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2011.06.07

久々に悩んだ

ちょっと想像してみて欲しい。

あなたは昔ながらの風情が残る観光地に来た。 そこには明治時代に病院として使われていた古い建物が文化財として保存されており、見学できるようになっている。 建物の歴史が古い写真とともに説明され、基本的には今風に言えば内科医院だったそうだが、近隣の村を含めても唯一の医師ということで、実際には何科の患者であっても断らずに治療したらしい件が解説されている。 診療に当たっていた医師はたくさんの命を救いとても尊敬された人物で、勲章も授けられ、建物の玄関先には銅像もある。 内部には実際に使われていた古い椅子や聴診器が配置され、医療器具がガラスケースの中に並べられ展示されていた。 しかし、そこであなたは気付いてしまう。 陳列展示されている当時の医療機器が、何故かほとんど産科の器材であり、それも、妊娠初期に妊娠が継続されない若しくは、人工的に継続させない場合に子宮の内容を外に出してきれいに整えるための器具ばかりであることに。

さて、あなたはその場で、または、後日に何かアクションを起こすだろうか?

医学は自然科学だ。 使用目的には関係なく、器具は単純に器具でしかないのだから、隠すべきものでもない。 当時使われていた器具ならば科学遺産である。 ましてや判る人にしか判らない代物であれば、多くの人は「へぇ~」で通り過ぎてしまうのだから、なんら問題ではない。

しかし、かつて花街であり、また俗に言われる「口減らし」の史実も残されていれば、多分ここで人工妊娠中絶処置が行なわれていたであろうことは容易に想像されるし、わざわざよりにもよってその器具を展示しなくても良いではないか。 見ていて気分の良いものではないし、子供も無意識に見てしまうのだから。 小京都と言って上品さを売り物にして観光客を誘致している場所には相応しくない。 ましてや、尊敬を集めていた医師の「裏の顔」を見てしまうようで、イメージダウンにもなりかねない。

例えそうだとしてもそれは史実なのだから、隠そうとする事が間違っている。 過去の間違えを隠すのではなく、史実として認めた上で、今の価値観にあわせて考え直さなくてはならない。 現在だって、それが認められていなくても、お金さえ積めばそういう処置をしてくれる所はあるではないか。

大昔の話ならともかく、明治時代であれば、その医師の近い子孫が近くで暮らしているかもしれない。 手の届く過去だからこそのリアリティー、そのショックの強さも考えて欲しい。

建物を管理している行政機関や観光協会は、展示してある医療器材がどういうケースで使われるものなのか、把握していないのではないか。 「当時のもの」というだけの理由なら、他の器材に置き換えれば良いだけの話しだ。 他の器材は残されていないのだろうか。 だとしたら、なぜこの手の物ばかりが残されていたのか?

そもそも単に観光客でしかないのだから、知らぬが仏でも良いではないか。

・・私はものすごく悩んだ。 数日悩みぬいた挙句、「展示されていた医療器具はこれこれこういうもので、こういったときに使用するものです。」ということだけをお知らせする手紙を書いた。 自分の考えには触れずに、「驚いたという気持ち」だけを伝えた。

時代によって価値観は変わってゆく。 昔は普通に行なわれていたものが、今では犯罪の範疇に含まれるものも少なくない。 だからといって、昔は野蛮だと決め付けるのも間違っていると思う。 当時には当時のそれなりの理由があり、きっと今だって、将来になったら十分に野蛮な筈だ。

とてもたくさんのことを考えさせられた。 頭が痛かった。   

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コメント

難しい問題だった。
私も読んで数日間考え込んでしまった。
でも、結論は出なかった。

ただ、りーぼーさんが感じたことをアクションを起こし伝えたことは、きっと意味があると思います。

夢に出てきた「空飛ぶ鯉の群」>端午の節句にたくさんのこいのぼりが空で泳ぐ姿
を想像していましたもので、子どもの日に生まれた息子を持つ母親としましても、りーぼーさんの元のご職業、その他に思いをはせましても、とても心に残るお話でした。

投稿: かおる | 2011.06.17 09:08

かおるさん
単純に頭を抱えたくなったという気持ちが一番初めでしたが、分析してどんな要因が含まれているかを冷静にならべていきましたら、あーこりゃあ(自分の考えが)すぐに片付くものではないな、と・・。

世の中の価値観の変遷、時間の流れ、科学の立ち居地と現実の生活。 人間のやっていることは、とても曖昧で、だけれども、その曖昧さがなくなったらきっと生きて(暮らして)ゆけないのも事実なんだと思いました。 もう少し曖昧さを愛おしむような気持ちが、私には必要かも。

そんな手紙を受け取ってしまった相手先のことを思えば、黙ってスルーしてあげたほうがよかったのかも知れないと、今でも半分くらい思っているのが正直なところです。

(これは私信・・今でも、ご子息の授乳時間のアクシデントのことは、とても印象に残っていますよ。 何の関係も無い時にふっといきなり思い出すのが不思議です。)

投稿: リーボー | 2011.06.17 11:24

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