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2011.09.18

更新

実家の母が「私たちもいつ神様のお呼びがかかるか分からない歳になったので、自分で歩ける間に兄妹のお墓参りに行っておきたいから、連れていってくれないか。」と、言うので、両親と一緒に長旅へ、富山県の魚津市まで。 朝、池袋駅で待ち合わせしてからJRで移動し、駅からレンタカーを私が運転して、母の妹が眠るお墓へ。 海を眺めてちょっと観光をしたら、もう夕方だ。 こじんまりした温泉宿で一泊。 翌日にもう一度お墓に寄ってから、新潟へ移動する。 新潟には母の兄のお墓があるので、お参りをしてから本家(母の実家)まで送り届けた。 両親はそこで一週間近くお世話になりながら、移動の疲れを取ったり、懐かしい方々に会うなどした後、自力で東京まで戻ってくる予定で、私は一泊だけさせてもらい、先に戻って来た。

実の両親といえども、やはり年寄りとの移動はなかなか大変で、普段自分達だけでひょいひょいと飛び回っている状況とは全く別物の、独特の視点からの気遣いが必要とされる。 疲れたのは事実としても、こうして歳をとってきた両親の現実をちゃんと私の中で更新しておくには、とても良い機会だったのではないかと感じた。 これでもひと月からふた月に一度は、顔を見せつつ様子伺いに実家へ行っていたのに、長い時間一緒に居なければ見えてこない物も色々ある。

いきなり病気で倒れてから看病するのでは、親にも子にもお世話になる第三者も、それぞれが大きなギャップを抱えることになるので、問題が表面化し易いのは、義理の母を見送った経験から学習済み。 やはり小まめな「客観的な状況把握内容の更新」が物を言う気がする。

別にこれは世代間の話だけに留まらず、友人でも会社でも地域でも、ウェブ上のお知り合いでも、とにかく人と人の繋がりでは、全てに当てはまることなのではないだろうか。 相手と離れてしまうということは、つまりは、お互いについての更新がなされなくなったということだ。 そこには人間関係における「マメさ」が必要とされるだろうが、昨今ではウェブ・ツール上の「情報発信のマメさ」が「人間関係におけるマメさ」と同じ役割になりつつあるようで、なかなか大変な時代だな、とも、思ったりしている。 あまりにマメさを求められると、それが負担になったり、自分の首を絞めたりすることになりかねないし、だからといって「私はこれでいきます」と決めたところで、人間関係には必ず相手があることだから、加減が難しい。

なんとなくまだ旅の疲れが体の奥に残っている感じで食欲が無かったので、今朝は梨と無花果を食べた。 剥いている時には何も思わなかったのだが、食べながら「ああ、秋の味だなあ」と、しみじみした。 こんな風に私の中で季節が夏から秋に更新されてゆく。 あっさりと後味のきれいな甘味に、更新もこんな風に穏やかに、少し薄ぼんやりしたくらいの刺激だとありがたいなあ、と、そんなことを思いながら食べていた。

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コメント

ごぶさた~
良くも悪くも気になったので、コメント。

>相手と離れてしまうということは、つまりは、お互いについての更新がなされなくなったということだ。

これ、ぐさ~っと来た。
四十数年間生まれ育った街から離れて早三年半。
こっちの知人、友人も少しは出来たが、40:3
では、あまりに差がありすぎる。
幸い、更新されなくてもあまり影響の無い
(東京にいたときからあまり更新されないまま
続いている)人間関係がいかに多いかを思い出す。

>昨今ではウェブ・ツール上の「情報発信のマメさ」が「人間関係におけるマメさ」と同じ役割になりつつあるようで、

だとしたら、自分はついて行けないなぁ、と思う。
それなりの情報発信はしてるけど、思い出した様に
更新したり、時々発言したり、忘れた頃に
コメントしたりして、そういう意味では
全くマメでは無いのだ。

だから、たぶんリーボーの書いている
>だからといって「私はこれでいきます」と決めたところで、人間関係には必ず相手があることだから、加減が難しい。

に納得したりもするけど、自分を振り返ると相当にいい加減な感じもする。

そうやって淘汰されてきたもの、人間関係が山ほどあって、それとは違って
長続きするものもあったりするから、いい加減な人間でもやっていけるのかも。

もっとも、仕事をはじめとして、ほとんどのことについては、自分なりにそれなりに
やっているつもりなのでいい加減というほどでは無いのかもしれない。

ちょっと色々と考え事してて、気づいたら
寝不足になりそうな時間になっていて、
こんな時間に読んで、コメント書いていたりするから、多少ピンぼけなところもあるかも。

うまく伝わっていなかったら、失礼しました。
(伝わっていたなら、だらだらコメントですがお許しを)

今日は8時半から23時までの長時間勤務です
行ってきます。

投稿: syumei | 2011.09.19 02:50

syumeiさん、いらっしゃいませ。
・・8時半から23時まで勤務とな・・凄いですね。 集中力を切らさないようにする秘訣があれば、そのうちに御伝授ください。 私、ご飯を食べるとどうしても前後で繋がらなくなりがち。

相手との音信が途絶えている間は、それはそれだけの事実でしかないと思うのですが、問題はその後なのではないかと。 そのままもう一度連絡するのが億劫になって放っておかれれば、結果として切れたことになるでしょうし、それこそ何かのきっかけで連絡を取った時に相手もレスポンスしてくれたら、それは結果として切れていなかったことになりますね。 つまりは、その後の経過如何によって、現在の評価が決められない、未決定になっている状態なのだと思います。

ただ、普段から連絡を取っていれば、ハードルの低い話題もポンと振れますが、間が空いてしまうとちょっとやそっとのことでは話を振り辛い、そんな感覚も自覚します。 間が空いてから次の連絡を取る際のモチベーションも、また一種のマメさに含まれるのではないでしょうか。 滅多に無い様な必要連絡なのか、どうでも良い話なのか、例えば「みんなで会おう!」みたいな状況になった時に、誰まで誘うか・・そんな感じ。 その温度と普段の状況は、やはり相関していると思うわけです。

お互いが相手に求めているマメさ加減が一致していれば、それがお互いの心地良い距離となるでしょうね。 相手を信頼できなければ、沈黙してはいられないですし。 だから、一元的にどちらがどうというものではなくて、基本、お互いが納得していればそれで良いという話なのだと思います。

さて、例えば「世の中」と呼ばれるような大きな集団を考えてみると、どうも今のところ、どんどん加速度をつけて、マメさを求め合ってきているようにしか、私には見えなくて、ですね。 特に若い世代の方々中心に。 こちらから見たら、「そうやってやがて自分の首を絞めてみたりしながら、自分のマメさ度合いを探って決めてゆくのだろうな」という経過を見せてもらっているように感じますが、今ここでそれは違うとは言うのは、それこそ違うだろうし、生活している時間軸も違うので、余裕のある方が相手に合わせてつつ、さり気にコントロールするといった現状です。

「ついていく」のではなくて、結局は自分が決めるものだと思いますし、相手が決めたものを尊重したいとも思いますし、尊重できるだけの気持ちのゆとりを持っていたいと思いますね。

投稿: リーボー | 2011.09.19 11:17

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