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2010.04.12

インドアな週末

三崎亜記さんの「コロヨシ!!」を読む。 あーこれ映画で見たいな、と、思った。 流行りの3D技術やCGの活かし所満載だ。 (・・もしかしたら、初めからそれを意識して書かれているのか??) 解かれていない伏線も多々あり、多分物語は続いてゆくのだろう。 ちょっと毛色は違うが、日本版のハリーポッター風で面白かった。 続編に期待。 三崎さんの作品の、全体を見据えての構成がいつもしっかりと組み立てられている感じが、私は好きだ。

週末に珍しくテレビドラマを見た。 ひとつはNHKの「大仏開眼」。 前週からの続きの後篇。 『何故にわざわざ大仏だったのか』がずっと疑問で、そこのところを知りたかったのだが、ドラマの重点は別の部分にあり、軽くスルーされてしまっていた。 それについては『ますたあ』と、「要するに、国としても、権力者達からも、一般人からも、どこからも文句が出ないモチーフであることがポイントだったんじゃないか?」という話となり、それに加えて、多くの分野やたくさんの人が参加できる「拡がり」が含まれていることも、もうひとつのポイントになるだろう、と、話す。 「じゃあ、今の世の中にとっての『大仏』は何か。」 ちょっと前の「インターネット・テクノロジーの普及」や、まさに最近の「環境関連事業」が、『現代の大仏』に当たるのかもしれない。

もうひとつは、フジ系の3夜連続の長い長い「わが家の歴史」。 そんな筈ではなかったのに、結局ほぼ全編見てしまった。 三谷幸喜さんのドラマは、どこかに何かが隠されているんじゃないかと気が抜けないので、ちょっと別な意味で疲れる。 全く違う時代内容を描いたふたつのドラマだったのに、「人」という部分だけを切り取れば、驚くほどに共通項が多く、結局人間のやることはあんまり変わっていないものなんだな、と、つくづく思った。

私には、集中が過ぎて現実に戻れなくなるという妙な癖があるので、本当は小説もドラマもあまり得意ではなく、普段は自制しながらのお付き合いとなっている。 先週末はかなり珍しく、なんだかんだと満喫してしまった結果になった。 ・・もう既に、一年分楽しんだような気になっている。

 ● 三崎亜記 著 「コロヨシ!!」 平成22年2月26日初版 角川書店

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2010.04.07

鯵を焼く

魚屋さんで中型の鯵が売られていたので、2匹包んでもらってきた。 せっかくいい鯵を手に入れたというのに、なんだかんだでくたびれてしまって、お刺身を造るのが面倒だし、生ものを口にするのもこんな時はちょっと心配だ。

しばらく考えてから、春っぽい素材と共に変則の二杯酢でいただくことにした。

鯵を普通に塩焼きに。 どうせ後で皮は剥いでしまうから、ゼイゴもそのまんま。 こんがりと焼けたら冷めないうちに皮や骨を除き身をほぐす。 春キャベツ2枚をさっと茹で、同じお湯で新物のワカメも湯通し。 キャベツは絞って半分に切ってから1cm幅程度に切り、ワカメも適当に切る。

酢大さじ3、醤油大さじ1強、みりん大さじ1、砂糖ほんのひとつまみを、小型の耐熱容器に合わせて電子レンジで20秒ほど加熱し、軽く沸騰したところにショウガのみじん切りを小さじ1ほど混ぜて冷ます。

大葉2枚を軸を除いて適当に刻み、切った茹でキャベツに合わせ混ぜる。 器に3つの山を作るように、キャベツ、鯵、ワカメをこんもり盛り合わせ、食卓に並べる直前に調味酢を上からかけてできあがり。

疲れた時にはお酢が嬉しい。 塔菜のお浸し、厚揚げの煮物、新ジャガのお味噌汁と一緒に、あっさりとシンプルにお腹の負担も少ない和食の夕飯になった。

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2010.04.06

アゲイン

久し振りにちゃんと外に洗濯物を干し、青空を見て、春らしい風に当たる。 やっぱり4月はこうでないと。

『ますたあ』が、「朝、ガラス窓に鳥がぶつかった音を聞いた気がする」、と、言うので、頻度の高い場所(だいたい傾向は掴めているつもり。)からひと巡りしてみたが、とりあえずぶつかった鳥にも命に別条はなかったみたいで、つまりは、窓際に死んで落ちている鳥はみつからなかったということで、ほっと胸を撫で下ろした。 4~5月は縄張り争いの空中戦に気を取られたり、巣立ったばかりのおっちょこちょいの鳥がちょろちょろしていたりするので、何かと事故も多い。 ・・人間も一緒だな、と、春の交通安全運動期間の始まりを知らせる町内放送を聞きながら思う。

庭にはゼンマイの新芽が頭をもたげているので、ぽつぽつ摘まんで集めた。 しかし、中には土中から生えたままの状態で、立ち腐れているものも。 半月ほど前には新芽を伸ばし始めていたはずの山椒の木の芽も、見に行くと黒く傷んでいた。 過日までの季節外れの寒さで冷害を起こしてしまっただろうか。 まさか、雪を被ることになろうとは、植物としても想定外だったことだろう。 新芽の準備も仕切り直しだ。

本当の強さとは、一度潰された後で再度復活できるかどうかなのかもしれない、と、そんなことを考える。

寒さの後の暖かさで、スギ花粉がもう一度飛んでいるような印象があるのだが、軽く風邪をひいたのか花粉症なのか判別がつかない。 スギ花粉の再度復活だけは勘弁してもらいたいなあ。

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2010.04.03

明日はイースター

ようやくイースターが来る。 4月になってからのイースターというせいもあるが(なにせ月の満ち欠けに合わせて算出されているので、3月の年もあれば4月になってからの年もあるという代物・・)、やっと来る印象。 季節外れの積雪があったり、嵐のような暴風雨でろくに眠れなかったり、気温は低くないのに足の指に新たな霜焼けができたり、何となく前向きな気持ちになれずにいた。 聖週間(イースターの直前の一週間)になって、ようやく体も心も春の気候に順応してきた感じがする。 「暑さ寒さも彼岸まで」ではないけれど、私の中では「寒さはイースターまで」としたいところだ。

今日は義父のお世話になっている施設の運営懇談会。 (・・まあ色々ありますけど、ここではわざとスルーさせてもらいます。) 行き帰りの至る所で、見事な満開の桜に見下ろされる。 よく見れば、同じ桜でもピンク色っぽいもの、白っぽいもの、薄緑っぽいものなど様々で、種類が違うのだろうか。 葉と幹だけを眺めている時期には、種類の違いなど全く見分けられていなかった。 一年の内のほんの一週間、花を咲かせている時に見てあげないと気付かないこともあるんだな。

義父は最近にしては珍しく頭がよく働いている感じで、会話もそれなりに成立する。 逆に、言う内容が哲学の域に達しているようにも思え、帰りの道すがら「物事の集約」について考えていた。 どうも父はいまだに、老いることを受け入れられていないようで、老いに伴うあらゆることに抵抗し続けている。 疲れるだろうな、と、思う。 これも本人の生き様なのだから、と、家族は見守るしかないわけだが、父よりも老いを悟ってしまったようなところがある私には、そんな父に切ないような哀しいような気持ちを、どうしても抱いてしまう。

考えることには、罪に近い部分もわずかに含まれているような気がする。

イースターの準備期間はずっと、考えずに、そことしっかり境界を引いてから、純粋に祈ることを意識し続けてきた。 広い広い視界のままに、全てのことがあるべきようにあるように、それを、素直に受け入れられるように。

誰にでも日常があり、抱えていることも皆ひとりひとり違うはず。 でも、同じように春が来て、同じように満開の桜を見上げている。 宗教観もそれぞれだから大きな声では言えないが、それでも、イースター(御復活の恵み)も誰しもの上にある。

明日、穏やかであって欲しいな、いろんな意味で。 子供みたいにそんな風に思っている。

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