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2011.11.26

アディクション

アップルパイを焼いた。 何から何まで自分好みにできるのが、何よりも嬉しい。 好物にはそうでないもの以上に拘りがあるので、「あーフィリングのリンゴがもっとたっぷり入っていたら良いのに」、とか、「もっと甘酸っぱくして欲しい」、とか、「レーズンやクルミは要らないんだけどな」、とか、「クラムはのっけないで、上もパイ生地にして欲しかった」などとブツブツ言っている暇があったら、自分で作ってしまった方が本当は話が早い。

私のアップルパイには一台にリンゴを4つ使う。 で、ぎっしり詰める。 上というか蓋になる部分には細く切った生地を縦横に網状にして、艶出しには卵黄でなく、鍋肌に残ったリンゴの煮汁を使う。 塗って焼き、乾いたらまた塗って・・と繰り返しやると、そこだけ単独でパリパリの甘酸っぱいパイ菓子のようになり、二度楽しめるのだ。

もちろんオヤツの為に焼いたのだけれど、朝、牛乳を飲もうと思って冷蔵庫を開けると、そこに昨日食べた残りのアップルパイが見える。 「そうだった、アップルパイ持ってたんだった!」、と、ニンマリする時には、もう、皿に手が伸びている。 朝からこんなもの食べちゃって良いのかな・・と、どことなく背徳的な気分を自覚しながらも、手は勝手に動いて包丁でザクッといつもより大き目の1ピース分を切り出してしまっている。 トースターで少し温めて、朝食アップルパイだ。 朝から幸せ。 今日最初に口にするものがアップルパイだというだけで、一日何もかも上手く行くような気分になる。 言い訳がましく、「別に朝食がアップルパイだって、菓子パンとかドーナツを食べていると思えば同じようなものじゃないか。 毎日のことじゃなし。 何も悪いことしている訳でもない。」と、思いながら。 そしてまた、オヤツの時間には新たな気分で同じアップルパイ、だ。 本当は昼食も夕食もアップルパイが続いたって、何にも困らない(いや、本心を言えば、かなり嬉しい)のだけれど、『ますたあ』の手前そういう訳にもいかないので、一応普通に食事を作って食べている。 一人暮らししていたら危ないな・・と、思う。 その上、もし、好みのアップルパイを売っているお店を見つけてしまったら、本当にヤバイな、と、怖くなる。

紅玉が手に入る時期が短くて、自分で作るのはそこそこ手間がかかって面倒臭くて、『ますたあ』という監視の目がある位で、ちょうど良いのだ、きっと。 アップルパイと私の関係は、多分ちょっと危ない。 少なくなった残り、味わって食べよう。

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2011.11.23

牡蠣は酒炒りに

震災の影響もあったのか、今年は牡蠣が品薄だったり値段も高かったりで、あまり食卓に上がる機会も多くなく、残念だったのだけれど、ようやくちゃんと手が届く感じに落ち着いてきた。 私は牡蠣に当たった経験が無いから、何の躊躇も無く「わーい!牡蠣、牡蠣!!」だ。 やっぱり牡蠣をしっかり食べないと、冬の寒さで損したような気がする。

和食でも中華でも洋食でも無難にこなす素材だが、やはり鮮度が問題なので、質の良い牡蠣が手に入った時には、ささっと「酒炒り」にしておく。 作り方は簡単。 ご自分のやり方で良いから(大根おろしを使ったり、片栗粉を使ったり、流水で振り洗いするなど、いつものやり方で結構です。)、まず、牡蠣を洗ってザルで水切りする。 鍋やフライパンに日本酒をちょっと多めに入れて(牡蠣10粒に30ccくらい?? いつも適当にどぼどぼ使っちゃってますが、牡蠣がヒタヒタになるのは入れ過ぎです。 なんとなく牡蠣にまとわり付いてるような程度で充分かと。)、牡蠣を入れて平らにならし中火にかける。 そのまま動かさず、日本酒が沸騰した後しばらくして牡蠣がプリッとしてきたら、菜箸でひっくり返して更に加熱。 牡蠣に均一に火が通る程度にたまに鍋をゆすりながら、日本酒が蒸発してほとんどなくなるまでそのまま加熱。 後は冷まして冷蔵庫で保存するだけ。

牡蠣からも水分が出てくるので、鍋肌にくっついてしまうような事は無いから、安心して煮えるのを見ていれば良く、逆にいじりすぎると身が壊れるので注意する。

お刺身のようにわさび醤油で食べたり、ポン酢にも合うし、酢味噌で「ぬた」にしたり、もちろん生牡蠣と同様に料理の素材として使うこともできる。 私の経験だと、清潔に扱えば冷蔵庫で4~5日は楽勝で日持ちする。

年配の方が風邪を引いたりして体調を崩した時に、「一粒ずつ食べるだけでも、何かがずいぶん違って元気になる」と、差し上げた方に何度か言われた経験がある。 グリコーゲンのおかげなのか? 亜鉛が効くのか?? 年配じゃなくても、疲れた時に良いのかも知れない。 食事の作り手としても、下ごしらえの済んでいる素材はやっぱり便利だし。

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2011.11.13

山クラゲの冬支度か

毎年恒例の落ち葉の時期となり、連日竹箒を抱えてわさわさと掃きまくっている。 玄関先のルーテシア嬢(ウチの愛車)の上にも、「散らばる」と呼ぶにはちょっと難があるくらいの落ち葉が毎日張り付いていて、取っても取っても翌朝には元通り。 とは言え、本当に放っておけばそれなりの量に膨れ上がってゆく訳で、内心は「もーう!!」だが仕方なく付き合う。 本当は屋根のある車庫でも用意してあげるべき所を端折ってしまっているのはこちらなのだから、まあ仕方が無い。 せめてもの罪滅ぼし。

先日、物のついでで、そう遠くない所にある農業高校の文化祭を覗いてきた。 物販が相当人気な様で、長蛇の列ができていて驚く。 模擬店の他、牛乳やジャム・クッキーなどの加工品、花の苗や野菜、果物などなど。 学生さんよりもPTAの方々の気合が上回っていたような気がしなくもないが。 展示や体験などをやっている校舎内は人も多くなく、お店の集まる中庭ばかりが長蛇の列でアンバランスな印象。 物販強し!という感じだった。

日々の実習や学習の中で学んだことや、実験したことなどが手描きの模造紙で展示発表されていたのを、興味深く読む。 なさっていることや選んでいるテーマは、なかなか面白い目の付け所なのでは、と、感心させられたものもあったが、それに対して「結果」と「評価」が弱くて残念だった。 「考察」の仕方とか、文献の使い方とまでは言わないけれど、せめて情報の集め方や過去の情報との比較の仕方、ごく簡単で良いから統計学的手法を使ってのまとめ等、ちょっと手を加えてまとめ直したら、そこそこの研究っぽく仕上げることも出来ていたのではないだろうか。

・・と、現場にいない者は何とでも言えるわな・・。 失礼しました。

テーマの選び方もさることながら、やっぱり大事なのは「考察」と「まとめ」、広い意味での「評価」だと、つくづく思う。 日々の暮らしの中の一見なんでもない事でも、そこから何を学び明日にどう活かすかの積み重ね次第で、人生は変わってしまうのだ、きっと。

あー、何だかため息が出る・・。 複雑な気持ち。

今、山の麓の集落の方からいただいたシイタケを、縁台に広げて干している。 その上には軒先に渋柿がぶら下げられていて、干し柿を作成中。 この二人の役者が揃っただけで、急に景色が田舎っぽくなり、苦笑してしまった。 秋の晴れ間を有効に活かして冬の準備をするのは当然のことなのだけれど、たまに自分が何時の時代に暮らしているのか判らなくなるような、変な感覚に襲われてしまう。 この辺りの方々と接していると、生活や価値観が「現在」からちょっとワープしているような妙なずれを自覚することがあって、時折混乱する。 ウェブなどで暮している場所以外の友人や知人、それに「情報」と繋がることは、そのずれを修正する大事な機会だったりもするのだ。 時間のずれの間に、ゆらゆらと自分は生活している。 クラゲみたいに。

信じられない「ぐうたら」において、まだちゃんと冬物を手元に出していない。 厚手のトレーナーやパーカーなどで凌いできたものの、さすがに寒さが厳しくなってきたから、ちゃんとやらなくては。 温かさと寒さの間でゆらゆらとなんとなく済ませてしまってきたクラゲも、そろそろ冬支度。

そうだな、どことなくクラゲっぽいな、自分。 ゆらゆらしているし、柔らかくて水っぽくて、その上、顔丸いし・・。 

  

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