イタリアンを食べて思う
あちらこちらのお宅の庭先で梅の花が咲き始めたのをほっこりした気分で見とれていたというのに、今日の天気予報にはしっかり「雪だるまマーク」が書かれている。 そう簡単には春にさせてもらえない。 「恵方巻き」ののぼりも冷たい雨に濡れてしっぽりしているだろうか。
過日『ますたあ』とイタリアンを食べてきた。 「サロバトーレ・クオモ」で鍛えられた方だそうだ。 大きな石焼き窯で短時間に焼き上げたピザは上出来で、打ち粉が良い感じに焦げて香ばしいのが嬉しい。 ワインが飲めない私は、前菜はハートランドの生ビールがお伴。 その後、フロアでサービスに当たっているおねーさんの、よく気を利かせてくれるチーフと思われる方に内緒で頼み込んで、バックヤードに見えていたマイヤーズをショットで出してもらい、「ブルーチーズと無花果のピザ」に合わせて楽しみ、グラスに残った最後の数滴はドルチェの「ババ」に振りかけて楽しませてもらった。 こんな注文をする客もいないだろう、どのグラスでマイヤーズを出すべきか内部で相談してくれているのが分かり、手間をかけさせてしまい申し訳ないと心の中で詫びる。 結局はシェリーグラスで届けられた。 シェリーグラスでラムを飲むのは初めてで、なかなか面白い経験。 メニューにもバックヤードにもシェリーは見当たらなかったけれど、いったい何処から持って来てくれたのだろうか。 おまけだと言って、ピザ生地の切れ端をさっと揚げて粉砂糖を振りかけた素朴なベニエを出してくれたのも嬉しかった。
そのお店、雰囲気を出すためか、お客を迎えたり送り出したり、注文フロアから奥に通す時などわざとイタリア語を使っている。 ・・あれは聞いているだけでも何となく照れますなあ・・。 一部の居酒屋さんや回転寿司店でも決まり文句を叫んでいることがあって、客としてどんな顔をしてその場に居ればいいのか、なんとも座り心地の悪いむずむずするような思いをすることがあるけれど、どうしても「そこまでやってくれなくても」みたいな気分になってしまって照れくさい。
美味しいちゃんとしたお店が経営を成り立たせてゆくためには、そこそこの人口と経済状況が必要なのだな、と、街に出かける度に思う。 その代わりに手に入れているものもたくさんあるから、どちらがどうとは言う権利もないのは百も承知で、それでもたまにこんな時間を持つために数十キロ移動する割り切れない自分はエコじゃないなあ。
季節が移って食材が変わったら、また行こう。 お店が無くなったりしないことを望みつつ、結構混んでいたので大丈夫だと期待したい。
| 固定リンク
コメント
イタリアンのお店のオーダーを通すときのイタリア語、雰囲気以外にもなんか理由があるんじゃないかと思うんですが、なんだろう、わかりません。イタリアに修行に行っても困らないように?
ん〜それともやっぱ雰囲気なのかな〜?
投稿: Mr.Spice | 2010.02.02 00:26
Mr.Spiceさん、こんにちは。
なるほど、お客の面前でははっきりさせたくないことも言えるという利点があるかも、ですね。 そうでなくても、そういう使い方もできますね。 方法を持っていることは大事かもしれません。
当方も客商売してた頃は、いくつか隠語というか、秘密のサインみたいなものを持っていました。
すごい早口で最後の「グラッチェ!」しか聞き取れませんでした。 イタリアの食堂ってあんなに騒がしいのかぁ??
投稿: リーボー | 2010.02.02 15:26