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2012.02.14

妙な当事者意識

震災をきっかけにしてずっと持続的に考えてはいるのだが、どうもどこから手をつけてよいものか、未だに困っていることがある。

東京電力にも、政府にも(国にも)、マスメディアにも、たくさん思うところはある。 その多くは文句とか苦情とかクレームで、要するに私にとっては「気に入らないこと」だ。 頭にきたり、呆れたり、怒ったりさせられたことである。

それらを書いたり発信したりする自由は、当然私にもあると思っているのだが、その次にはかならず「じゃあ、あなたはどうだったの?」という問いが待ち伏せているように思えて、今のところその自由を謳歌できていない。

原子力発電所で放射能漏れの重大な事故が起きている、そのことに文句をつければ、「あなただってその電気の恩恵を受けて、ぬくぬくと好き勝手に快適な生活をしてきたじゃないの!」、と、なる。 国や政治に文句をつければ、「その政党や議員さんたちを選んだのは、選挙で投票したあなたでしょ。」、だし、マスメディアに文句をつけたら、「誰だって自分の番組のコマーシャルを買ってくれているスポンサーの悪口は言えないでしょ。 そんなの当たり前じゃないの。」、だろう。

世の中の全ての物事は、辿ってゆけば必ず繋がっていて、間接的には自分も当事者なのだ。 かと言って、自分にはその組織を直接仕切ることもできなければ、何かの決定権を持っているわけでもなく、とてもあやふやな存在であることは確かなのだが。

現状の問題点に対して対策を考えようとしたり、自分の考えを確立しようとする際に、この妙な当事者意識は非常に邪魔であるばかりでなく、思考を停止させようとする。 どこかに繋がっているということは、全ての人や組織が背景として何かのしがらみを持っているということにもなり、全ては影響を受けたり操作されたものということになる。 そういうことで、合っているのか? 残るはパワーバランスだけで物事は決まってきて、これからもそのようになってゆくのか?

自分を縛っている妙な当事者意識の呪縛から、どうやって自分を解放するか、今の私の課題だ。

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