アディクション
アップルパイを焼いた。 何から何まで自分好みにできるのが、何よりも嬉しい。 好物にはそうでないもの以上に拘りがあるので、「あーフィリングのリンゴがもっとたっぷり入っていたら良いのに」、とか、「もっと甘酸っぱくして欲しい」、とか、「レーズンやクルミは要らないんだけどな」、とか、「クラムはのっけないで、上もパイ生地にして欲しかった」などとブツブツ言っている暇があったら、自分で作ってしまった方が本当は話が早い。
私のアップルパイには一台にリンゴを4つ使う。 で、ぎっしり詰める。 上というか蓋になる部分には細く切った生地を縦横に網状にして、艶出しには卵黄でなく、鍋肌に残ったリンゴの煮汁を使う。 塗って焼き、乾いたらまた塗って・・と繰り返しやると、そこだけ単独でパリパリの甘酸っぱいパイ菓子のようになり、二度楽しめるのだ。
もちろんオヤツの為に焼いたのだけれど、朝、牛乳を飲もうと思って冷蔵庫を開けると、そこに昨日食べた残りのアップルパイが見える。 「そうだった、アップルパイ持ってたんだった!」、と、ニンマリする時には、もう、皿に手が伸びている。 朝からこんなもの食べちゃって良いのかな・・と、どことなく背徳的な気分を自覚しながらも、手は勝手に動いて包丁でザクッといつもより大き目の1ピース分を切り出してしまっている。 トースターで少し温めて、朝食アップルパイだ。 朝から幸せ。 今日最初に口にするものがアップルパイだというだけで、一日何もかも上手く行くような気分になる。 言い訳がましく、「別に朝食がアップルパイだって、菓子パンとかドーナツを食べていると思えば同じようなものじゃないか。 毎日のことじゃなし。 何も悪いことしている訳でもない。」と、思いながら。 そしてまた、オヤツの時間には新たな気分で同じアップルパイ、だ。 本当は昼食も夕食もアップルパイが続いたって、何にも困らない(いや、本心を言えば、かなり嬉しい)のだけれど、『ますたあ』の手前そういう訳にもいかないので、一応普通に食事を作って食べている。 一人暮らししていたら危ないな・・と、思う。 その上、もし、好みのアップルパイを売っているお店を見つけてしまったら、本当にヤバイな、と、怖くなる。
紅玉が手に入る時期が短くて、自分で作るのはそこそこ手間がかかって面倒臭くて、『ますたあ』という監視の目がある位で、ちょうど良いのだ、きっと。 アップルパイと私の関係は、多分ちょっと危ない。 少なくなった残り、味わって食べよう。
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