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2011.10.18

謎の「龍角散男」に思う

いつの間にかすっかり過ごし易い季節になり、暑い夏に「涼しくなったら・・」と言い訳しながら着手せずにおいたいくつかの案件を、端から片付けている。 おけげでちょこちょこと移動が多い。 上京したらしたで、あれもこれもと欲張ってしまいがち。 本来の用件以外のことでも余計に移動して走り回ってくる有様で、暗くなってから戻るとぐったりで情けない状況だ。 友人の一人が言っていた「疲れは、時間じゃなくて、移動距離に比例する。」という定理を思い出しつつ苦笑する。 その度に違う路線を使ってみたり、広い意味でのタウン&マン・ウォッチングみたいなものも重ねて楽しんでいるので、それはそれで無意味ではないのだろうと言い訳しつつ。

昨日は某私鉄の急行電車に乗っていたのだが、隣に座っていた二十歳そこそこに見える若い華奢な男性が、龍角散の丸い銀色の容器を膝の上に載せて、通過するふた駅に一度位の頻度で、あの付属スプーンで黙々と粉末を口に運んでいたので、相当驚く。 ガン見する勇気は無くても、隣に座ってそんなことをされたら、見ない訳にはゆかない状況で困ってしまった。 何故に龍角散・・しかも、あんな食べ方じゃあっという間に一缶空になるだろう。 苦いだろうに、とか、毒にならないか、とか、どこか精神的に病んでいるのか、とか、落ち着かずに時間を過ごした。 自分の中の「周囲を気にしない勇気」を試されている気がして。

そうなのだ。 上京すると、周囲に起こることをいちいち気にしていたら心が持たないことを、毎回思い出さされる。 見えるもの、入ってくる情報に対して、しっかりフィルターをかけて選んでいかないと、大変なことになる。 どれもこれもに普段と同じように向き合っていたら、とてもじゃないが「身が持たない」ならぬ「心が持たない。」 それだけ多くの情報や活気や変化に富んだ動的な街だということなのだろう、きっと。 逆に言えば、普段の山間での生活が、如何に放って置いたら静的かの証明とも言えそうだ。

お土産に貰って大事に抱えて帰ってきたアップルパイを、午後のお茶にいただいた。 私の好物のひとつ。 今シーズンは初めてだ。 「街の味だな」と味わいながら、「こういう物が簡単に買えるお店が沢山あって良いな」、と、思いつつ、「でも、簡単に買いに行けたら、毎日でも食べちゃいそうだな」、「それはそれで毒だな」、などと、付随して余計なことも思う。 その環境下では、自分の欲求に対するフィルター効果も試されることになるんだろう。 東京で育ち、暮らしていた頃には何とも思わなかったのだが、今となって改めて突きつけられると、ちょっと自信が揺らぐ。

日常の慣れとか習慣というのは、怖いものだ。 私だって東京に居たら謎の「アップルパイ女」になっているのかも。 でも、ちゃんとフィルターが機能している人々は誰も私のことを気にしないで、「ヤバイもの見ちゃったな」と思いつつも、見て見ぬ振りをしてくれるんだろうな。

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コメント

(Lazy bonesさんにコメントをいただいたのですが、本記事には直接関連がありませんでしたので、管理者責任において非公開とさせていただきました。 ご了承ください。 ご来訪と書き込みをどうもありがとうございました。)

投稿: リーボー | 2011.10.19 20:13

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