2010.02.05

本でフード・ジャーニー

図書館の新着案内を見てタイトルに惹かれ予約を入れたのだったが、引き取りに行って想定外の大きさと重さに驚かされた。 まるで画集のようだ。 いや、画集で正しいと言えるかも知れない。

ナショナル・ジオグラフィック社がまとめた「世界の食を愉しむ Best500」は、食べることや料理が好きな人には文句無しの楽しさだと思う。 ありとあらゆる国の食材・料理・市場・酒・レストランが次々と紹介されている。 社が元々写真の質の高さに定評を持つことを随分昔に片岡義男氏のエッセイで読んで以来、社の写真を目にする度にいつも思い出すことではあったが、その力が何の惜しげもなく集約されている。 色鮮やかな食材や料理は当たり前のものとして、畑や海や建物といった光景や、そこで働く人々の表情に至るまで、これでもかという迫力だ。

食の背景には必ずそこの人々の営みがあり、文化があり、日々の生活がある。 現地の食べ物を通じて垣間見える人々の暮らしに思いを馳せるのも、また楽しい。 旅行者の目線で、訪れるに相応しいシーズンや、ちょっとしたアドバイスが織り込まれているのもオツである。

全く疲れないから、外出がままならない方や長期療養が必要な方へのプレゼントにしても、きっと喜ばれると思う。 私も、「これは借りてくる本ではなくて、手元に置いて思い出した時にぱらぱらめくりたい本だな」、と、思った。 が、私には高価なので躊躇する。 定価の7429円は正直ちょっとシンドイな。

●「一生に一度だけの旅 世界の食を愉しむ Best500 (FOOD JOURNEYS of a LIFETIME)」 日経ナショナルジオグラフィック社 2009年初版

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2009.12.13

山の頂は遠く

2か月ほど前、感覚とは何なのか?という壁にぶち当たり、哲学から始まり参考になりそうな本を片っ端から読んできた。 科学的なものから、ともすると怪しげなものまで、あらゆる分野に渡って非常に興味深かったのは間違いないが、肝心な「そもそも『感覚』とは何なのか?」という問いについては、人間はまだ「それが解れば誰も苦労していませんよ!」という状況下にあるようだ。

哲学、宗教学、脳科学、神経生理学、量子力学、そして、トランスパーソナル心理学、生物学等々、様々な分野の最先端の研究者たちが、それぞれの分野で乗り越えなくてはならない課題に直面して、それぞれのアプローチを始めた。 共通しているのは、「どうやらこの課題は、かなり本質的なものに関わっているようだ」という予感のようなもの。

・・ここで、高い山に登る様子をちょっと想像していただきたい。 研究者たちが抱えた課題が登山だとする。 山の山麓には何か所もの登山口が存在している。 お互いのことを知らずに、それぞれが別の場所から登り始めた。 ところが、進むにつれて霧が立ち込めて自分達がどこまで進んでいるのかが分からなくなってきたので、学会発表という形で「とりあえずこんなことやって、ここまで来ました」という『のろし』を上げる。 すると、どこか知らない遠くの方からも複数の『のろし』が上がっているのが見えた。 調べてみたら、全然違う登山道を登ってきた別のパーティーで、しかも、扱っている学問も点々バラバラなのに、目指している頂上はどうやら同じ、もしくは深く関連していることが分かった。 ・・と、そんな状況のようだ。

人間とは何か、死とは何か、死んでからの先はどうなっているのか、人間の脳は何をやっているのか、心とは何か、魂はあるのか、人間の進化とはなにか、人間はどこへ向かおうとしているのか、宇宙の構造とは、宇宙と人間の関係はどうなっているのか。 その中に「感覚とは何か?」もすっぽり包まれてしまっている。 総合的に英知を集約する必要があることが、ようやく分かってきた段階らしい。 私が本を読んだくらいで解決できるレベルのものでは到底ないのだ。 なんだかとんでもない所に足を突っ込んでしまって、やはりズブズブの状態だったということになる。 人間は多くのことを分かっているようで、実は人間のことを何ひとつ分かっていなかったような、「一周回って同じ所に戻ってきてしまった」ような、妙な気持ち。

死だの魂だの心だのと言うと、どうしてもオカルト的な要素が含まれてしまいがちだが、それをオカルトの分野に納めずに、なんとか科学的に考え直してみようという姿勢が救いのようにも見える。 人間はなかなか面白い所に進もうとしているように思えて心強い。

さて、個人的に次はトランスパーソナル心理学をちょっとばかり齧ってみたいところだ。

●「心と脳の正体に迫る~成長・進化する意識、偏在する知性~」 天外伺朗・瀬名秀明著 PHP研究所 2005年初版

(↑天外さんは本名土井利忠さん。 ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所所長で、AIBOの開発責任者を務めた方。 瀬名さんは「パラサイト・イヴ」を書いた作家。 この本は二人の対談を中心に展開している。)

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2009.10.31

別の意味でズブズブ

「感覚とは何か」について、別のアプローチの方法を模索した揚句、哲学に頭を突っ込んでみた話は過日に触れた。 と、言ったところでこっちは丸っきりのド素人。(「ソフィーの世界」がベストセラーになった時、「これは違うぞ!上手く言えないけど・・」という感じでそっぽを向いたっきりだ。) はなから偉人達の文章を読んで付いて行ける筈もないだろうと踏み、自ら異端であることを明言し、また、「純粋な本質は、普通の日本語で表現できる筈」をモットーに、近年に昇天した池田晶子氏の本に手を伸ばした。

正直なところ、最初の本では頭を抱えた。 書かれている日本語は確かに普通なのに、ちんぷんかんぷんなのである。 読んでいるのにページが進まないのは、ずいぶん久し振りだった。 途中で投げ出そうか、と、いう気持ちを思い留まらせたのは、考えの過程はちっとも伝わらないのに、氏の導いている結論が、私の経験則からのそれとかなり近いという確信で、似た者同士が喧嘩しているような状況を肌で感じていたからだった。 もうちょっとだけ我慢して読んでみるか・・そんな感じ。 この本が感覚的に他の何と似ているかと問われたら、物理や数学、宇宙飛行士の文章、その辺と同じ匂いを嗅ぎ取った。 案の定、2冊目の中ほどくらいで、何がきっかけか判らないが、回路がズバッと繋がったようで、そこからは「ああ、なんだ、これか。」、と、急に面白くなってすいすい進んだ。

今まで自分で考えてきて、それでも人に説明しようとすると理解してもらえなかった部分が、普段使いの日本語でちゃんと書かれている。 私はずっと「こんな考え方をしているのは、自分がかなり変わり者なのだ」という自覚を持っていて、ある所から、それを他の人に伝えることを諦めることで、一般人の顔をし続けてきたのだったが、「あっ、他にもこんな人が居る(た)んだ!」と知って、心底安心するような嬉しい感覚に襲われたのだった。

多分、氏と私の大きな違いは、氏は「言葉」に絶対の価値と信頼を見出しているが、私は「言葉」については少々懐疑的で、「現象」が先に来ている点だと思う。 この現象を理解する為にはどうしたら良いかを探っている。 「言葉」によれば、私に起きている現象は、「錯覚以外の何物でもない」と一刀両断だ。 だとすれば、私は今すぐ精神科に受診しなくてはならないだろう。 が、現象は私の現実であり、少ないものの、同じような人も世の中には居ることもどうやら現実だ。

私は言葉に対する能力が氏ほど高くは無いので、自分のやり方で探ってゆくしかない。 でも、入り口はどこであれ、デスティネーションつまり行き着くべき所は、同じ場所ではないかとも、楽観的に思っている。 氏は「あんたなんかに言われたくない!」とあちらで一蹴するだろう。

・・で、「感覚」の話は何処へ行った?? まさに「考えることに終わりなく」か・・。

●「知ることより考えること」 池田晶子著 新潮社 初版2006年

●「人間自身 考えることに終わりなく」 池田晶子著 新潮社 初版2007年

●「私とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子著 新潮社 初版2009年

●「魂とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子著 新潮社 初版2009年

●「死とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子著 新潮社 初版2009年

 

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2009.10.06

今からできること

Dr.パトリシア・ウィーノルセンという方の書いた「死のバイブル」という本を読む。 死を専門とする心理学博士だそうで、カリフォルニア大学やシカゴ大学等で教鞭をとりつつ、何千人もの(!)死に瀕した患者や遺族にカウンセリングを行い、セミナーやワークショップを展開しているそうだ。

今やある程度大人になった人の死因の一番は癌という時代だ。 癌でなくてもじわじわと病状が進み、治療法が確立されていない病気もたくさんある。 当然不治の病を宣告されてから実際に昇天するまでには、幸か不幸かそこそこの時間を用意されているケースも多い。 そんな患者やその家族が、目の前に突き付けられた死とどう付き合って折り合いをつけてゆくか、その方法のヒントを具体的に示している。 死というテーマの独自性に加えて少々翻訳の問題も加味されたか、正直、判りずらくて読み難い本ではあったものの、興味深い内容ではあった。 特徴的だったのが、本文中に何度も出てきた「あなたの人生」とか「あなたの痛み」「あなたの望み」「あなたの毎日」といった表現だったように思う。

身体的な症状も、心の動きも、日々の生活も、今までの経験も、記憶も、それらすべてを総合した人生そのものも、所有しているのは結局本人だけであり、どんなに親しくても、主治医でも、家族や友人でも、共有することはできないのだ、という大きな前提が本の中には流れていた。 同情してくれても、共感してくれても、それは本人が抱いているものと全く同じではないのだ、という姿勢。 そこをまず十分認識し、その上で、いかに相手に伝え、分かちあい、助けてもらい、また、相手の役に立つかを考えるべきであるという、イーブンの関係が著者の書くところの理想形なのだと思われた。

これは憶測にすぎないが、日本人の多くはこの感覚が捉えにくいのではないだろうか。 私が垣間見ている日本の社会においては、多かれ少なかれ「共依存状態」が善とされ、それを求める傾向が強いように感じているからだ。 自分の子供の人生を所有しているのは自分だと勘違いしている親、その挙句に子供が思うようにならないと悩んでいる人。 もう治療のことは医者に全て任せるという人、そして、その過程を本人に説明しようともしないで家族に決断を迫る医療従事者・・未だにそんなことが日常茶飯事のように私の周囲に起きている。

でも、結局、「自分がどんな人生を送り、人生にどれだけ満足したか」を決めるのは、一時的な判断によるものではなくて、何十年もかけて積み重ねてきた自分の日常による結果でしかないのであり、故に「今日一日をどう生きる(た)か」が問題で、その為には自分の心構えとか日常生活に対する意識、大事にするべき事柄、気持ちの持ちよう、そういった「本人次第」の内容が大きく作用することを思えば、つまり、「その人の人生は、その人次第」というシンプルな結果に落ち着く。 イコール「その人の人生は、その人が決めた、その人のものであり、どんなに親しくても自分のそれとは違うのだ」、ということになる。

人は生まれた瞬間から、例外無く死に向かって生きなければならない存在であることは、誰でも知っていることの筈。 つまり、今幸いに、死を他者や主治医からわざわざ突き付けられなくても、普段から意識することによって「その人らしい満足した毎日」を過ごすことになり、結果としてその集大成が「その人らしい人生」となるのである。

自分の人生と親しい他者の人生をちゃんと切り離して考えることは、親しい相手を「かけがえのない一個人として尊重する」ことに繋がるのではないだろうか。

●「死のバイブル 豊かな死をむかえるための27章」 パトリシア・ウィーノルセン著 寿美子コパレック訳 原書房 初版1997年   

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2009.09.25

レオ・レオニさんの絵本

「TICO and the Golden Wings」 という絵本を、英語の原文で読む。

作者はレオ・レオニ。 日本でも有名な「スイミー」を、子供の頃に読んだ方も多いのではないだろうか。 オランダで生まれ、イタリアで絵を学び、その後はアメリカで活躍した絵本作家であり、イラストレーターでもあり、グラフィック・デザイナーとしても有名、と、プロフィールには書いてある。 惜しまれつつ1999年に89歳で昇天。

「スイミー」は同じ種類なのに、本来の赤い色ではなく、真黒に生まれてしまった小さな魚が、色によって仲間外れにされる寂しさと疎外感に苛まれながらも、やがて自分にしかできない役割を見つけ出し、仲間に迎えられるというストーリーだった。

そして、この本の「TICO」も、羽が無い状態で生まれてきた鳥で、神の使いによって黄金の羽根を得るが、それによって今まで親しくしてくれていた仲間が嫉妬を抱き、仲間外れにされる。 強靭な羽によって外国に飛んだTICOは、多分インドと思われる国へ行き、そこで出会った貧しい人々に、自分の黄金製の羽根を一枚ずつ抜き渡して助けてゆく。 すると、抜いた後に生えてくる羽は、仲間と同じような真黒な羽で、全ての黄金の羽根を使い終えたTICOは、仲間たちと同じ外見となり、それで結果として再び仲間達に受け入れられるというストーリーだ。

最後にTICOは、外見上同じになることで仲間として受け入れられた喜びに咽びながらも、「みんなそれぞれ経験していることが違うんだから、みんなそれぞれに違うんだ」ということを、一人(一羽)だけ悟っている。

レオ・レオニ氏が生まれた国を離れた事情も分からないし、行った先々で人種的な差別を受けたのかどうかも分からないが、彼の作品の中にテーマとして横たわる「different」は重くて切ない。 そのdifferentが優れたものであるほど、相手は嫉妬を覚え打ち解けてくれないものだという、人間の哀しい習性をも描き出す。

ディテイルまで丁寧に書き込まれ、それでいて余計なものを省いたシンプルな絵の美しさと、大人だからこそ分かるテーマの深さのギャップが、とても印象深い。 全編において同一に描かれている主人公のTICOの円らな瞳に、なんだか泣けてきた。

英語自体は決して難しいものでなく、多分中学生でも読みこなすことができると思う。 でも、これを日本語に訳すとしたら、シンプルなだけに余計に難しいような、そんな気がした。 実は大人向きの絵本なのかもしれない。

 ● 「TICO and the Golden Wings」 Leo Lionni    Alfled A. Knopf社 

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2009.04.18

ふともも

このところ「日本語の神」(←抽象的な例えなので『そんなの居るのか?』などと突っ込まないでください。 えっと、ですね、書きたいことが文章になってがんがん浮かび上がってくるようなピリオドもあれば、考えや伝えたいことはあっても文章や表現に不自由な自覚のピリオドもあるわけで、その辺の感覚の違いを完全に自分の責任から押しのけちゃっている、いうなれば他力本願の極み的な例えです。)が、自分から遠ざかっているので、読書にしてもあまり難しい本は読む気になれず、軽い印象のエッセイや旅行記に手を伸ばしている。 いつどこで読むのを中断しても、急に続きを読み始めてもあまり困らないのが何よりだし、センテンスも短いことが多いので、「寝る前にちょっとだけ」にも都合がいい。

その中の一つが、山田詠美著「アンコ椿は熱血ポンちゃん」。 「小説新潮」に連載されているエッセイをまとめて本にしたシリーズの最新版。 相変わらず山田詠美節が炸裂で、ある意味において安心して笑って読める内容だ。 自分の心が低レベルな時、山田詠美さんの「熱血ポンちゃんシリーズ」を読んでいると、勢いで一緒に持ち上げてもらえるような気分になって気持ちがいい。 のだが、今回特筆すべきは、その表紙というか装画である。 山田詠美さんがモデルの似顔絵というか、酒のボトルの上に座っている全身像なのだが、これが非常に良い!! 単に似ているとかそうでないとかのレベルを超えて、山田詠美さんの人となりのようなものまで見事に描き出してある。 一種の感慨のようなものを覚えて頁をめくると、描いたのはあの吾妻ひでおさんだった。 言われてみれば、描かれた山田さんのファッションアイテムや手にしているグラスの中等、いたる所に謎の生物がたくさん居て、いかにも吾妻さんらしくも見える。

吾妻さんご自身も、路上生活者になったりアルコールに依存したり、なかなか濃い人生を歩まれておいでのようだが、たかが絵一枚に、被写体の全てを移し込んでしまうかのようなその力に、思わず唸ってしまうほどだった。 これは単なる漫画手法を使った絵や装画ではなく、ポートレイトだ、と、思った。

吾妻さんのHPに行ってみたら、その原画がアップされていたので、リンクを張っておく。 『ひでお日記』の3ページ目にあります。(トップページではないので、リンク先が変わってしまったら、お許しを。)

個人的に何よりもインパクトを感じたのは、他でもない「組まれた足の下側になっている彼女の右足のふともものライン」だった。 どういう訳かは自分でも分からないのだが、このラインは男性でなければ描けないような気がして。

●「アンコ椿は熱血ポンちゃん」 山田詠美著 新潮社 初版2009年3月 1300円

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2009.02.09

ボーっとしつつも「14歳からの社会学」

このところ俄かに「どこそこに旅行に行くけど一緒にどう?」とか、「ランチ会をやろうと思うけど・・」とか、「近くまで行くので、ついでに会えない?」といった連絡が続き、周囲がもぞもぞ動きだしている。 春なんだな、と、思う。 特にちょっとお歳のいった方々は、何かと言えば「暖かくなったらね」を合言葉のようにしていたから、春が待ち切れないみたいだ。

私の所にも風物詩と化している花粉症がちゃんとやって来て、春の訪れを教えてくれた。 これから当分は「ぐっすんな日々」が続く。 そろそろ髪も切りたいし、お雛様も出してあげなくては、などと、気持ちだけは焦っているのに、体が付いてこないようなアンバランスな感覚・・これも私にとっては立派な春らしさの一つだ。 ぼんやりしているのは花粉症のせいだけではないような気がする。 なんと言っても「リーボーのボーはぼーっとしているのボー」なので。 事故がないようにだけ、気をつけないと、な。

良く売れているらしい「14歳からの社会学」を読んだ。 易しい言葉で、難しい内容が書いてある。 これでも一応は学生時代に社会学の単位を取った筈なのだが、「そうか、社会学ってこういうことをやっている学問だったのか!」、と、ある意味において目から鱗。 情け無や。 昨年、このブログにアップした『論点が違うのではないか』という記事内容なんて、社会学の考え方を以てすれば簡単に説明できてしまうのであった。 混沌とした時代だからこそ、社会学の「ものの捉え方」は色々なことを説明できそうだ。 14歳には難しい本だとは思うが、今は理解できなくても「ああ、そう言えばあんなことを書いていた本があったような・・」と、大人になる過程でいつか必ず思い出す時が来るような、そんな本。 大人の私が読むと、「こういうことを前もって言ってくれていたら良かったのになあ」、と、なる。 生きている限り、遅すぎるということはないだろう。 大人になりかけている人達と大人の人達、どちらにも読んでいただきたい。

● 「14歳からの社会学 ~これからの社会を生きる君に~」 宮台真司著 世界文化社 初版2008年11月 1300円

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2009.01.24

エーン、怖かったよ。

岩井志麻子さんのどろどろと怖いエッセイのような小説のような文章を読んだ後、ちょっと『お口直し』にと内田春菊さんの本を手に取った。

表紙を開いたら、いきなりバラリと真黒い塊が本から落ちてきて、まるで黒髪を束ねてあるように見えたので、ひえぇぇ!!、と、声を出して床に本を落としてしまった。

しゃがみ込んでよくよく見れば、だらんと垂れ下がった黒いリボンの栞・・なのだが、数えてみたら12本もある。 なんじゃこりゃ?

一体誰がこんなデザインにしたのやら、と、呆れながら裏表紙を開くと、しかも、「カバーは、ホワイト・ブラック・ブラウン・ブロンドの4色あります。(本文の内容は同じです)」、だそうだ。 って、ことは、この本はブラックなんだな。

「装丁 野田凪」、とある。 ちょっとー、野田さん、本気で怖かったんですけど。 正直に書きますが、読んでいる時にかなり邪魔です、この栞たち。 この芸術性の意図は何処に?

  • 「愛だからいいのよ」 内田春菊著 講談社 初版2002年 1580円

思わず「愛ならいいのか?!」、と、八つ当たりしそうな程に、久々に怖かった。

横で笑っている『ますたあ』が、「一回読む毎に一本ずつ増えていったりしてね。」、と、茶化す。 やめてよ、トイレに行けなくなるから。

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2008.12.07

「食べることの心理学」

本を一冊ご紹介。

食べることの心理学」 今田純雄編 2005年初版 有斐閣選書

難しい本もたくさん出版している会社だが(学生時代にはココから出版されている本にずいぶん頭を抱えた記憶が。苦笑。)、この本については全く心配が要らない。 タイトルの通り、「食べること」の全般について改めて考えてみようという本である。

専門的には食心理学、食行動科学、食べる行為の人間科学と呼ぶらしい。 どんなテーマが取り上げられているかというと、どうしてお腹が空くのか・どうして満腹になるのか、から始まって、美味しいという感覚は何か、どうして好き嫌いができるのか、ニオイが食べ物に与える影響、子供の偏食にどう付き合うか、ダイエットと肥満、摂食障害に至るまで、とにかく身近なものばかり。 食べることはこれほどまでに人間の生きざまに深く結び付いているのかと、思いを新たにする気持ちだ。 たくさんの具体例や心理学を学ぶ大学生を使った実験結果も含め、分かりやすい的確な言葉で書かれている。 食べることに興味がある方ならきっとどなたでも、面白く読み進められるのではないかと思う。

相変わらず世の中はダイエット流行りで、ネットに繋いでもバナーでダイエット系の広告を見ない日は無いくらいだが、痩せることが良いことなのではなくて、食事をコントロールすることでどんな自分に変わりたいと思っているのか、そしてそれはなぜなのか、そこの所を考えてみることを始めないと、太って痩せてを繰り返した挙句メーカーを儲けさせるだけになってしまう。 そんなのは悔しいじゃないか! その位に「食べること」は「生き様」と密接に結びついてしまっている。 深く頷く部分もあり、核心を突いているだけにちょっと恐ろしくもあり・・。 高価なダイエット用食品を購入する前に、読んでみるのも面白いかもしれない。

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2008.08.06

聞きかじりではなく知識を

「アスペルガー症候群」という病名を聞いた事が無い方は少ないと思う。 では、「アスペルガー症候群はどんな病気ですか?」という問いに答えられる方も、同じように少ないのではないだろうか。

私もその一人で、うろ覚えの情報しか持ち合わせていなかったので、ちゃんと知識を得ておこうと思い、自分自身への『夏休みの宿題』の一つに設定している。(実は他にも合わせて5項目ほど『宿題』を決めたのだが、予想外の暑さで難航。 自分で決めた8月中という期限を守れるのだろうか?!)

とりあえず情報収集で、書籍を数冊、一般向けと医療従事者向け、それと教育者向け、それぞれ借りてきて片っ端から読み、研究文献はネットで収集しながら、自分なりの全体像を構築しつつある。 私の周りに実際にアスペルガー症候群の患者さんが存在しているわけではないので、必要に迫られている状況ではないのだが、これからの社会の在りようを考えたり、自分がその中で生きてゆく上で、このような「自閉症スペクトラム」の方々を無視することはできないだろうと感じたので・・。

当たり前のことながら、病気を持っているのは人間なので、どこから何を問題にして病態を捉えるかで、本の書き方も研究のされ方も大きな違いがあり、社会としての対応の難しさを浮き彫りにしているように見える。 近年起きているいくつかの恐ろしい事件の加害者が、実はアスペルガー症候群の患者だったというニュースばかりが先走ってしまい、怖いイメージが正しい知識を持たない人々に浸透してしまった感がある。 それが、社会としての対応をより難しいものにしてしまったという、負の連鎖が起きているのも事実だ。

実際に調べてみて、私の中でもずいぶん「アスペルガー症候群」のイメージが変化した。 表面上「奇異」にしか思えない行動でも、その根拠が解ると理解できるし、奇異な行動をとる相手への対応もそこそこに想定することができる。 知識を持っていれば、少なくとも白い目を向けることはなくなる筈だ。

何冊か読んだ中で、一般向けとして最も分かり易く、尚且つ簡潔にまとめられていると感じた本を一冊、下記に紹介しておきます。 幼いお子さんがおいでの方は、幼稚園や学校等で「アスペルガー症候群」の同級生が一緒だったりする場合もそこそこあるんじゃないでしょうか? 一度読んでみると、いろいろ考える機会になると思います。

「アスペルガー?、ああ聞いたことはあるけど・・」という方にオススメ!

図解 よくわかるアスペルガー症候群」 広瀬宏之著 ナツメ社 (初版2008年7月 1500円)

ISBN 978-4-8163-4550-0

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