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2010.03.30

午後のひととき

庭に出没していたオスのキジは、お嫁さんを2羽も見つけることに成功したらしく、今日はぞろぞろと現れた。 オスに比べてメスの羽は茶色一色だけなので地味な上、地面と同化してしまい、うっかりすると見失う。 見事な迷彩柄だ。

片方の奥さまキジは警戒心が強いと見えて、常に首を伸ばしてきょろきょろと周囲を窺い、ブッシュからなかなか出てこないのに対し、もう片方は足取りも軽くサッシのすぐ傍まで近付いてくる。 キジにも性格がいろいろあるもんだな、と、興味深く見ていると、こちらが家の中で動こうが歩こうがお構いなし。 挙句の果てには、雪の解けた陽だまりにうずくまって、うつらうつら眠り始めた。

キジは瞳がぱっちりしていて普段は眼力があるので、逆に瞼を閉じるとすぐ分かる。 ほんの数秒の間に深く眠りに落ち、人間と同じようにコックリと首を揺らして、その反動に自分で驚いて一旦目覚めてから周囲を見渡し、安心してまた眠る、その繰り返し。 後の2羽はそう遠くない場所で、地面をつついてお食事中だ。

なんという平和な光景だろう、と、じーっと見ていた。 昨夜は雪のせいで寝不足だろうか。 みんな同じだ。 見ている私まで眠たくなってしまう。

30分くらいのんびりと過ごした後で、キジご一行様は並んでブッシュの中に消えていった。 見届けた私も「さて・・」と腰を上げて、午後のお茶を淹れることに。

雪解けに相応しい印象の、穏やかな午後だった。 予定外にぼんやり過ごしてしまったが、まあそんな日もあるわな。 春の贅沢ってことで。 

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2010.03.29

白い一日

一度来た筈の春がすっかり帰ってしまって久しい。 朝から冷たい雨が降り続いていたのがお昼過ぎには雪になり、あれよあれよと景色を真っ白にした。 10cm近い積雪。 もうすぐ4月になるというのに。

せめて玄関先だけでも、と、雪かきに出たら、ようやく開き始めた山桜にも端っこの小枝にまでしっかり雪が積もっている。 可哀そうな気持ちで見上げると、意外にも綺麗だった。 丁寧に薄衣をまとわせた天ぷらの「かき揚げ」を彷彿とさせる上品さ。 こんな状態の桜の花を見るのは、生まれて初めてだ。

「可愛そう」なんて思っているのは、人間のエゴに近い勝手な思い込みでしかなくて、堂々と胸を張って雪を受け入れている山桜は、きっと私なんかよりよっぽど強いに違いない。

こんな日に眼科の受診に出かけた『ますたあ』が、お土産に「白いたいやき」を買ってきてくれた。 白い雪の日に食べる白いたいやき。 なんだか自分の汚さとか醜さばかりが目立つような気がして、雪かきで疲れたのと、無事に帰宅した『ますたあ』に安心したのと、みんなごちゃ混ぜになって、ちょっと泣きたい気持ちになった。

過日に手折りしてきたソメイヨシノの小枝も、花瓶の水だけで立派に蕾を開き始めた。 連日の真冬並みの寒さの中で何をトリガーにしているのか判らないけれど、みんな強くて凄いなあ、と、素直に感心する。

この寒さの後には、今度こそ春が来るのだろうか。 

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2010.03.25

紅しょうがの赤に怯む

「紅しょうが」をとても久し振りに買った。 あの毒々しい色に引いて躊躇してしまい、手が伸びなかったのだ。 しかし、実際に手元に置いてみれば、焼きそばのようなソース味のものや丼物にも相性が良く、一度に食べる量は多くないので派手な赤色もさほど気にならずに、美味しく食べている。 特別に思い当たるものも無いけれど、どこか懐かしいような雰囲気を持っているような気までして。

これまた真っ赤の、たっぷりの漬け汁がパッケージに残され、そのまま流して捨ててしまうべきかと悩む。 手に袋を持ったまま、しばし「うーん・・」と固まった。 やっぱりこの派手な赤色と付き合うのは勇気が必要なのだ。 でも、味そのものは美味しい事も判っているから、ダメで元々のつもりで再利用にエイヤッ!と踏み切った。

大根5cm分くらい。 皮を剥いてから薄めのいちょう切りに。 食品用ポリ袋に切った大根と塩小さじ1弱を入れ、ポリ袋の上からよくモミモミして30分ほど放置。 そのままギュッと絞って出てきた水分を捨てる。 ポリ袋に残った大根に、今度は紅しょうがの漬け汁を大さじ4ほど加えて、もう一度袋の上から軽く揉んで馴染ませ、空気を抜いて口を縛り一晩冷蔵庫で寝かせる。 盛り付ける時に、袋の口をハサミで切ってから下を向けて、袋の上から軽く絞り、それで出来上がり。

簡単に言うと、「大根の紅しょうが汁即席漬け」になる訳だが、これが意外なことになんとも上品な桜色に出来上がって、作った本人が一番びっくりした。 さぞかしド派手な真っ赤に漬け上がるものと覚悟していたのに、素晴らしいくらいにスッコーンと裏切られ、しかも、さっぱりと酸っぱくて美味しい! 文句無しだ。 うっかりお花見のお弁当に入れたいくらいの出来栄えになってしまった。

こんな再利用方法があるのなら、次回からは「紅しょうが」購入のハードルが下がりそうな予感。 機会があれば、捨てる前にもう一度使ってやってください。

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2010.03.24

プチお花見

春が来てソメイヨシノも咲き始めたというのに、こんな冷たい雨の日もあるから気が抜けない。 我が家の車「ルーテシア嬢」の外気温計は、驚くほど信用できるのでいつも当てにしているのだが、山から下りて町へ出たにも拘らず7℃から動かなかった。 これじゃあ真冬並みだ。 道理で寒いはず。

なんだかんだと野暮用を片付けている内に、昼食時間がすっかりずれ込んでしまったので、おにぎりを買って川沿いの公園の駐車場に車を止め、車内で食べることに。 冷たい雨の中の、ガラス越しのプチお花見。 植栽の大きな桜は二割咲き程度で、いかにも咲き始めの上品さが良い感じだった。 満開に咲き誇っている桜はどうも苦手なので、私にはこのくらいが丁度良い。

過日の大風で蕾をつけた大ぶりの枝がぼっきり折れてしまったらしく、邪魔にならない場所に移動してあったのを見つけたので、小枝を手折りして分けてもらってくる。

寒さに負けて、自販機の「あったか~い」午後の紅茶エスプレッソティーを買った。 確かに紅茶の苦味は今までの製品とは大違い。 一口目は美味しかったのに、だんだん苦味が不自然に感じられてきて、逆に鼻につくような印象に変わってしまったのが残念だった。 やっぱり紅茶飲料って、何か限界を背負い込んでしまっている気がする。

家に戻って焼き物の壺に桜の枝を挿した。 偶然にもきれいなバランスになって、茶室の掛け軸の前にでも飾れそうな出来ばえに嬉しくなる。 「この蕾、ちゃんと咲いてくれたらいいな」、と、思ってから、やっぱりそれは望み過ぎのような気がして、慌てて考えを引っ込めた。 あんまり何もかも上手くいくのも、運を使いきってしまうようで怖いので、望まず、あるがままに淡々としていようと思った。

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2010.03.20

山の春の食卓

今夜のメニュー

  • 菜の花と蒸し鶏のごまだれ和え
  • ゼンマイの煮つけ
  • 土筆の卵とじ
  • 厚揚げを焼いて、たっぷりの大根おろしで。
  • 大根と人参の皮だけナムル
  • ホウレン草と新じゃがの味噌汁

意識した訳じゃないけれど、見事に春っぽい献立が揃った。 土筆のはかまを取った指先が灰汁で真っ黒になっていても、そんなことは気にしない。 ビールが美味しければ、そちらが最優先だ。

数日前まで心にエンプティーマークが点灯していたのが、ようやく満たされてきたような、そんな自覚がある。 なんでもない日常をありがたく感じる。

相変わらずマイペースで行かせてもらってますです・・、はい。

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2010.03.18

自然と天然

窓の外から、「こっ、こっ、こっ」とか「くっ、くっ、くっ」という何かが聞こえてくるので顔を向けたら、サッシのすぐ外で大きなキジが何かをついばんでいた。

こちらが「わー!キジだ!」、「どれどれ?ほんとだ!」なんて大騒ぎしているのに、全く気にする素振りもなく、実に堂々としたもの。

・・なんだか、ちょっとは気にしてくれないと人間の立場がないな、と、思った。

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2010.03.14

義父の退院

とにもかくにも結論から書けば、父は退院した。 「おかげさまで」なことは間違いがないが、別な視点からすると退院してからの方がよっぽど大変なほどに、本人の認知症の状態が厳しいので、手放しで「良かった」と書けないすっきりしない状況は、あまり変わりがないとも言える。

ただ、病院で「おしっこのカテーテルを力任せに引っこ抜く」とか、「足が不自由で立ち上がれないのに、ベッドから降りて立ち上がろうとして、結局コケて骨折する」といった問題行動を回避するために、ベッドに太いベルトで押さえ付けて起き上がれないようにしたり、肘や膝を軽く縛ったりして(これらを『拘束(こうそく)』と呼ぶ。)、自由を奪う形で管理されていた状態から、施設のスタッフの監視下に置くことで出来るだけ強制的な拘束を避けるようにする、という違いになるだけのことだ。

縛り付けていれば事故は起こらない確率が高い。 それでも、「判らない頭」なりに自由を奪われるストレスは積もる筈で、それによってますます問題行動が助長され、それを抑えるためにより強い効力で縛り付けるという、繰り返しになってゆく。 一方、施設では一応あれやこれや気を紛らわせながら、ストレスを減らすことで問題行動を軽減しようとする代わりに、時間も人手もかかるし事故のリスクは高くなる。 どちらが人間的かと問われれば後者なのだろうが、どちらが安心かと問われると、正直困る。 縛り付けられてジタバタしている本人を見る切ない気持が上か、「もうどうせ分からないんだから、治療上の安全を優先した方がいい」という気持ちが上か。

高齢者の病気は、単なる入院治療だけでは済まないのが現実なのだ。

前回の肺炎による入院でも、退院後3週間近くはかなり不穏な状態が続いた。 今回では入院期間そのものは短かったものの、本人の混乱度は前回を完全に上回っていたから思いやられる。 後から教えてもらったところ、たかが点滴を刺すのにさえ鎮静剤の騒ぎだったそうだし、入院当日の一晩だけで、持ち込んだ全てのパジャマや下着・タオルの類が、翌朝訪ねた時にはことごとく尿で汚れていたとは、どれだけ暴れたのかと気が遠くなったものだ。(そんなこともあろうかと、個室が用意され、家族としての拘束許可は前以て手続きを求められていた。)

万一父にまた次に何らかの病気が見つかったとしても、私個人的には入院治療に対してかなり否定的な考えを持つことになってしまいそうだ。 もう入院するような状況にならないことをただ望みつつ、父の日常を手伝ってくださる全ての方に「ありがとうございます」と感謝するしかない。

山はだいぶ春めいてきて、ウグイスもちらほらと鳴きだした。 今日は庭でカナヘビも見かけたし、さすがは啓蟄の日々と感心。 暦ってすごいな。 なんだかんだの日常の中、花粉症でちょっとばかりぼんやりしているのが、逆に幸いしているかとも思っている。

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2010.03.11

晴れた日に

久し振りにしっかりと晴れてくれた。 窓を大きく開けて家の中の空気を入れ替え、洗濯機を3クールも回してシーツやらジーンズやら大物まで洗い、それらがことごとくちゃんと乾いてくれたのがありがたい。

これだけ片付いたら気分も軽くなりそうなものを、ちっともすっきり感がないのは、手術の後でまだ退院できずに入院生活を強いられている父のせいだと思う。 私には何もできないのは重々承知しているが、いろいろな意味で心の中に重たい石を抱えているような、そんな感じでこちらも過ごしている。

まあ、仕方ないやね・・。

父が手術を受けた日、学生時代からの友人が偶然メールを届けてくれた。 彼女はしばらく前に実家の家業を継いで社長になったばかりで、私とは社会的立場は全く異なるのだが、日々のすったもんだをメールでやり取りしている内に、話はどうしても本質的なものに近付いてきて、「生きるとは」とか「人生とは」みたいな様相を呈してくるのが不思議だ。

なんだかそれって学生時代のまんまじゃん!、と、思う。 あの頃も、分かっていないなりに、それなりに、小難しい話をたくさんしていたっけ。 どうしたことか、特に高校時代を共にした友人たちとは、未だに結構真面目な小難しい話を平気でしていることが多い。(同じくらいに「ばか」もやっているのだが。)

こんな風にいろんな経験を皮下脂肪や皺の間に貯め込みながら、みんなで年とってゆくんだな。 ふふふ。 これは、あの頃には分からなかった一種の醍醐味のようなもので、心強くて頼もしい感覚だ。

人生にはまだまだ「だんだん判ってくるもの」が用意されているみたい。

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2010.03.06

次から次へと

なんだかんだと、すったもんだの末に、結果として父は膀胱結石のために手術を受けることに相成った次第で・・。 「手術が受けられるということ自体が、とてもすごい事ですよ。」という、施設の看護師さんの言葉に救われたような気持になる。

事あるごとに、それこそ一日の内で何度となく、私たち家族も施設のスタッフたちも、手術で結石を取ることになった旨を本人に伝え続けてはいるが、一向に理解される兆しがない。 ストローやアルミ箔でモデルを作って視覚に訴えたりも試してみたが、無駄足に終わった。

ここまできてしまうと、父に手術の話をするのはいったい何の為なのかという気分にすらなってくる一方で、逆説的にこれは、こんなにやっても父はもう理解できないのだという現実を、私が体で理解するために必要なプロセスだったのではないか、とまで思えてきて、何とも言えない気分。 よく「無償の愛」などというけれども、コミュニケーションはキャッチボールな訳で、こちらから投げても相手が投げ返してくれなければ球切れになる。 老人介護を仕事としているプロたちは、この虚しさとどのように対峙しているのだろうか? そのうち聞いてみたい。

唯でさえ環境が変わることにパニックを起こす傾向がある父の入院そのものが、手術云々の以前に心配だったりするし。 病院側にはいろいろと事前情報として伝えておいたけれども・・。 順調に、いろいろなことが淡々と進んでくれるよう、ただただ祈るような思いだ。

次から次へと、やっと前のすったもんだが落ち着いたと思ったら、次のすったもんだがやって来る。 『ますたあ』の「要するに、身体が耐用年数を越えているっていうことだから。」という的を得た表現に、思わず苦笑。

雨が降る前に、と、慌ててお雛様を片付け、下ろした「ひなあられ」をポツリポツリつまみながら、意識的に、考えても仕方がない事を分離するように自分を仕向けている。 一時記憶媒体の容量が極端に小さくなっている相手には、自分も超近視眼的に対応するのが、ストレスをためないポイントなのかもしれない。

聖書にある『その日の苦労はその日だけで十分である』とは、こういうことか?!

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2010.03.01

ビールも文化だと思う

勉強してきたのはビールについてだった。 真面目な、真面目な、ビールの集中講義。

キリンビール大学の『冬季スクーリング名誉学生セミナー』というもので、ビールに対してただならぬ熱意を持つツワモノドモ35名が集まり、一緒に学び、実習し、飲み食いして、各々の「ただならぬ熱意」をより強固にするという勉強会だった。 今回の入試は3倍強の競争率だったらしい。 若い方は二十歳になったばかり、上は50代後半?まで、全国津々浦々からいろいろな人が集まっていて、とても面白く、外目には妙な集団だったと思われた。

場所はキリンビール横浜工場内にあるビアレストランの二階。 ビールについて多方面から学び、もちろん工場見学もし、マイスターの方から醸造の現場のお話を伺い、最後には御丁寧にテイスティングの卒試まで用意されているという、おふざけの体(てい)をとりつつも、実は「くそ」が付くくらい真面目なビール漬けの一日。 いやいや、幸せでございました。

実習に使われるのは全て工場出来立てのビールで、もうそれだけでも凄いことなのに、自己管理で好きなだけ飲むことができる。 数名単位のテーブル上のビールが空になると、係の方がすぐに適温に管理された新しいピッチャーを運んで来てくれる丁寧さだ。 「全部飲んでゆくと、講義終了までに2リットル近く飲むことになりますから、くれぐれも自分のペースを見失わないように! 注いでから使わずに余ってしまったビールは、テーブル上の大きな紙コップに流し捨てていって構いません。」などと、注意事項を説明されるが、そこはビール好きの集まり・・ほとんどみんな飲んでしまう。 だって美味しいんですもの! 残せと言われても無理です。 それでも誰一人として酔って乱れる者も無く、真剣にお勉強している光景はお見事なもの。

圧巻だったのは、「自宅で楽しむビール」の講義中に、ビールの注ぎ方で如何に味わいが変わるかを実感するため、缶ビールをグラスに注ぐ実習。(ずっと生ビールを使い続けてきた中で、この時初めて缶ビールが配られた。) 隣の受講者とペアで、「一番搾り」と「一番搾りスタウト」を半缶ずつ使ってハーフ・アンドハーフを作るのだが、35人が一斉に缶ビールの蓋をシュポッと開ける音の得も言われぬハーモニーといったら! 全員がニンマリ笑顔になってしまうほどの素晴らしさで、それぞれの脳裏にしっかりと記憶されたこと間違いなしだ。

「空腹で飲んではいけません」と、食事もちゃんと用意されている上に、料理とビールの相性を再考するために、何種類もの料理が運ばれてくる講義もあり、終了式後には懇談会と銘打って、立食パーティーでまたまた飲み放題、食べ放題。 10時過ぎから19時半頃まで、全ての過程を終了した時にはなんだか一日中飲んでいた感じすらして、さすがに疲れも出た。 それでも、日常から切り離されてビール三昧の濃い一日に、心にも肝臓にも満足感が満ちていた。

今まで私もいろいろな場所でいろいろな種類のビールを飲んできた筈だが、時間が経つと共に味や香りを忘れてしまって思い出せなくなることを、ずっと残念に感じていた。 講義を受けて、テイスティングの内容の記録を残しておけばいいんだという単純なことを、どうして今まで気付かなかったのか、と、目から鱗の気持ちに。 世の中ワインばかり丁寧に扱われているようだが、ビールだって同じなのだ。 食中酒としてマリアージュに気を配り性格を活かすようにプロデュースすれば、食卓はより楽しいものになる、ということを、実感として学んできた。

今のところ定期的に開催されているようなので、ビールが好きという方は、機会があったら是非! ちゃんと入試を受けて、真剣にビールと向かい合ってみてください。

ビール好きはきっとみんないい人なんじゃないかな??!(ちょっと言い過ぎ。)

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