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2013.02.26

阪急そばを初体験

持続的に「東京っぽい蕎麦」を探していて、ウェブ某所の書き込みに「『阪急そば』は(味が)東京寄り」というのを見つけたので、過日、散策のついでに『ますたあ』と入ってみた。

阪急そばとは、阪急線の駅にある駅蕎麦のことで、小田急の「箱根そば」とか、「あじさい」等とほぼ同様の感じだ。 駅蕎麦に女性一人だと私は少々抵抗があるが、実際に足を踏み入れれば、女性一人客も複数見かけられて、案外そういう使い方もされているのかも知れない。

ほとんどのメニューで蕎麦とうどんが選べるようだった。 券売機の表示は「うどん・そば」と、うどん表記が先の、うどん優先表示になっていて、「やっぱりなぁ」と思わず笑う。(東京だと「そば・うどん」なんですよ。) とりあえず、初体験なのでオーソドックスな天ぷらそばを注文してみた。

確かにつゆはちょっと色が濃い目で、それなりにカツオの風味も。 肝心の蕎麦は不思議な感じで、蕎麦の色をしているのに、味と香りだけ見たら「蕎麦の顔をした細~いうどん」だ。 そして、かき揚げ風のてんぷらには、桜海老ではなくて細く切ったソフトなスルメが入れられていた。 駅蕎麦でも、やはり充分に関西風なのが面白かった。

雪のちらつく寒い日に、ほっこりあったまって300円也。 安い! ご馳走様でした。

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2013.02.22

薄皮を剥ぐように

そろそろ少しずつお仕事の話も書けるかな、どうかな?、みたいな感覚が、自分でも妙だ。 この歳になって、初めての関西に引越しして、毛色の違う仕事に就き、どうにかこうにか半年が過ぎた。 じたばたとしている間は『無駄な消耗』が多いから、家に帰ってきても、ご飯を作って食べて、お風呂に入るのが精一杯で、あっという間に眠くなってしまい、新聞も読めないような状況が続いていた。 ほんの少しずつではあるが、ようやく薄皮を剥ぐように、自分らしくいられる時間が作れるようになってきたところ。 歳をとると適応能力が落ちるのか、慣れるのに時間がかかって情けなくなるが、まあこれが今の実力なんだろう、と、諦めの気持ちで、やれやれと溜息が出る。

ブログにも「何を書いたらいいのか判らない」ような状況が続いて、もう更新できないんじゃないかと、自分で危惧していた。 こちらも少しずつ、少しずつ、と、いった感じで。

職場ではピアスが禁止されている。 暫く外したまま放っておいたら、穴が塞がりそうになってしまったのに気付き、慌てて夜の間だけ付けることにした。 情け無いことに、ピアスを付け外しする、そんなことすらできない状況だったのだ。(いや、本当に、このまんま呆けてしまうんじゃないかと自分が心配になるような状況で。 トイレは流し忘れるは、電気はつけっぱなしにするは・・で、『ますたあ』にずいぶん怒られたりして。) おかげでここ最近では、ピアスを付けると、条件反射のように、家に帰ってきたんだな、自分のための時間なんだな、と、思えるようになってきた。 一種のトリガーみたいなものか。

これだけ客観視できるようになってきたら、多分大丈夫。 答えの無い仕事なので、ストレスフルな職場であることは確かだが、嫌ではないし、おかげさまで私に求められている役割もある。 ・・それが社会にとって本当に必要なのかと問われると、そうでもないのかも知れないので、答えに困窮してしまうのだが。 この困窮している感じそのものが、今の私の仕事の象徴なのだろうと思う。 その内に、ちょっとずつ書けるようになるといいな。

久しぶりに晩酌を休んで、休肝日のシラフの夜8時。 日曜日の午後は仕事だが、明日の土曜日はお休みなので、晩酌に頼らなくてもリラックスできるのが嬉しい。 逆にこんな夜は、お風呂上りにビールを楽しむべきなのかも。 と、酒飲みの言い訳。

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2013.02.16

カマスゴ

ふと立ち寄ったお店の鮮魚コーナーで、今まで見たことの無い魚に出会った。 「かますご」と書いてある。 白魚を縦横3倍に拡大したような、7~8センチの体長、幅1センチ弱のひょろっとした魚で、茹で、または蒸してあるように見える。

「かますご」なんて初めて聞いたし、どうやって食べるのか見当も付かないので、手に取ったまま躊躇してしまった。 「知ってる?」 「ううん、知らない。」 ・・・ 「まあ魚なんだから、何とかなるでしょ。」という、『ますたあ』の声に押されて買ってみた。

インターネットで調べてみると、イカナゴの成魚ということだが、私の知っているイカナゴとは体表の模様も違えば、色も全然違って、どうもイメージが結びつかない。 目の前のカマスゴは薄い緑色をしていて、イカナゴのシンボル的な側線に沿った青いラインも見えない。 本当に、あのイカナゴの親??  生物は不思議だ。

そのままポン酢で食べるのが一般的なようだ。 ただ、既に加熱してあるものだったから少し気になって、フライパンにごま油を薄く引き、手早く火を通してから、仕上げにポン酢を絡めて皿に移して、青ネギのみじん切りを散らしてみた。

想像したような臭みも無く、上品な白身魚の味。 骨も気にならない。 美味しいじゃないの! これならいろいろな料理に使えそうだ。 オリーブオイルとニンニクで炒めたり、柳川鍋風に出汁醤油でさっと煮て卵とじにしても美味しそう。 キャベツと一緒にパスタも良いかも知れない。 なんだか楽しみになってきた。

近畿圏の方々にとっては、このカマスゴが春を呼ぶ食材のようで、季節物として大事にされているらしい。 一方で魚醤の材料になったり、肥料として畑に蒔かれたり、京都では『下魚』とされていたりもしたらしく、昔は余るほどたくさん取れたのかもしれないな、と、思いを馳せて楽しんだ。

何はともあれ、知らない食材に出会って、それがまた美味しかったりすれば、嬉しさもひとしおだ。 またその内に買ってこよう、と、目論んでいる。 次はどうやっていただこうかな。

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2013.02.02

捉え方

久しぶりに「おでん」を炊いた。 理由は単純。 「ちくわぶ」を見つけたから、だ。 以前にも書いたが、大阪で暮らし始めてから、やはり「ちくわぶ」が売られている所には、なかなかお目にかかれない。

別に関東圏で生活している時でさえ、「ちくわぶ」なんて、そんなに意識していなかった具材なのだけれど、手に入らないことが判ると急に手に入れたくなる、この不思議さ。 ・・無い物ねだりの他の何物でもない。

でも、やっと手に入れて食べたら、一仕事終えて肩の荷が下りたような気分になる。 それが美味しいとか不味いとかの問題ではなく、もう、食べたことだけで満足しているような状態。 いったい何なんだか。 ちょっと自分に呆れ気味だ。

まぁ、私の食い意地が張っているせいもあって、食べ物の面から大阪の暮らしを考えてみると、根本の違いは「出汁」との付き合い方なんだと学習した。 東京の出汁が味重視なのに対して、こちらの出汁は香り重視だ。 で、それぞれに見合うような味付けの差が、そこに乗っかっている印象である。 旨みの濃さだけを比べれば、東京の方がはるかに濃い。 でも、ふたを開けた瞬間のふわ~っとした香りは、「えっ?!」と、たじろぐ程に素晴らしい。

それを「香りの程には旨みが無い」などと表現してしまっては、元も子もなくなるので、「後味や引き際がきれい」というくらいに表現しておくのが無難だと思う。 どちらがどう、とは、単に好みの問題になるし、育ってきた環境が違えば、味覚の要素に対する優先順位も、当然違う筈だ。

とりあえず、最近の課題は「美味しい蕎麦屋さんを見つけ出すこと」だ。 やっぱりこちらは「うどん文化圏」で、件の香り高い出汁を適当に含んで、ふっくらとしたうどんは美味しい。  お蕎麦を、味も出汁も濃いつゆに、ちょこっと浸して啜る・・これは、こちらでメジャーな麺つゆでは難しいだろうというのは、容易に想像される。 あのつゆでは、お蕎麦には合わない!

でもねぇ、無いものねだりで、やっぱり食べたくなるんですよ、関東風のお蕎麦。 だから、お店を見つけておかないとな、と、なる。 わがままとも言えるし、変化に適応しきれなくなった中年の哀しみとも言えるし、食への拘りとも言えるし。 とほほ・・まっ、良いか。

当然ながら、私の炊くおでんは関東炊きだ。 兄からもらった美味しい日本酒と合わせて、週末の夜をリラックスして過ごす。 何よりの贅沢かもしれない。

てな感じで、それなりに元気にやっておりますです。
 

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