだ!」と知って、心底安心するような嬉しい感覚に襲われたのだった。

多分、氏と私の大きな違いは、氏は「言葉」に絶対の価値と信頼を見出しているが、私は「言葉」については少々懐疑的で、「現象」が先に来ている点だと思う。 この現象を理解する為にはどうしたら良いかを探っている。 「言葉」によれば、私に起きている現象は、「錯覚以外の何物でもない」と一刀両断だ。 だとすれば、私は今すぐ精神科に受診しなくてはならないだろう。 が、現象は私の現実であり、少ないものの、同じような人も世の中には居ることもどうやら現実だ。

私は言葉に対する能力が氏ほど高くは無いので、自分のやり方で探ってゆくしかない。 でも、入り口はどこであれ、デスティネーションつまり行き着くべき所は、同じ場所ではないかとも、楽観的に思っている。 氏は「あんたなんかに言われたくない!」とあちらで一蹴するだろう。

・・で、「感覚」の話は何処へ行った?? まさに「考えることに終わりなく」か・・。

●「知ることより考えること」 池田晶子著 新潮社 初版2006年

●「人間自身 考えることに終わりなく」 池田晶子著 新潮社 初版2007年

●「私とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子著 新潮社 初版2009年

●「魂とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子著 新潮社 初版2009年

●「死とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子著 新潮社 初版2009年

 

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