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2011.02.13

「達観」と「内包」

20cm近く積もった雪も、今日一日でかなり解けてしまった。 やれやれと安心したり、一方でもう雪景色も見られないかと思うと、ちょっと残念だったりもしている。 雛飾りを整えるとこんな感じに雪が降るのも、お決まりの風物詩。 庭の地面が雪解け水でグチョグチョなので、面倒臭がって外には出ないけれど、蕗の薹がふたつばかり顔を出しているのも分かっている。 雪の残りに蕗の薹の鮮やかな黄緑色、なんとも趣があって良いものだなと思う。

私にとってこうしてblogに文章をアップするということは、自分の考えをまとめて整理し、普遍的なエッセンスを抽出する意味合いがあったのだけれども、哲学的思考のトレーニングを課したおかげで、その必要性がすっかり薄れてしまった。 日々の暮らしの中の「こんなことがあったの。」とか、「あんなことがあってね。」みたいなことは、これまた日々の暮らしの中ですっかり消化できてしまっているのでわざわざ書く気になれないし、そのような内容は世の中の多くの人たちが毎日こまめにアップしてくれているので、すっかりお役を任せている。

物事を達観すると、文章は書き難い。 こんなことになるとは思っていなかったな。 日本語を操ることは、今も変わらず大好きなんだけどな。

まあおかげさまで内面的には非常に平和だ。 ・・平和というよりは暗黒のような音の無いどっしりとしたものと言うべきか? もう大概のことには、この平和は脅かされないんじゃないか、と思うと、逆に怖かったり残念だったりさえするのだ。 変な感じ。

例えるなら、穏やかなテンポで穏やかに唄われたり穏やかに演奏されている曲が、実は物凄く激しい情熱を内包していたり、醸造期間の長いお酒に怖いほどのエネルギーが溶け込んでいたり、そういったものを感じ取る能力が磨かれた。 見えないままスルーしてきたものの大きさに呆然としている。 (いえいえ、俗に言われるような霊的なものとか、そういう意味合いではなくて、ですよ。)(そういうものを否定もしませんが、はい。)

そんな時期なんだろう。 後から思えばどんな風に思われるかも、ある意味楽しみ。

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