経験は無いけど。
無垢な気持ちで相手のことを思いやったり、相手の幸せを願ったりするには、自分が相手に対して安心していることが前提条件として必要ではないかと、いきなり何の脈絡も無く考えた。
既婚者の相手と恋愛をしている人の辛さは、その安心が得られないことなのではないだろうか。
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無垢な気持ちで相手のことを思いやったり、相手の幸せを願ったりするには、自分が相手に対して安心していることが前提条件として必要ではないかと、いきなり何の脈絡も無く考えた。
既婚者の相手と恋愛をしている人の辛さは、その安心が得られないことなのではないだろうか。
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どんなに相手を大切だとか好きだとか愛しているとか言った所で、相手に対して「まっ、いいか」と思えない関係は長続きしない。 それは愛情の深さとは関係なく、もっと動物的な勘に基づいたもののようにも思うが、実は長いスパンで相手との関係を考える際には、こっちの方が重要なポイントだったりもするから厄介だ。
だいたい、「愛してる」だけで相手の全てが好意的に思える期間なんて、そう長くは続かない。 熱が冷めてゆくように、「愛してる」ことが当たり前の日常になるにつれて、盲目的に見えていなかったありとあらゆる「くだらないこと」が気になりだす。 客観的に考えれば大して重要なことでもなく、例えば脱いだ洋服をたたまないとか、メニュー選びに迷って決めるのが遅いとか、赤の他人が聞けば本当にどうでもいいことだったりするのだが、本人たちにとっては一度気になりだすと大問題だったりするのだ。
相当長い年月を別々の環境で、別々の暮らしをし、経験してきたことも学んできたことも別々のふたりが、ある日を境に顔を揃えてみたところで、自分の常識が相手の常識とピッタリ合うはずも無い。 ええっ?!、と、驚き怪しむような相手側の常識に翻弄されることもあるだろうし、それはお互い様だろう。 問題は、そこで自分の捕らえ方を微調整できるかどうかにかかっているのではないか。
驚き怪しみ頭にくるような状態に甘んじていたのでは、イライラが溜まるだけだ。 「自分には受け入れ難いけど、それはそれとして仕方がないのかも。」みたいな感じで、ちょっとだけ譲歩できれば、気持ちの上でずいぶん楽になる筈で、「それも相手の個性のひとつなのかも。」まで来れば大したものだ。
「まっ、いいか」と思える相手とは、実はお互いに、もう相手の存在そのものを肯定している関係に近いから、言いたい事も言えるし、悪態もつけるし、感情もぶつけられるし、開けっぴろげで飾らなくていいから楽なのだ。 「まったくオマエは相変わらずだよなあ」、なんて呆れ顔で言っても、「まっ、いいか」のベースがあれば怖いものはない。
「まっ、いいか」は果てしなくいい加減なようであり、実は人間関係のワイルドカードだったりもするのではないか。 ポーカーにおいての「2」のカードのように。
昨夜、5年ぶりぐらいに、「まっ、いいかの関係」の友人から電話があって、散々喋った挙句に思ったのはそんなことだった。 「まっ、いいか」は時間軸をも超越する価値観なのかも知れない。 「まっ、いいか」、恐るべし。
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恋愛関係の行方について依頼を受けて展開したタロットカードで、パートナーの位置に「死神」のカードが出た。 しかし、将来についてや全体のキーワードとなるカード、「場」の全体から受けるイメージには、全く暗さがない。
依頼者とパートナーはもう長い付き合いで、その上、双方にそれぞれ家庭がある。 何度か見させていただいているので、大人の恋愛に伴う細かいごたごたについては、そこそこ背景も判っている。 不倫と呼ぶ人もいるだろう。 が、本人同士は非常にプラトニックな関係で、逢ったり頻繁にメールをしたりもなければ、片方が結婚して以来肉体関係も全くない(らしい)。 それでも、愛し合っている。 では、何故、その人と結婚しなかったかと言えば、「(もしかしたら結婚相手よりも)愛しているけれど、一緒に生活できる相手ではないから」だそうだ。 一年ぶりに手紙を送ってみたが、いつもはすぐ届く返信が無いとのこと。 健康でも害したりしていなければ良いが・・ということだった。
「死神」のカードは、物事の終焉を意味するに違いないが、PCが暴走して手に負えなくなったら最終的に電源を落とすのと同様に、「そうでもしなければ終わらせられないもの、次に進めないものを、強制的にシャットダウンする」という内容があるように思う。
彼はあなたのことを忘れようとしているように見受けられる。 逆説的ではあるけれど、それによって、あなたは完全なる理想の相手・運命の相手として、揺ぎ無い存在に決定付けられる。 これからずっと、何が起こっても、それぞれを忘れることはないし、逢わないからこそ胸の中でイキイキと恋愛は続く、そんな印象だと、言葉を選んでメールを打ったら、すぐに返信が戻ってきた。 「やっぱりそうですか。 そんな気がしていたので、言ってもらえてよくわかりました。」 重い言葉だと思った。
現実から隔離された状態でこそ育つ恋愛というのもあるのだろうか。 理想を理想のままで保つためには、現実の生活は時として邪魔になるのか。 わからなくも無い。 言葉で表現するのは難しいけれど。
現実の中で育まれる恋愛、心の中で閉じ込めることで成長する恋愛。 いろいろなのだろう、きっと。 結婚相手との恋愛を、現実の生活の中でしっかりと育てていって欲しいと、メッセージを送った。
どういうわけか、ため息がひとつこぼれた。
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