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2009.12.31

大晦日

強風が吹き荒れている。 朝から残されていたおせち数品目を作り上げて、お昼ご飯にとっとと「年越し蕎麦」も食べて、やっとほっとした所だ。

今年もいろんなことがあったなあ、と、思い出してみる。 振り返ってみると、(私にしてみれば)なかなかダイナミックな年だったのかもしれない。 置かれている環境はあまり変化が無かったけれど、内面的には大きく振れ動いた。 おかげで学んだことは「俯瞰の視点」。 この世に生を受けてから学んできたたくさんの事柄が、ひとつの本道に纏まろうとしてきている、その入り口が初めて見えてきた気がした。 ああ歳を重ねるとこんな風に考えることができるようになるものなんだな、という面白さ。 入り口がようやく見えてきたら、課題もますます山積なことも判り、苦笑交じりではあるが。

気がつけば、今年は一度も寝込むことが無かった。 これまた人生初なんじゃないだろうか。 「体のことを気にしなくていいという自由」をつくづくありがたく感じた。 (生まれつき健康に恵まれて体の丈夫な方には、あまりピンとこない表現かもしれないけれど。) やっとバランスのとり方を学習できたのだろうか。 それとも、たまたま上手くいっただけか? まっ、結果オーライってことで。

ガラス窓の外ではばたばたと洗濯物が暴れているのが見えるが、こうして陽だまりでキーを叩いていると冷たい風の存在を忘れる。 せめて、何かの大きな力に守られていることを忘れずに、いつも「ありがとう」の言葉をすぐそこにスタンバイしていたいと思う。

さて、ぼちぼち午後のお茶でも淹れて和みますか、ね・・。

 ●今年もたくさんの御来訪をいただき、どうもありがとうございました。 なんだか言えなかったことや書けなかったこと、表現できなかったことや伝えられなかったことが、たくさん置き去りにされてしまったような気もしていることを、この場を使ってお伝えしておきます。 どうぞ皆さまもよいお年をお迎えくださいませ。 リーボー

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2009.12.30

いつもと違うということ

日持ちするものからおせち料理を作りつつ、その際に半端になった食材を組み合わせて献立を組むような日々を送っている。 二人分の食事では、メインとなる一品だけを単独で用意すれば、後の副菜たちは半端食材のお片付けで十分という感じだ。 レンコンの皮や人参の端っことか、鶏肉の皮、干しシイタケの軸、牛蒡の細い部分、コンニャクの隅っこ・・あれやこれやをいかに使いきるかも「頭の体操」。

施設の父の所へ顔を出してきた。 このところ調子が良いらしく、今日は会話のピントもそこそこ合っていて、お正月を前にまともなコミュニケーションが取れることを、とても嬉しく感じた。 今年の締めとしては上出来だ。 玄関には角松とお飾りが飾られ、居住スペースの廊下にはお正月期間の献立が張り出されている。 ちゃんとおせちっぽいスペシャルメニューが用意されるらしい。 お年寄りたちだから「みんなでお餅」という訳にもいかないだろうが、気を遣って行事を大切に準備してくださるスタッフに、頭を下げたい気持ちになる。

この時期は野菜などが驚くほど値上がりするので、必要なものは計画的に買い揃えておいたのだが、牛乳や豆腐だけ買い足すつもりでスーパーに寄る。 いつもの食品売り場には大きなカニの足が並び、お刺身ばかりが目立ち、「海鮮珍味類の盛り合わせ」と「パック詰めおせち」で冷蔵ケースが埋め尽くされている。 いかにもお正月の準備らしい光景と呼べなくもないだろうが、普段の食材が欲しい人はいったいどうすればいいのだろうか、と、ぼんやり考えた。 これはこれで結構不便している人もたくさん居るのではないかと、心配になる。 駐車場では車両事故が起きてしまったらしく、警察さんが呼び出されて検分中だし、子供達もぱたぱた走り回っているし、で、落ち着かなかった。 いつもと違うということは、それだけでハイリスクなんだろうな、きっと。

どうぞ皆さん、お気をつけて。 私も気をつけますです、はい。

  

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2009.12.28

ギャップ

「クリスマスの約束」を見てからというもの、何か心の中にスポーン!と穴が開いたような気分になってしまい、どこかぼんやりした状態が続いている。 と、言いつつも、日曜日には年末の世間に抗うように、『ますたあ』と町歩きに繰り出してきた。 縄文時代に使われたらしい「岸壁を横にくりぬいたお墓の跡」だとか、昭和の時代に一個人で里山を開拓してこれまた岸壁に巨大なお釈迦様の絵を描いたり、岩から石仏を掘り出したりした跡などを見て、ますます何ともいえない気持ちに襲われた。 これだけ大変なことに人を駆り立てるエネルギーの源はいったい何だったのだろうか。 そのきっかけを聞いてみたい。

『人は何をし、どこへ行こうとしているのだろうか。』 このところずっと頭の奥に燻っている言葉。 答えが出る筈も無い。

方や、それでも日常はいつも通り淡々と経過してゆく訳で、今宵の夕食もごく普通のラインナップ。 合びき肉と牛蒡のつくね、厚揚げと大根・人参の煮物、山芋のすり流し、青菜のお浸し、大根葉のきんぴら、麦ごはん、玉ねぎとシメジの味噌汁、果物はリンゴとスィートパイン。 明日からは「おせち料理」に着手する予定なので、半端な食材の片付けも兼ねている。 冷蔵庫の中身がすっきりして、気分が少しだけ楽になる。

夕食の洗いものを済ませてから、普段使いの急須や紅茶ポット、マグカップ、プラスチック製のざるなんかを、まとめて塩素漂白に浸け込んだ。 明日の朝にはさっぱりときれいになってくれていることと思う。 それをきっかけにして、私もちょっと気合を入れてシャキッとしなければなあ・・と、思っている。

新聞に折り込まれているスーパーのチラシばかりがお正月を先取りしていて、他人事のように実感が沸かない私とのギャップが大きい。 変な感じだ。 社会的に大きなノルマを抱えている訳じゃなくて助かった、と、思う。

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2009.12.26

今年も「クリスマスの約束」を見て

・・いやはや久しぶりに『凄いもの』を見てしまったというか聴いてしまったというか。

考える間も無いままボロボロと泣かされて、頭の芯が痛い。

理由を言葉にすると野暮になるので、そのまんまそおっとしておこう。

(こんなのやっちゃったら、来年のハードルが高くなって大変だぞ、小田さん。)

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2009.12.23

あえて「がんばれー!」

夜になってやっとPCに向かい、このBlogのアクセス解析をチェック。 すると、今日は「大さじ1杯は何グラムか」を調べに来訪してくださった方がとても多くて驚く。

みなさんクリスマスのご馳走の準備だろうか。 あまり作らないケーキにでも挑戦中だっただろうか。

足跡の向こう側に、それぞれの大切な人の面影が重なっているように思えて、思わず心を動かされた。

「みんな、がんばれー!」

美味しいものが出来ますように。 美味しいものを囲んだたくさんの笑顔がありますように。

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2009.12.21

やっと

やっと、その1 ●寒波が緩んできたみたいだ。 ほんの数℃の違いがこんなに身に沁みるとは・・。 肩や首筋の周辺にあった「変に力が入っている感覚」も緩んだ気がする。 洗濯物もちゃんと乾いて、お日様がありがたかった。

やっと、その2 ●群発地震のナマズさんが、休憩に入ってくれたらしい。 昨夜からめっきり体で感じる地震が減った。 おかげでぐっすり眠れるようになり、ありがたい。 そのまんま長い冬眠にでも入っていておくれよ。

やっと、その3 ●昨日は昼間に年賀状を書き、夜はM-1を見ながら寄せ鍋で晩酌をして、「笑い飯」の『鳥人』に大笑い。 ああ年末なんだなあ、と、しみじみ思った。 大笑いした後でふっと泣きたくなったのは、酔っぱらったせいだったか? ・・良いもの見せてもらいました。

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2009.12.19

はじめにみことばがあった

時々タロットカードを展開する。 元は客商売をしていた時にお客様の要望に応じるために身に付けた。 もちろん一般的には「占い」の範疇に含まれているのだが、私は純粋な「占い」としてではなく全く別の要素に惹かれていた。 それは、タロットカードと「言語」との関連だった。

タロットカードの中の、特に「大アルカナ」と呼ばれる絵札には、一枚に対してたくさんの意味や単語が対応している。 「占い」に用いるためにはそれらを丸暗記する必要がある訳だが、カードの由来や絵札に描かれているモチーフの意味が理解されれば、自ずから、その札やモチーフの意味する内容が解るようになる。 この場合の「意味する内容」は「単語」に対応している訳ではなくて、雰囲気や漠然とした纏まりになっている「状況」のようなものだ。 そのカードの置かれた場所や、並んで開かれた他のカードとの関係を同時に考えることによって、漠然とした「状況」が具体的な「状況」へとだんだん絞り込まれてゆき、ピンポイントにまで精錬された時、初めてそれは「言葉」へと姿を変えて、依頼者に告げられるものとなる。

つまり、「言葉」は「状況」を固定化したもので、逆に言えば、「状況」は「言葉」に置き換えることによって固定化される。

私たちは学校で初めて英語を習った時に「これ」を「this」だと教わったが、日本語の「これ」と英語の「this」とでは、単語の歴史や背景、使っている人々の価値観まで違っていることを思えば、この二つは同じなのではなくて、他の単語に対して最も優位に対応しているに過ぎない。

私が見ている木の葉の色と、他の人が見ている木の葉の色は、違う眼球を通して違う網膜に写し違う脳で解析している以上、全く同じではない筈だ。 だが、それを「深緑色」という「言葉」に置き換えることによってのみ、その色は「深緑色」に固定され、言葉の持つ色を共通認識できるようになる。

「言葉」は不思議だ。 その仕組みを、タロットカードを扱う中で知ることができた。 聖書の冒頭に出てくる『はじめにみことばがあった』、この意味の大きさを改めて想うことも、クリスマスを迎える準備として、また相応しいのではないかと思っている。

・・ちなみに、私の場合、自分のことをタロットカードで展開することは許されていないらしい。 何故なら、自分の現在を示す位置には必ず同じ一枚のカードが導かれるからだ。 それは『女教皇』。 それがどんな「状況」を意味するのか、どういう雰囲気を伝え、どんな背景を示すのかはさておき、でも、『女教皇』のカードが総合的な私の「状況」をいつも固定化するものだとすると、それはそれで苦笑しつつも納得なのが悔しい。

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2009.12.18

寒波

寒い日が続いている。 風も強くて、晴れているのだけれど時々時雨れるような、独特の天気。 外に出る時にはすっぽり帽子をかぶって耳を覆わないと、ピアスの所からじんじんしてくる。 皮膚科の医者には「冬の間は髪を伸ばしたらどうか」と提案されたのだが、やはり受け入れられず、代わりにニット帽を手元に置いている。 ピアスをはずせという声も聞こえてきそうだけれど。

昨夜は伊東市沖の群発地震がすごくて眠れなかった。 文字通りこんなに群発した地震は、初めての経験だったのではないだろうか。 3~4分おきにゆさっ!と来る。 「山手線みたいだ」という『ますたあ』の言葉に苦笑していたら、大きいのもやって来たし。 夜中、明け方と何度も起き上った。 観光業への影響が心配。 何もよりによってお正月前のこんな時に群発しなくてもいいのになあ、と、切なくなる。 皮肉なものだ。

IT関連の会社や辛子明太子のセールスなど、いかにも年末っぽい売り込みを断りながら、寒波が行き過ぎるのをじっと待っている。 今夜はおでんの予定。 せめて胃の中から温まろう。 

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2009.12.13

山の頂は遠く

2か月ほど前、感覚とは何なのか?という壁にぶち当たり、哲学から始まり参考になりそうな本を片っ端から読んできた。 科学的なものから、ともすると怪しげなものまで、あらゆる分野に渡って非常に興味深かったのは間違いないが、肝心な「そもそも『感覚』とは何なのか?」という問いについては、人間はまだ「それが解れば誰も苦労していませんよ!」という状況下にあるようだ。

哲学、宗教学、脳科学、神経生理学、量子力学、そして、トランスパーソナル心理学、生物学等々、様々な分野の最先端の研究者たちが、それぞれの分野で乗り越えなくてはならない課題に直面して、それぞれのアプローチを始めた。 共通しているのは、「どうやらこの課題は、かなり本質的なものに関わっているようだ」という予感のようなもの。

・・ここで、高い山に登る様子をちょっと想像していただきたい。 研究者たちが抱えた課題が登山だとする。 山の山麓には何か所もの登山口が存在している。 お互いのことを知らずに、それぞれが別の場所から登り始めた。 ところが、進むにつれて霧が立ち込めて自分達がどこまで進んでいるのかが分からなくなってきたので、学会発表という形で「とりあえずこんなことやって、ここまで来ました」という『のろし』を上げる。 すると、どこか知らない遠くの方からも複数の『のろし』が上がっているのが見えた。 調べてみたら、全然違う登山道を登ってきた別のパーティーで、しかも、扱っている学問も点々バラバラなのに、目指している頂上はどうやら同じ、もしくは深く関連していることが分かった。 ・・と、そんな状況のようだ。

人間とは何か、死とは何か、死んでからの先はどうなっているのか、人間の脳は何をやっているのか、心とは何か、魂はあるのか、人間の進化とはなにか、人間はどこへ向かおうとしているのか、宇宙の構造とは、宇宙と人間の関係はどうなっているのか。 その中に「感覚とは何か?」もすっぽり包まれてしまっている。 総合的に英知を集約する必要があることが、ようやく分かってきた段階らしい。 私が本を読んだくらいで解決できるレベルのものでは到底ないのだ。 なんだかとんでもない所に足を突っ込んでしまって、やはりズブズブの状態だったということになる。 人間は多くのことを分かっているようで、実は人間のことを何ひとつ分かっていなかったような、「一周回って同じ所に戻ってきてしまった」ような、妙な気持ち。

死だの魂だの心だのと言うと、どうしてもオカルト的な要素が含まれてしまいがちだが、それをオカルトの分野に納めずに、なんとか科学的に考え直してみようという姿勢が救いのようにも見える。 人間はなかなか面白い所に進もうとしているように思えて心強い。

さて、個人的に次はトランスパーソナル心理学をちょっとばかり齧ってみたいところだ。

●「心と脳の正体に迫る~成長・進化する意識、偏在する知性~」 天外伺朗・瀬名秀明著 PHP研究所 2005年初版

(↑天外さんは本名土井利忠さん。 ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所所長で、AIBOの開発責任者を務めた方。 瀬名さんは「パラサイト・イヴ」を書いた作家。 この本は二人の対談を中心に展開している。)

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2009.12.11

寒さのせい

冷たい雨が朝からしっかり降り続いた一日。 思考回路がちっとも働かず、それはまるで頭に血が回っていないみたいにも思え、自分が変温動物になったかのような気分。 同じ作業をこなすのに、普段より相当に能率が悪くて呆れつつ、何故かその状況をとっくに諦めてしまっている自分が居る。

待降節になって、テーブルの上にミニチュアの「馬小屋セット」を飾った。 父親のヨセフさまと母親のマリアさま、それに赤ちゃんのイエスさまの3体だけ。 一番大きなヨセフさまも高さ5センチ弱ほどの大きさで、全部合わせても掌に乗ってしまいそう。 3人のお人形だけなのに、飾り方の角度やポジションによって表わされる関係が微妙に違うように見えて、テーブルの上を拭く度に迷いながら調整している。 客商売をしていた頃には、ここぞとばかりにクリスマスの飾りつけを楽しんだものだが、今ではもっぱら内面的な準備に勤しむ期間となり、天使や羊や3人の博士などを交えたフル装備?の「馬小屋セット」も出番を失ったままだ。

きっと街ではイルミネーションがきれいな時期だろうと思う。 もう発光ダイオードが主流になったろうから、光の印象もちょっとクールな感じだろうか。 大切な人へのプレゼントを迷ったり、ご馳走や忘年会を考えたり。 それぞれの場所で、たくさんの人がそれぞれのやり方で、クリスマスを迎える準備をしている。 「こんなクリスマスは、本当のクリスマスじゃない」と言う人もあるけれど、大事な相手のことを想う気持ちはみんな共通していることを思えば、そんなに目くじらを立てる話でもないような気がする。

寒さのせいにしてぼんやりしている自分は、図らずもいつもにも増して穏やかだ。 ふんわりと気持ちいいのは、ほろ酔いの感覚とどこか似ている。

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2009.12.08

包容力

寒くなってからというもの、買い出しの前日の夕ご飯は「鍋もの」になっている。 冷蔵庫に残されている半端な食材が片っ端から一気に片付くのは、すっきりして気分が良い。 ついでにスカスカになった庫内をちょいちょいと簡単に掃除してから、買い出しに出かける。

初めから「○○鍋」と決めて材料を用意して作るのも、それはそれとして、とにかく片っ端から入れてゆくと、予想外のハーモニーが勝手に生まれていることもあって面白い。 食べてみてから「おっ!」と気付く意外性も、また美味しさの内なんじゃないかと思う。

そんな意外性もさることながら、なんでも受け入れてしまう「鍋もの」の包容力には脱帽。 ちょっと見習いたいなどと、鍋相手にうっかり思っている。

寒い時期の温かいものは、それだけでご馳走だ。 体にも、心にも。

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2009.12.07

元気です。 ご心配なく。

自分ではほとんど意識していなかった。

個人宛のメールで、「最近ブログが更新されないけど、ダウンしたりしていない?」、と、立て続きに様子伺いをいただき、よくよく見れば12月になってから確かに一件の記事もアップしていない・・。 あれー、いつの間にそんなに経っちゃってました?!

別に何が起こった訳でもなく、走り回っている訳でもなく、逆に普段より(意識的に)穏やかに過ごしている。 今年は(いや、今年も、か。)なかなかダイナミックなことを経験したので、クリスマスを迎える準備期間は、心静かに祈りつつ心の整理に充てようと決めていた。 日常の生活と自分にできるいくつかの奉仕以外は、じっくり考えたり、本を読んで考えを深めたり、感覚を研ぎ澄ませたりしている。 OutputよりもIntake優先で。 そんなこんなの内に、時間の感覚が少々麻痺しているのかもしれない。

みょうちきりんな案件が持ち込まれそうなのを目の前で払い、とりあえずは安寧を保ちながらの状態。 それでも自分自身にじっくり向き合う中で、腹が据わるというか、腹をくくるというか、そんな感じで諦めたり受け入れたり、気持ちの整理がついて次の段階に進んで行くのが判る。 総括とまでは言えなくても、たまに立ち止まって振り返ることも、自分にとっては大きな意味があるように思える。(年末ぽいっちゃーぽいか。)

大人になってまでも、こんなに次から次へと課題があるものとは思っていなかったな。 大人は学校も宿題も無くていいな、なんて、のんきに思っていた頃の無邪気さが懐かしくて苦笑する。

気を抜いているのではなく緊張を保ったままで、鏡面のように静まり返ったぼーっとした感覚、なかなか快感だったりもする。 ぎゅっとブラックホールのように集約されていながら、それでいて無限に拡散しているような、今までにあまり経験したことのないような不思議な感じ。 新しい何かを掴めると良いな、と、自分に期待している。

何かと気忙しい筈のこの時期において、自分だけぽつねんと違う時間の中で過ごしているのが面白い。 戻れなくなってしまうのも困るので、そろそろ少しずつ元に戻そうかと。

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