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2010.04.03

明日はイースター

ようやくイースターが来る。 4月になってからのイースターというせいもあるが(なにせ月の満ち欠けに合わせて算出されているので、3月の年もあれば4月になってからの年もあるという代物・・)、やっと来る印象。 季節外れの積雪があったり、嵐のような暴風雨でろくに眠れなかったり、気温は低くないのに足の指に新たな霜焼けができたり、何となく前向きな気持ちになれずにいた。 聖週間(イースターの直前の一週間)になって、ようやく体も心も春の気候に順応してきた感じがする。 「暑さ寒さも彼岸まで」ではないけれど、私の中では「寒さはイースターまで」としたいところだ。

今日は義父のお世話になっている施設の運営懇談会。 (・・まあ色々ありますけど、ここではわざとスルーさせてもらいます。) 行き帰りの至る所で、見事な満開の桜に見下ろされる。 よく見れば、同じ桜でもピンク色っぽいもの、白っぽいもの、薄緑っぽいものなど様々で、種類が違うのだろうか。 葉と幹だけを眺めている時期には、種類の違いなど全く見分けられていなかった。 一年の内のほんの一週間、花を咲かせている時に見てあげないと気付かないこともあるんだな。

義父は最近にしては珍しく頭がよく働いている感じで、会話もそれなりに成立する。 逆に、言う内容が哲学の域に達しているようにも思え、帰りの道すがら「物事の集約」について考えていた。 どうも父はいまだに、老いることを受け入れられていないようで、老いに伴うあらゆることに抵抗し続けている。 疲れるだろうな、と、思う。 これも本人の生き様なのだから、と、家族は見守るしかないわけだが、父よりも老いを悟ってしまったようなところがある私には、そんな父に切ないような哀しいような気持ちを、どうしても抱いてしまう。

考えることには、罪に近い部分もわずかに含まれているような気がする。

イースターの準備期間はずっと、考えずに、そことしっかり境界を引いてから、純粋に祈ることを意識し続けてきた。 広い広い視界のままに、全てのことがあるべきようにあるように、それを、素直に受け入れられるように。

誰にでも日常があり、抱えていることも皆ひとりひとり違うはず。 でも、同じように春が来て、同じように満開の桜を見上げている。 宗教観もそれぞれだから大きな声では言えないが、それでも、イースター(御復活の恵み)も誰しもの上にある。

明日、穏やかであって欲しいな、いろんな意味で。 子供みたいにそんな風に思っている。

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