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2009.11.29

斜め掛けの法則

実家の両親がお世話になっている「かかりつけ医」の開業医とは、先代からのお付き合いだ。 元々は別の医院にかかっていたらしいのだが、私が幼い頃とても虚弱な子で、夜中に急に悪くなることが多く、辻を曲がればすぐ傍にある先代の「大(おお)先生」が往診して対応してくれたのをきっかけに、かれこれ40年以上のお付き合いということになる。 大先生は残念ながら数年前に亡くなったが、ご長男の「若先生」がそのまま後を継いだ。 若先生と私は同年代くらいだ。

両親もいつの間にか立派な年寄りとなったので、持病を抱え込んでおり、定期的に受診している。 おまけに年をとるとなんだかんだと気弱になるものらしく、愚痴をこぼしては若先生に慰めてもらっている様子。 一度私も顔を出してお礼を言ったところ、「いやいや、僕も自分のオヤジになかなかしてあげられなかったこととか、言ってあげられなかったことを、させてもらっているというか、そんな感じですから。」、と、笑っておられた。 ありがたいことだな、と、思った。

若先生の気持ち、よく判る気がするのだ。 自分の親というものは身近なのに、いや、身近すぎるのだろうか、妙に照れくさいような面があるもので。 なのに、本当はしてあげたいことを自分でも分かっているから、友人の親御さんとか親と同年代の他人とかには、逆にほいほいと出来てしまうことがある。 言ってあげたい言葉もちゃんと言えてしまうのだ。 私はこれを勝手に「斜め掛けの法則」と名付けている。

私の両親も、若先生をはじめ私の友人達から「斜め掛け」してもらってお世話になっているようだし、私もなにかと両親くらいの年齢の方と接する機会も多い。 直接ではなくて間接的な関係の相手の方が、素直になれたりよい結果を生むことになったりするケースも経験している。 不思議なものだ。

大きく見れば社会ということなのだろう。 実の子供が抱え込まずにいても、誰かが助けてくれている。 ありがたくて幸せなことだと思う。 愛情の連鎖などと書けば大袈裟になるけれど、私も両親にしてあげたいことを、同じように誰かにしてあげればそれでいいのだと思えば気が楽だし、それが廻り回って両親に繋がってゆくのかもしれない。

「斜め掛け」、なかなかオツじゃないか。 

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2009.11.25

ついてない

夜中の3時に目が覚めてしまい、布団から出て遊ぶ気にもなれず、かといって寝付けずに寝返りを繰り返す。 外が明るくなり始めたのを確認してからやっとウトウトとしたら、今度は耳元に蚊が飛んできて、しばらく付き纏われた。

買い物に出がけに、クリーニングに出す予定の服を忘れていることに気づいて仕切り直し。 お昼ごはんで胃もたれして、帰り際に車のキーをどこかに紛失して肝を冷やす。(結局は見つかったけれど。)

夕方に受けた電話ではいまひとつ要領を得ずに自分にイライラし、煮物の味付けが決まらなくて途方に暮れた。

ゆっくりお風呂に入って、リセットしよう。 上手くいかなかった一日に乾杯! たまにはこんな日もオツなもんだよね、と、自分に言い聞かせつつ。

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2009.11.22

それなりに活かせたかと。

友人からの「美味しい豆腐」が届けられた際、手持ちの「普通の豆腐」が冷蔵庫にあって、とりあえずそっちのけで美味しい方を食べていたのだが、さすがにそろそろ何とかしてあげないと可哀そうな状況になった。 とはいえ、美味しさに口が慣れてしまうと、そのまんま食べたのでは差が大きすぎて、残念な結果になるのも目に見えている。 うーん、と、しばらく考えてから作ったのがこれ。

 豆腐入りのハンバーグ 4個分

  • 木綿豆腐     一丁
  • 玉ネギ       半個
  • パン粉       100cc分
  • 豚ひき肉      200g
  • ダシ汁       100cc
  • みりんと醤油   大さじ1ずつ
  • 片栗粉       小さじ1
  • エノキダケ     適宜
  • 大根おろしと万能ネギ
  1. 豆腐はきっちり水切りしておく。
  2. 玉ネギをみじん切りして大きめの耐熱ボウルに入れ、ゆるくラップをかけて電子レンジで2分加熱して、そのまま荒熱を取る。
  3. 玉ネギを冷ます間に、ダシ汁にみりんと醤油、片栗粉を入れて軽く混ぜ合わせる。 その中にエノキダケを2・3センチ幅に切ったものを入れておく。
  4. 玉ネギのボウルに豆腐、豚ひき肉、パン粉を加え、分量外の塩少々を振って、いつものハンバーグの要領でよくこねる。
  5. フライパンに分量外の油を入れ、よく洗った手で薄く広げる。 手に付いた油を両掌に伸ばすようにして、4のタネを4等分にして、空気を抜いて成形する。 普段のハンバーグよりも低面積を小さく、高さを増やすようにしてこんもりと形作ると良い。 成形したタネをフライパンに乗せてゆく。
  6. レンジに火を付け、強めの中火で焼く。 4分ほどそのまま焼いて焼き色が付いたらひっくり返し、蓋をして弱めの中火で更に5分蒸し焼きにする。 表面を指で押して弾力を確かめるか、中心に菜箸を通して澄んだ汁が出てくれば焼けている。
  7. (焼いている間に大根をおろして、軽く水気を絞り、万能ネギをみじん切りにする。)
  8. 器にハンバーグを移し、空いたフライパンに余計な脂が残っていたら捨ててから、3のダシ汁をよく混ぜ合わせて一気に流し込み、フライパンに残った焦げの美味しさをこそげるようにしながら加熱。 とろみが付いたら、器のハンバーグの上からかける。
  9. ハンバーグに大根おろしを乗せ、万能ネギを散らして、出来上がり。

ポン酢で食べても美味しいと思いますし、大根おろしなど乗せずに、照り焼き風に煮絡めても。 キノコはお好みのものを、お好みの量で使ってください。 七味唐辛子を振っていただくとグッドです。

最近はあんまり「肉肉したもの」を体が要求しなくなってきたような気がして、自分でちょっと残念に思います。 もっとさっぱり作りたい場合は、鶏挽肉を使っても良いのではないかと。 そうすればお年寄りでも抵抗無い感じの和食になると思われます。

(見た目も味も、なんとなくファミレスにありそげなものができてしまって、思わず苦笑。)

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2009.11.20

寒くなってきた

施設で過ごす父の元へ行ったら、ちょうど居間兼食堂のようなパブリックスペースで、入居者のカラオケ大会が開催されていた。 みなさん耳が遠いから、大音響の歌声やBGMがホールに充満していて、思わず「うっ」、と、圧倒される。 リクエストは演歌や子供の頃に親しんだような曲が多いようだ。 いきなり誰かが歌う、♪とーしの はーじめの ためしとて・・(一月一日)が聞こえてきて、なんだか今年が終わってしまったような変な気分になる。 楽しそうだったから、まあいいや。

父は認知障害が進むにつれて、顔つきが変わってきたように見える。 不思議なものだ。 機嫌が悪くなさそうだったから会話の中で尋ねてみたけれど、私は誰だか「わかんない」そうだ。 うーん・・そろそろ父としては「世話を焼いてくれる人」が誰でもよくなってきたのかも知れないと思うと、寂しいような半面、ちょっと肩の荷が軽くなったような複雑な気持ちがした。

ネット・ニュースで配信されてきた「市川海老蔵、真剣交際。」のタイトルを見て、即時にそれは失礼な話だと思った。 例え残念ながら期間が短かかったとしたって、真剣じゃない恋愛なんて無いと思うんだけれどな。 その時はみんなその恋愛に必死ってもんじゃないですかね。

友人が、とても美味しい豆腐をたっぷり届けてくれた。 美味しいものはどうやっても美味しいという当たり前のことを、つくづくと思う。 あとはいかに素材のポテンシャルを邪魔しない様に調理するか、それだけが問題みたいだ。 味付けや香りの濃い料理では素材の美味しさを活かせないばかりか殺してしまうようで、逆にひどく野暮ったい感じになる。 この所寒いので、お昼ご飯に野菜たっぷりのインスタントの塩ラーメンを作り、そこにかぽっと大きく掬って入れてみたら、ラーメン丼の中が「ミニ鍋」みたいになってほかほかに温まった。 幸せ。

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2009.11.16

リアルとバーチャル

たまに私の実家方の(既に亡くなっている)祖父が、「非現実的手段」で私の元にやってくるらしく、日本酒が飲みたいとのこと。 残念ながら私はいつもビールかラムかウィスキーなので、急に日本酒と言われても持ち合わせが無い。 料理用のお酒ではあんまりなので、今度買い物に出かける際に見繕ってくるから、と、しばらく待ってもらうことにした。

祖父がどこに居るのか知る術もないが、普通に考えたら飲んだり食べたりするような世界ではないだろうから、「飲みたい」と言われたところで妙なものだ。 かと言って、お供えされても嬉しくないらしく、私が代理として(?)飲めばそれで良いらしい。 正直なところ訳が解らないが、お酒や食べ物だったら付き合うのもやぶさかではないから、まっいいか、ぐらいの気持ちだ。

最近はめっきり耳にしなくなった「セカンド・ライフ」、あそこにもバーなのかビア・パブなのか、そういった飲み屋があるらしい。(私は不参加なので聞き覚えだけ。) で、自分のアバターに好みのお酒を飲ませることができるし、そこに集う人と会話しながら飲んだり、一杯奢ってあげたりすることもできるという。 アバターにお酒を飲ませている人が、現実社会では下戸だったりする場合もあるだろうし、現実も酒好きだったりも当然あるだろうし、どんな欲求を満たすためにアバターにお酒を飲ませているかはそれぞれな筈。 でも、アバターがどんなに美味しいお酒を飲んだって、当然自分はシラフな訳で、じゃあ何が楽しいのかと言われたら、上手く説明できなくなる。

これって、祖父と私の関係に全く同じじゃないか。

私の過ごすリアルな現実世界を真ん中にして、祖父の過ごすバーチャル世界がすぐ隣り合わせにあって、別側の隣には「セカンド・ライフ」のような別のバーチャル世界があるのだろうか。 もっと書いてしまうと、私には祖父の過ごす世界はバーチャルだけれど、祖父本人にとってはリアルな筈で、逆に私の過ごす世界は祖父にとってバーチャルなのではないだろうか。 ・・などと考えていると訳が判らなくなる。 メビウスの輪を見ているような感覚。

とりあえず買ってきた日本酒、寒くなってきたのでお燗にして飲んだ。 「美味しい!」と思ったのは事実だが、私が美味しいのか、それとも私を通して飲んだ祖父が美味しがったのかは謎。 「おじいちゃん、美味しいねー!」と心の中で言って、それ以上考えるとお酒が不味くなりそうだったから、やめにしておいた。

まったくもう・・何が何だか。

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2009.11.13

今日も落ち葉掃き

相変わらずわさわさと枯葉は落ち続け、一日掃かないだけで絨毯のように降り積もってしまう。 綺麗は綺麗なのだが、予報通り雨が来たら、これらが全て舗装道路にぴったりと張り付いてしまう筈で、仕方なく今日もまた箒を抱える。

ちょっと前の山桜、ウルシやツタ、柿に入れ替わって、「ドングリ類の木」が盛んに落葉するようになった。 派手な赤や黄色の落ち葉は減って、明るいアンバーないかにも枯れ葉色だ。 風に吹かれるとカラコロと乾いた音を立てて転がってゆく。

何年か前、兄と話をしていた時に、毎年のこの季節の落ち葉掃きをぼやいたら、「あー、でもね、落ち葉って大事なんだよ。 二酸化炭素を固定化している訳だから。」と言われて、ははあなるほど、そんな見方もあったのか、と、記憶に残っている。 当たり前のようにどんな分子も動いているのだから、その動きを封じ込めている生体は、相当なダメージを受け続けている筈で、だとすると一年に一度くらい、落葉という方法でオールクリアしなければとてももたないのかもしれないな、と、思う。

そして、もしも「魂」というものが存在していたとしたら、そのエネルギーたるや相当なものだろうから、それを固定化している人体が数十年でガタがきたりするのも当たり前だろうし、だからこそ、死という限界があるのかもしれない・・そんなことを、箒を動かしながら考えたりしている。

案の定、午後には冷たい雨が降り始めた。 慣れない寒さが堪えるので、いただき物の栗饅頭をお伴に熱めの日本茶を淹れて、湯呑茶碗を抱えて温まっていたら、窓の外で何かが動くのが視野の片隅に見えた。 「ん?」、と、顔をそちらに向けると、サッシのすぐ傍でキジのつがいが何かをついばみながらゆっくりと歩いている。 この間までオスはオス、メスはメスで単独で見かけていたのに、いつの間にかカップル成立と相成ったご様子で。 なんとなくほっこりした気分になった。 その内パンくずでも撒いておいてあげようかな・・あっ、でも、イノシシが来ると怖いからやっぱりよそう。

この雨が行くと、きっとまた季節が進むのだろう。 そろそろ寒さの覚悟をしておきなさい、ということか。 どうりで何を食べても美味しいのが、ありがたく困ったものだ。

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2009.11.12

(後日談)

教わって作ってみた「ナメコの炊き込みご飯」は、美味しかったですけれども、わざわざナメコである必要もないかな、という印象でした。

しかしながら、ナメコは特別な存在なのではなく、当たり前のようにキノコの一種だったのだという再評価は出来たように思います。

(よっぽど余っていないなら、あまりお薦めもしないかな・・。)

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2009.11.10

三島散策、ナメコのお土産付き。

過日、秋の良い天気に誘われて、三島の街をぶらぶら歩いてみようということになった。

伊豆箱根鉄道・三島田町駅近辺に車を置いて、三島大社方面へ。 いかにも昔は参道として賑わいましたという感じに商店が並ぶ道を、店先を冷やかしながら進む。 路地からご家族連れが出てきて、お嬢さんが着物を着ている。 あれっ?、と、よく見ればパパもママもそれなりにお洒落した服装だ。 「あー、七五三!!」 すっかり忘れていた。 そうだよな、もう11月だもの。 小さな草履をぱたぱたさせている足元がいかにもおぼつかなくて、逆に微笑ましいが、本人は一生懸命歩いているのになかなか進まなくて苛立っている様子だ。 可愛い。

そんなご家族の後ろをのんびりと進むと、洋菓子店が。 店名を見た『ますたあ』が思わず「ここか・・」とチェックを入れた。 実は数ヶ月前、静岡県下の別の街でたまたま行列を見つけ、誘われるように並んで買ったケーキがとても美味しくて驚き、ネットで調べていたらご実家のお店が三島にあることが判って、一度行ってみたいと思っていたお店だ。 「こんなところにあったんだね。」 和菓子も洋菓子も作っているような昔ながらのお菓子屋さんといった雰囲気。 大ぶりの小麦まんじゅうも魅力的だったが、ここはやはり洋菓子系で、と、スティックタイプのベイクド・チーズケーキとひと口大のチョコレートケーキを購入し、店先のベンチでいただく。 どちらもお店の雰囲気からは想像できない(失礼。)洗練された味と香りで、完成度が高くてびっくり。 こんなお店で(重ね重ね失礼。)こんなケーキをこんな値段で提供しているなんて、侮れないぞ三島! 首都圏だったらひとつ300円くらいには設定できそうなケーキが、驚きの100円台だ。 初っ端から、いやはや失礼しました、と、恐縮する。 場所を覚えたので、そのうちちゃんとしたショートケーキを買いに来よう。

七五三の参拝で賑わう三嶋大社では、境内に露天まで並んで大変な賑わいだった。 みんな着飾っているから、なんだかお正月のように華やかで明るい。 晴れて良かったな、と、思う。 焼きそばのソースやチョコレートの混然とした匂いを背に、住宅街を抜けて「三嶋暦師の館」へ。

京都から移り住んで、代々「三嶋暦」と呼ばれる古い時代の陰暦のカレンダーを司っていた河合家の旧家を文化財として保全し、三嶋暦の資料を展示している。 学術員のような方からの丁寧な解説を聞きながら、建物の内部を見学。 現代と違って、身の回りの情報源が本当に限られていた時代において、カレンダーは単に月日を定めるのみならず、農業や家事、婚姻や出産といった全ての日取りを誘導し、つまりは、一般市民の生活全般を掌握する「権力」として利用されていたとのこと。 奥深さに思わず「うーん」と唸る。 それにも増して、月の満ち欠けを基準とした暦の複雑な算定、陰陽道にもつながる天文観測、風水のような自然の摂理や神様と親しくする方法・・全てが複雑に絡み合って大変なことになっている。 凄く興味を持ったが、半面ブラックホールのように奥が深すぎて怖い気もした。 質問したり答えて教えていただいたり、で、なんだかんだと一時間近く。 お金も取らずに丁寧に対応してくださった学術員?の方にお礼を言って、館を後にする。

さてお腹も空いたので、遅いランチのお店を探しながら路地を歩いていると、初老の女性に話しかけられた。 ごく普通の一般的ないでたちだったので、道でも尋ねられたかと立ち止まると、「小松菜いらない?」、なんと驚いたことに行商の方だった。 ちょっと迷うが、小松菜ならあっても困らないなと踏んで、「じゃあ、せっかくなので。」 全く良いお客さんだな。 柔かそうな瑞々しい小松菜がひと束100円。 傍で覗きこんでいる『ますたあ』が「どちらからいらしてるんですか?」、と、尋ねると、「函南から。」だそう。 「あっ、そうそう、ナメコなんていらないよね?」。 「えっ?いりますいります!(正直なところ、小松菜よりもそっちの方が嬉しい。)」 「買ってくれる? ありがとう。 うちは山でナメコも作ってるもんでさ。 洗うと傷むんで土付いてるから、石付き落としてさっと水洗いして使ってね。 炊き込みご飯にすると美味しいよ。」 「ナメコで? 炊き込みご飯? それはやったことが無いなあ・・」 「あら、美味しいよ。 お醤油でね、ナメコは洗ったら生のまんまお米の上に乗せて炊けばいいから。」 「ふーん、作ってみます。」 「うん、やってみな。 美味しいよ。」 「良いこと教わりました。」 ビニール袋にたっぷり入ったナメコが150円・・なのだが、シイタケほどの大きさが透けて見える。 「これ、本当にナメコ??」、と、いう疑問を飲み込み、少々首をひねりながら、また歩き出した。

「湧水のまち」と名乗っているだけのことはあって、いたる所に小川が流れ清水が湧き、水に沿うように歩道も整備されている。 風も無く穏やかで11月なのに歩いていると汗ばむような気候だ。 水音やせせらぎの音が聞こえてくると、ふっと胸元に涼風が入ってくるような気持ちになる。

三島が鰻で有名なのは百も承知で、何か毛色の違うお店を求め歩いて、ついにブラジル国旗を掲げた小さなお店を見つけ出した。 料理写真のカラーコピーが窓のガラスにたくさん貼り付けてあるが、いかにもあちらの品々という感じで、よく判らないものもたくさんある。 その上、隣接の駐車場にビーチセットのような簡易チェアーを並べて、オープンエアでコロナビールを飲み、現地語でお喋りしている若いおにーちゃんも。 なかなか良い感じだ。 思い切ってドアを開けると、たどたどしい日本語の御夫婦が出迎えてくれた。

名前を覚えられなかったが、小麦粉の皮に、鶏肉や豆・タマネギなどをトマトベースのパプリカ味で煮たものと、黒オリーブ・ゆで卵と一緒に包んでオーブンで焼いた「味の濃い焼ピロシキ」みたいな一品、それにタコライスとバドワイザーを頼んで『ますたあ』とシェアする。 美味しい。 日本でよくあるタコライスとはだいぶ違う。 レタスとトマトがたっぷりでサラダの感覚に近い。 レタスにはちょっと複雑な塩ベースの下味がついていて、その上からパプリカ風味のドレッシングがかかっているので、全体にしっとりして嵩が抑えられ、量が多いのにちゃんと食べられるし、ご飯やひき肉ともよく混ざって一体感が出る。 サルサソースはしっかり辛くて、そこに野菜類のさっぱり感が加味され、全体にトマトの濃いうま味がまとめ役。 これは美味しい! 日本人の料理は最近変なバランスで甘ったるい印象のものが多い中、塩とトマトとパプリカのシンプルな味と香りが、素材を邪魔することなく主張しているのが新鮮だった。

お店の御夫婦と美味しかった旨の話をしていたら、店内に現地食材がいろいろ売られているのを見つけたので、引き続いて覗かせてもらうことに。 色とりどりの乾燥コーン(真っ黒に見えるものもあった。生なら紫色だろうか?)、豆類、ジュースのパックや調味料、よく分からない素材の缶詰が並び、興味津々。 すると、薄茶色の小指の先ほどの硬いものがぎっしり詰められている大きな袋を発見。 コーヒーシュガーかと思って袋の裏を見ると、「乾燥じゃがいも」とある。 カウンターの奥から見ていたご主人が、「それ、美味しいもんじゃないよ」、と言うから思わず大笑い。 「どうやって使うんですか?」 「水と一緒に。(多分、戻すということを言いたいのだろう。) ジャガイモが採れない時に使うけど、日本は生のジャガイモがいつでも買えるから、そっちを使った方が良いに決まってる。」 そりゃあそうだとみんなで笑って、店を後に。 正直者の御夫婦でなんだかありがたい気分になった。

再び帰りの方向へ南下しながら小川沿いを歩いてゆくと、川の中でじゃぶじゃぶと緑色の植物を洗っている方を見つけた。 腰を伸ばしたタイミングを見計らって、「それは何ですか?」、と、声をかけてみると、「ああ、これはね、三島梅花藻(ミシマバイカモ)。 梅の花みたいな花が付く藻だから、梅花藻っていうの。 増やしてやってるんだけど、これから寒くなるとちっちゃいのは黄色く枯れるんで、ひっこ抜いちゃってる。」 「大きな株になれば冬を越せるんですか?」 「そう、多年草だから。」 「へえ~そうなんですか。」 「もう少し歩いて下流に行くと、群生地があって花が咲いてるから見て行くと良いよ。」 「行ってみます。 ありがとうございました。」 なるほど、数十メートル先の川の中では、ワサワサと茂った藻が水の流れに身を任せて優雅に漂っており、よく見ると水面に1センチ弱くらいのクリーム色の花を出している。 小ぶりで上品な花が点々と。 何とも優しげだ。 藻の全体に「逆らわない生き方」が徹底されているように見えて、逆らわないことの強さについてぼんやりと思いを馳せていた。

三島田町まで戻って帰途につく。 よく歩いた一日だった。 見ず知らずの人にたくさん触れ合った気がした。 タイミングは不思議だ。

さて、件のナメコ。 袋から出してみたら、やはりよく売られているナメコより格段に大きい。 しかも、あの独特のぬめりがほとんど無い。 小さいものでも傘の直径3センチ以上。 下処理してから、とりあえずあまりいじらずにそのまんま食べてみたかったので、ひと口大の四つ切りにして、さっと茹でて大根おろしと共に醤油で。 加熱したらいくらかつるんとしたけれど、ぬめりはかなり弱い。 それでも食べてみれば、確かにあのナメコの香りだ。 「ああナメコも普通のきのこだったんだな」などと、当たり前のことを思った。 確かにこれなら炊き込みご飯にしても、違和感なく「きのこご飯」として成立しそうだ。 作ってみようと目論んでいる。 (ちなみに、小松菜はごく普通に美味しい小松菜だった。)

  • ベルーン      三島市大社町 18-3
  • 三嶋暦師の館   三島市大宮町 2-5-17
  • PICA PAU    三島市広小路町 4-7   

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2009.11.07

いろいろな美

● 高校時代の部活の後輩のお父様が急に昇天され、告別式に参列。 ずっと競馬関連のお仕事をなさっておいでだった。 式が始まる前、参列者が着席した状態で生のエレクトーン演奏のBGMが静かに流れており、耳を澄ますとなんとフォスターの「草競馬」。 ゆっくりと物静かに弾かれると、曲の輪郭がはっきり伝わってくるようでとても新鮮だ。 ああきれいな曲だったんだな、と、目から鱗。 いや、耳から鱗か。

● 参列した方々も競馬関係者が多く、お亡くなりになった場所まで同行していたという岡部幸雄元騎手が弔辞を読まれた。 立ち姿やお辞儀の姿勢の美しさったらない! 思わず見とれる。 見慣れた茶道系所作の美しさとは全くの別物。 筋肉の使い方が大きく違っている。 あのお年で(失礼)あの姿勢は素晴らしい。 所作の美しさにもいろいろな種類があるのだなあ。

● いつもばかなことを言い合って笑い合う相手が、神妙に喪主を務めている姿・・そのギャップが胸に堪えてしんみり。

● 計らずも、つながりの深かった部活の仲間が、お通夜と告別式の二日間に分かれて約半数ずつ集まり、顔を合わせる。 喪主によれば、「お通夜参列組」は通夜振舞いの席でもそこそこ長尻していたらしいが、「告別式参列組」は出棺を見送った後、近くのファミレスに移動。 学校正門の真正面にファミレスがあった、ある意味とんでもない高校だったので、同じメンツで大きなテーブルを囲んでいると、タイムスリップしているような気分になる。 みんないいオジサンとオバサンだけど。 あっという間に時間が過ぎて、帰宅が予定より遅れた。 朝暗い内に家を出て、すっかり真っ暗になってから帰宅したのも、ずいぶん久し振りのこと。 帰り道の月が冷たくきれいだった。

● しばらく前に「デイリーポータルZ」の投稿コーナーでMVPをもらい、ご褒美に「サトウのごはん」をひとパック頂戴する。 たったひとパックの為にわざわざ包装して送料をかけて宅配便で届けてくれる、その「割に合わなさ加減」がいかにも「デイリーポータルZ」っぽくて半笑い。 まだ何となく疲れが残る土曜日、「ゆるい感じ」にほっと和ませてもらった。 

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2009.11.02

自然はそんなに甘くない

敷地の一角に謎のキノコが群生しているのを発見する。 初めて見る相手。

上から覗いた様子はシイタケに良く似ているが、軸や傘の裏は全く異なっており、しかも、鼻を近づけるとなかなか芳しい「いかにもキノコの芳香」がする。 むふふ、食べられるのだったら、調理一回分くらいは余裕で集まりそうな量だ。 「さて、あなた何者??」と、早速ネット検索に取りかかった。

結果としては、よく見かけられる種類らしく検索は比較的容易だったものの、相手はなにせキノコである。 念には念を入れて画像横断検索を繰り返し、「よし、間違いない!」と自信が持てるまで小一時間すったもんだしていた。

一応「食べられるキノコ」に分類されており、とても良質なダシが出るらしい・・のだけれど、非常に残念なことには、「人によっては嘔吐や下痢などの消化器症状が出ます」、と、ある。 個人で運営なさっている某サイトの管理者さんは、「毎年楽しみに食べていたのですが、家族の中で私だけ必ずやられるので、今後は泣く泣くこのキノコから撤退することにしました」、だそうだ。 うーん、「人によって」かあ。

まあそこまでリスクを冒して食べるものでもなかろうと、諦めてはみたもののすっきりしない。 「毒キノコ」なら「毒キノコ」で諦めも付こうものだし、「食べられるキノコ」ならもろ手を挙げてラッキー!と喜べるところを、「人によって」とはいかにもどっちつかずの感じが否めない。

一番残念だったのは、その、いかにもという感じの中途半端さだった。 そんなには世の中甘くないわなあ。

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2009.11.01

視点

朝の8時にいきなりの来客。 麓の集落の方が、畑で採れた大根を持ってきてくださった。 青首の大根が2本、辛み大根が2本。 辛み大根は丈が短くてずんぐりむっくりで、なかなか可愛い形をしている。

玄関で『ますたあ』が対応してくれたのだが、「畑を空けなくちゃいけないからって」、とのこと。 ああ何とも農家さんの言葉だなあ、と、しみじみ思った。 要するに、秋植えのものを植えたいので、今まで畑で育てていた作物をオール・クリアして耕し直し、必要に応じて追肥して整えたい、ということで、そのおこぼれに与からせていただけるということだ。 ありがたく、嬉しい。

それぞれの大根は葉がスッパリと切り落とされた後で、軸の部分が2~3センチ程残されている。 「葉っぱの所が欲しかったな」などと、贅沢に思う。 で、これは消費者の発想だ、と、気付く。 農作物を育てる立場にとっては、葉っぱは虫に食い散らかされていたかもしれないし、「わざわざ葉っぱなんか食べなくても・・」だろうし、消費者にとっては、「せっかく元気なお野菜なんだから、葉っぱも食べてみたかったな。」なのだ。 こんなすれ違いが面白いものだな、と、思う。

4本分の大根に残されていた軸は、集めて細かく刻んでから、胡麻油と唐辛子、それに醤油とみりん同量ずつで「ちりめんじゃこ」と一緒に炒めて、すり胡麻をまぶし、ちょっとした「ご飯の友」に仕立ててみた。 乾燥させた藁のように鄙びた「お日様の匂い」がして、つくづく秋だなあ、と、思った。 ウイスキーと、ナイス・コンビネーション! 幸せだ。

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